「ぇえええぇええっっ!!」

玄関へと向かったオラクルに、エモーションの悲鳴が響く。

Santa Claus in Socks

「オラクル様っ、もう帰ってしまわれますのっ?!だってクリスマスはまだまだこれからですのにっ!!それにそれに、まだメインイベントが残っておりますのよっ?!」

「メインイベント?」

ぱたぱたと追って来つつ叫ぶエモーションに、帰る意思は決して曲げないまま、オラクルは首を傾げた。

クリスマスのイベントというと、ツリーに飾り付けをして、チキンを食べ、ケーキを食べ、プレゼント交換。

少なくとも日本におけるクリスマスでは、それがイベントのすべてのはずだ。

そこに教会でのミサや、ミサに行かないまでも、厳かな祈りの時間が加わったりはしない。

そして思い返すだに、すべてのイベントがつつがなく――まあとりあえず、つつがなく、終わった。

だからこそ、オラクルはカシオペアおばあさまに挨拶をして、席を立ったのだ。

一人暮らすアパートへと、帰るために。

その他のイベントに心当たりがないオラクルは、玄関のコート掛けからコートを取って羽織りつつ、訝しくエモーションを見下ろした。

エモーションはうるうるの瞳で手を組んで、そうでなくても低い背をまたさらに屈めて低くして、懸命にオラクルを見上げてきている。

「……なにが残ってるっけ?」

素直に訊いたオラクルに、エモーションは軽く伸び上がった。そうやっても、元々が背の低い彼女と、規格外に高いオラクルだ。

差は大きい。

癖で軽く屈んだオラクルへ、エモーションは大真面目に言い放った。

「サンタさんですわ!!コード兄様サンタが、眠りこむ良い子のわたくしたちの枕元にプレゼントを置くことを、どれほど楽しみにしていらっしゃることか…………」

「待てまて、エレクトラ。サンタの中身は剥いても剥いでもサンタだ。俺ではない」

「コード」

帰りの挨拶をしたオラクルにも、酒を含んだままちらりと目線を寄越しただけのコードだ。

しかし妹が大騒ぎをしているのに、仕方なく席を立ってきたらしい。

すたすたと酔いの見えない足取りで廊下を歩いて来ながら、コードは叫ぶ妹を窘めた。

「良いか、『おかーさんといっちょ』のねずみの中身が、剥いても剥いでもねずみなのといっしょだ。『中の人』などというものはおらん。わかるな、エレクトラ?」

「はい、兄様。暗黙の了解というやつですわね」

「…………」

大真面目に言葉を交わす二人に、オラクルは軽く天を仰いだ。

夢もへったくれも、ないようなあるような。

たとえ「中の人」がいようとも、エモーションがサンタを楽しみにしている事実に変わりはなく、サンタが予定を変更することもないだろう。

結果、良し、か――しかし。

「…………それでちなみに、『カシオペア家のサンタさん』は、私用のプレゼントを用意していたりするのか?」

「…………」

念のために訊いたオラクルを、コードは苦虫を噛み潰したような表情で見上げた。

期待に輝くエモーションへちらりと視線をやり、二人の弟妹からぷいと顔を背ける。

「………その年にもなれば、『恋人がサンタクロース』だろうが。出て行ったもののことなぞ、知らん」

「兄様っ」

「…………」

オラクルは吹き出すことを懸命に堪えた。

非難するような、うれしいような微妙な声を上げたエモーションのほうは、兄とオラクルとを交互に見比べる。

「……そういう事情だから、エモーション。サンタさんにプレゼントを貰うために、帰ってもいいかい?」

「………………もう」

問われたエモーションは、わざとらしくぷくっと頬を膨らませてみせる。

腰に手を当てると、精いっぱいに胸を逸らした。

「仕方ありませんわ。クリスマスのいちばんのお楽しみで、いちばんのイベントですもの。なにより、オラクル様がお帰りになりませんと、オラトリオ様にサンタさんがいらっしゃらないことにも、なりますのね」

