新居を用意できないなら、お嫁さんには行かないという。

当然といえば当然かもしれないけれど、旦那さん(予定)の懐事情とか、家族事情とか、諸々、諸々。

そういうところをちょっと、加味してくれないかなーとか、なんとかかんとか。

思うことが、まったくないわけではないけれど。

My Dearness

「まあな。そんなに急ぐ必要もないからな」

「なんだ?」

「いんや。こっちの話」

歩いて五分の距離に住む従兄弟と、街中のカフェで待ち合わせた。

世の中はカフェブームで様々なカフェはあれ、話題になっている場所は往々にして、男には敷居が高い。

メルヒェン、ファンシー――いろいろ言いようはあれ、身も蓋もなく総括するなら、女性向け。

今日入ったところにしても、チェーン展開するような汎用カフェではなく、隠れ家をコンセプトにした、個人マスターによるこだわりのカフェだ。

店内には圧倒的に女性が多く、見られる男性も、必ず女性を伴っている。

たとえばここに、エモーションやエララ、ユーロパといった、オラクルの姉妹がいっしょにいればまだ、入り易かったが――

オラトリオとオラクルのように、男二人連れという客はいない。悪目立ちも甚だしい。

ひとの目を気にしないオラクルは平然と、クリームが山盛りのココアを頼んで啜っているが、オラトリオは微妙に尻の据わりが悪い。

しかし店を指定したのは、オラトリオだ。

指定しておきながら尻の据わりが悪いオラトリオに対して、先にも言った通り、オラクルのほうは平然としたものだ。人の目を気にして、どうこう考える性質ではない。

だからこそ、こういった敷居の高い店に来るのに、オラクルを伴ったというのも、一面。

男二人で入って、男二人でもじもじしていたらそれこそ悪目立ちの最骨頂だが、オラクル相手にその危惧はない。

ちなみに甘いものが苦手なオラトリオが頼んだのは、ブラックコーヒーだ。トッピングもデコレーションも、一切なし。

生一本で飲むこと推奨の、マスターこだわりの逸品だ。

味は、酸味より苦味が強い。

コーヒー党の中では、はっきりと区分けられる酸味派と苦味派だが、オラトリオにそこまでの思い入れはないので、さしたる異論も感嘆もない。

とはいえどちらかと問われるなら、気に入ったと答える。

ふわふわとした女性向けの店内にあって、カップこそテイストが揃っているものの、ただ黒いだけのコーヒーだ。

素っ気もないが、目覚ましの一杯といった感じがしない。不思議と、心が和ませられる。

ひと口飲むと、確かにこのカフェのテイストに合ったメニューなのだと、納得する。

「ここ、この間、取材した店だよな」

「ああ。覚えてたか」

「イラスト描いたものは、大体覚えてる」

「そうだな」

飲み物には甘ったるいココアを頼んだオラクルだが、つまむものとして頼んだのは、雑穀おにぎりプレートだ。

一枚のプレート上に、ほんのひと口大の雑穀米おにぎりが二つ乗り、それにオーガニック野菜の洋風煮物とピクルス、カットフルーツがまとめられた、軽食セットだ。

盛られたひと品ひと品の量が上品で、女性でも、これでおなか一杯にはならないだろうという一皿。

別に、本格的に食事をしに来たわけでもない。なのでこれくらいであっても、オラトリオが追加を頼めとせっつくことはない。

「前も思ったんだけどな。女性向けっても、うちのねーさんは無理だよな」

「んラヴェンダー?」

「ああ。こういう店。浮くと思わねえ?」

「ああ………まあ」

水を向けられて、オラクルは軽く、店内を見回す。

フェミニン、ファンシー、メルヒェン――

女性向けを表す単語は世の中に多くあれ、確かにそのどれもこれもが、オラトリオの姉であるラヴェンダーと、しっくり来ない。

弁護士という仕事以上に、きりきりかっちりとしているのがラヴェンダーだ。ゆるふわという、昨今流行の言葉と対極を行っていて、その自分に苦痛もない。

「いや、でも」

ふと眉を上げ、オラクルはオラトリオへと顔を戻した。ぴ、と、テーブルを指差す。正確には、オラトリオが頼んだコーヒーを。

「カウンターに座ってマスターと話をしていたら、意外にしっくり来るかもよラヴェンダーって、『仕事人』って感じのひとが好きだろう?」

「あー………………なるほど」

こだわりの、と銘打つ本格コーヒーを淹れたのは、カウンターの中に控えるマスターだ。

そもそもこの店は夫婦で経営しているのだが、奥さんはともかく、旦那さんは見た目的に、多少ごつい。客であるオラトリオとオラクルが浮くのはともかくとして、店主がそもそも、微妙に浮いている状態。