「…………そう」

堪えきれず、オラクルは吹き出した。そのまま、軽く身を折って笑う。

「あの寂しがりんぼ、サンタさんがいないとなったら絶対、いじけるから!」

「容易く想像できますわ!」

「根性が足りん」

熱をこめてうなずく妹に対し、屈折した兄のほうはあさってへと吐き出す。

オラクルは笑いを収めると、そんな兄と妹へ軽く頭を下げ、靴を履いた。

「じゃあ。良いクリスマスを」

「良いクリスマスを、オラクル様!」

「…………気をつけてな」

エモーションは打って変わって明るい笑顔で手を振ったが、未だに、弟の恋路に素直になりきれない兄はそっぽを向いたままだ。

とはいえ素直になれないのは、男同士だとかいとこ同士だとかいう、世間一般的な問題ゆえではない。

あくまでも、コードが弟を溺愛している――ブラコンであるがゆえだ。

どんな愛らしい女性を連れて来たとしても、兄の反応に大差はない。弟に付く虫に違いはないからだ。

わかっているから、オラクルは気にすることもなく、二人へと手を振って外に出た。

身に染みる寒さに震え、歩き出す。

しかしすぐに、その足が緩んだ。

同時に、常におっとりと和んでいる表情が、花開く。

「オラトリオ」

「よ」

呼んで駆け寄ったオラクルに、分厚いコートにマフラー、帽子に手袋と、厳重装備に身を包んだオラトリオは、無愛想に手を振った。

「わざわざ?」

「まだ帰ってねえから」

「引き止められてた」

「だろうな」

短く言葉を交わし、並んで歩き出す。向かう先は、オラクルの住むアパートだ。

輝く表情を向けるオラクルに、顔の半ばをぐるぐる巻きにしたマフラーに埋めたオラトリオは、軽く視線を流す。

「…………楽しかったか?」

「うん。今年はエモーションとエララだけでなく、ユーロパも台所に入ったんだ」

「へえ、あのお嬢が。オトナになったもんだ?」

「だね」

笑って、オラクルはいたずらっぽく瞳を眇めた。

軽く驚きの表情をしてみせたオラトリオへと、首を伸ばす。

「今年は、アトランダムを招待したから」

「…………へえ」

今度は心底から驚いた表情になったオラトリオに、オラクルは明るい笑い声を上げた。

弾む足取りで、オラトリオの先へ行く。

特に足を速めて追うこともなく、オラトリオはオラクルの背を見つめた。

「……よく、師匠が赦したな?」

「おばあさまがお招きになったから。コードにどうこうできるわけがない」

「そりゃ…………」

お気の毒に、とオラトリオは口の中でつぶやいた。

コードはブラコンだが、同時に、シスコンだ。つまるところ、弟妹すべてを溺愛している。

その溺愛する妹のひとりであるユーロパは最近、アトランダムという司法浪人生と付き合っていた。

もちろん、コードが黙っているわけもない。

どんな立派な肩書きと経歴を持っていようとも、妹につく虫はすべて=悪い虫。

ある意味公平な見方をするコードに対し、アトランダムの脛に傷持つ具合は、かなりのものがあった。

通常でも厳しいものを、こうなるともう、絶望的としか言いようがない。

妹に近づくな、と。

それはそれはもう、日々、熾烈な戦いがくり広げられているのだ。

「…………ま、カシオペア女史も、わかってのことだぁな」

兄の妨害があっても、ユーロパのアトランダムに掛ける情熱は本物だ。十代の少女だからと、侮ることの出来ない深い想いを、捧げている。

それに応えきれる度量の持ち主かどうかが、アトランダムの微妙なところなのだが、こちらは思いきり成長過程というやつだ。

ユーロパの愛によって、少しずつ少しずつ、先へと進む方法を学習している、と言っていいだろう。

そのユーロパが、恋人同士で過ごすことが当たり前の日本のクリスマス習慣にのっとり、アトランダムと過ごすことを希望するのは当然。

とはいえ、カシオペア家においてのクリスマスは伝統的に家族で祝うもので、ついでに決してコードがユーロパとアトランダムの二人きりのクリスマスを赦すわけがない。

基本的に、きょうだいたちのことにあまり口出しをしない家長のカシオペア女史だが、楽しいはずのイベントがあまりに無残な傷を彼らに残すことを懸念したのだろう。

そのために、先手を打ってアトランダムを招待した――

アトランダムにとって、コードと膝を突き合わせてのパーティがいかにいたたまれないものであっても、兄の妨害で拗ねきったユーロパと、無理やりに二人きりで過ごすよりましなことは確かだ。

そしてコードにしても、妹がどうしていることかと案じながら家にいるより、馬の骨の面を見ていたほうが。

「そっちは?」

「ああ。…………変わりねえよ、こっちは。いつもどおり」

前を行っていたオラクルが振り返って訊いて、オラトリオは肩を竦めて答えた。

オラトリオのきょうだいたちには、今のところ色恋での問題は取り立てて起こっていない。

なにより家長であるラヴェンダーが、犯罪でないのなら、弟たちの恋愛には寛容であるべき、というスタンスを貫いている。

姉と兄の違いか、弟と妹の違いか――

おそらく、そのどれもで、そのどれもが違うだろう。

持って生まれた性格は、どうしてもある。

「って、おまえこの時間にいるけど、ちびたちにサンタさんは」

「オラクル」

はたと気がついた顔で立ち止まったオラクルに、オラトリオは足早に近づいた。

わずかに下にあるオラクルへと顔を寄せ、額を合わせる。

「サンタの中身は、剥いても剥いでもサンタだ。『いにゃいいにゃいばぅ』の犬の中身が、剥いても剥いでも犬なのとおんなじ。『中の人』なんつーのは、いないんだ」

「…………っ」

瞬間的に瞳を見張ったオラクルに構わず、その肩を抱くと再び歩き出し、オラトリオはもっともらしく頷いた。

「しかもうちのサンタは、伝統的に『ミスター』ではなく、『ミズ』だからな。俺は関係ねえよ」

「…………ああ」

納得して、オラクルは頷いた。

そういえば、そうだった。

オラクルの兄が弟妹思いなのと、少しばかり次元が違うような気はするが、オラトリオの姉もまた、弟思いなのだ。

仕事で世界を飛び回って不在の両親に代わり、弟たちの健全育成に日々励んでいる。

もちろん、情操教育の観念から、サンタも――

「…………ぷっ」

「んどうした?」

怪訝そうに見下ろすオラトリオに答えず、オラクルは顔を逸らして笑った。

中の人、などはいない。

サンタの中身は剥いても剥いでもサンタで、親でもなければ兄でも姉でもない。

「おい、オラクル?」

「ん」

笑っているだけで答えないオラクルに、オラトリオは焦れた声を上げる。

しかし答えることはなく、オラクルは鍵を取り出した。

話している間に着いたアパートの扉に鍵を差し込み、開く。

「オラク……」

「オラトリオ」

さらに問いを重ねようとするオラトリオを家の中へと引きずりこむと、オラクルは扉が閉まる間も待てずにくちびるを合わせた。

かたん、と閉じた扉の音。

聞きながら、手を伸ばして鍵を閉める。

「っは、…………オラクル」

「…………うん」

くちびるが離れた隙に呼ばれて、オラクルは微笑んでオラトリオを見上げた。

「『サンタさん、プレゼントください』」

「…………」

強請ると、オラトリオは軽く天を仰いだ。

一度瞳を閉じてから、開くとやにわにオラクルを抱き締める。

「『靴下』に入りきらねえほど、たっぷりとやるよ」

「……ははっ」

熱っぽく返された言葉に、オラクルは笑って、オラトリオに擦りついた。