馴れると、店のオブジェのひとつのような気がしてくるのだが。

カフェの経営傍ら、店で売るアクセサリの製作もしているし、職人気質と言えば、そうなのだろう。接客に向いているかどうかはともかくとして、実直な人柄で好もしい――

「………合う、か?」

一度は頷いたオラトリオだが、マスターを眺めていた顔が微妙に歪んだ。

おにぎりを口に放りこんでいたオラクルは、そんなオラトリオに不思議そうに首を傾げる。

「合わないか?」

「いや………むしろ、奥さんのほうじゃねえかな、話が合うの………。女同士だからっつうより……」

「そう?」

言葉を濁したオラトリオに、オラクルは深くはツッコんで来ない。

有り難いような、有り難くないような。

この相棒といると頻繁に襲われるジレンマに悩みつつ、オラトリオはそっと店内を見回した。

流木のオブジェに、古木を再利用したフレーム、それらを飾るビーズやレースに、窓を彩るカーテンや小瓶。

どれをとっても、女性向けのテイストだ。

奥さんの意向が激しく反映されているのかと思いきや、旦那の趣味だという。

あたしはもっと、北欧系のシンプルテイストが好きなのと、取材のときに奥さんが笑っていた。これじゃあちょっとガーリー過ぎて、年を食ったら居心地悪いわと。

隣に座っていた旦那はしらっとした顔で、明るく腐す奥さんに反論もしなかった。

結局店内がそうなった以上、奥さんも受け入れてくれたということだ。仲が良くて結構、と。

そうは思うが、こういった趣味の『仕事人』であるなら、どちらかというとさばさばした奥さんのほうと、ラヴェンダーは話が合いそうだ。

男性かくあるべしの理想が強いラヴェンダーではないが、弟たちへの鍛え方はスパルタだった――

そうやって、尻の据わりが悪いとは言いつつも、なんだかんだとまったり、適当な話題を転がしながら時間を潰し。

「で、今日の用事は?」

オラクルが聞いたのは、そろそろ帰ろうかと財布を取り出した時だ。

そのうち本題に入るだろうと思っていたら、雑談で終わって帰るとわかって、ようやく訊く気になったらしい。

立ち上がったオラトリオに倣って立ち上がりつつも、オラクルは不思議そうに瞳を瞬かせている。

「あー、まあ」

「ん?」

言葉を濁されて、オラクルはようやく、わずかな不審を浮かべて眉をひそめた。

そのオラクルに、オラトリオは軽く手を振る。

「いいから溜まるな。先に外出てろ」

「ああ、うん」

レジのある出入口付近は、あまり広いとは言えない。隠れ家をモチーフとしているために、扉付近はひっそりとしたつくりになっているのだ。

パーティションで区切られたそこから中に入ると、吹き抜けの空間が広がって、一気に視界が開けるのだが――

大人しく出て行ったオラクルを見送ってから、オラトリオは会計を済ませた。レジを打ってくれた奥さんと、先の取材のことで二、三語交わしてから、店を出る。

「で、次はどこに行くんだ?」

「んーそろそろちびが、お迎え時間。どうせ信彦が遊びに来るから、迎えに行って帰って、おやつ作りだな。どうせだから、あいつらにもカフェスタイルのおやつを出してやるか」

「へ?」

歩き出しつつ訊いたオラクルへの答えが、これだ。

まさか、わざわざ外で待ち合わせて、女性向けで敷居が高いと頭を抱えるカフェでまったりお茶だけして、帰宅?

思いきりきょとんとしたオラクルに、オラトリオはさばさばと笑う。

「たまにはいいだろうが」

「私は別に、構わないけど………」

もごもごと答えつつ、オラクルはやはり不思議そうだ。

人のことを常識知らずだ非常識だと腐すだけあって、オラトリオはあまり突飛な行動をしない。外でお茶をしたいにしても、それならばごく平均的な、男二人でも違和感のないファミレスを選ぶ。

カフェがいいというなら、それこそチェーン展開をしている、一般的なコーヒーショップを。

いくらオラトリオのやること為すこと、信頼して任せきりのオラクルとはいえ、あまりに行動原理が不明だと、さすがにすぐには割り切れないらしい。

疑問のあまりに遅れ気味になるオラクルを軽く振り返り、オラトリオは胸を張った。

「デートだ、デート。いくらなんでもうちデートだけじゃ、芸がないだろうが」

「でー…………」

――絶句したオラクルは、その可能性にまったく思い至らなかったらしい。

それというのもこれというのも、小さな頃からご近所同士の従兄弟、通った学校も同じなら、ついた職業でもコンビを組んで共に取材に出掛けるという、いわばセット行動が常態化していればこそ。

例えばこれが非常にわかりやすく、いっしょに映画を観に行って、そのあとごはんにして~という、王道デートであったとしても、おそらくオラクルは気がつかない。

よくやることだからだ。

取材の一環で映画を観に行くこともよくあるし、そのあとに外食に流れることも珍しいことではない。

いわば、デートが日常と化している現状。

とはいえ。

「せっかく恋人同士だぞ。たまにはそれなりに、外デートしねえでどうするよ」

「う、そ、そう、………なの、か」

明るく言うオラトリオに、オラクルは珍しくも頬を赤くした。

ちょっとかなり激しくおかしい、従兄弟で仕事の相方というだけの関係から、きちんと好き合っている意思を確かめて、いわば『正式に』お付き合いを始めたのは、つい最近のことだ。

周囲からすると、うん今までとナニが変わったのーという状態らしいが、二人の意識的には大きな変化が――まあ、たぶん。

「………ちなみに、デートと普通のお出かけと、どう違ったんだ?」

「言うと思った……………」

案の定の問いを放たれ、オラトリオは肩を竦める。

気がついていない時点で、普段と変化がないということだ。それこそ周囲の言う、うん今までとナニが変わったのーが、当のご本人まで。

ため息をついたオラトリオは、追いついたオラクルと歩幅と速度を合わせて歩きつつ、ポケットを探った。

「まあ、大体予測の範囲なんで」

「だって、なにか違ったか?」

「いやうん、そこを激しくツッコまれると、実のとこ、俺も答えようがない」

ムキになるオラクルを軽くいなし、オラトリオはポケットを探った手を差し出した。反射で伸びた手に、ことりと落とす、『デート』の証拠。

「やる」

「って、……………指輪?」

落とされたものをつまんで日に翳し、オラクルは瞳を細めた。

くすんだ色の指輪だ。アンティークさと、無骨さの両方がある。多少の彫刻が入っている以外に宝石などの装飾はなく、オラクルが普段着ているカジュアルな服装でも、浮くことはない。

太さから予想して、オラクルは左手の小指に嵌めてみた。やはり、きちんと嵌まる。

「右手だとか、他の指だとおまえ、絵を描くのに邪魔なんだろ?」

「うん」

アクセサリをしたままでも描けるひとは描けるだろうが、オラクルは微妙だ。慣れればいいのかもしれないが、慣れる前に音を上げるから、未だにしたままだと描けない。

左手の小指ならば、ぎりぎり許容範囲。と、言えないこともない。

それでも駄目なときというのはどちらかというと、そもそも描くことに行き詰まっている。なにがどうなろうと、無理は無理ということだ。

「あそこのカフェのマスターの、創作品のひとつでな」

「へえ。………ああ、そうか。そういえば、販売もしてたっけ。今、買ったのか」

納得したように頷いてから、オラクルは明るく笑った。

「プレゼントがつくから、デートなのか?」

訊いたオラクルにオラトリオは肩を竦め、自分の左手を振ってみせた。

同じく小指に、今まではなかった、鈍い色合い――

「婚約指輪を買いに行きましたとさ。ちゃんちゃん」