額にぺたりと冷たいものが触れて、オラトリオは重い瞼を開いた。

霞む視界に映るのは、よく見慣れて、けれど決して見飽きることのない顔――

くーる・こーる・うーる

「………起きたか水は?」

「いや………っ」

穏やかに訊かれて答えようとして、オラトリオは顔を逸らした。堪えきれない咳をいくつかこぼし、落ち着いたところで顔を戻す。

額に冷たいタオルを置いてくれた従兄弟は、軽く眉をひそめた愁いの表情で、そんなオラトリオを見ていた。

「………悪ぃな、オラクル。見てくれほど大したこともねえのに。――シグナルに呼ばれたか」

「半分ご名答」

半分でしかない時点で、『ご名答』が成り立つかどうかは微妙なところだ。

いつもなら混ぜっ返すところだが、今日のオラトリオにその元気はなかった。

大きな体をベッドに横たえ、厳重に布団にくるまれたオラトリオを、傍らに立ったオラクルは複雑な表情で見下ろす。

「正確には、パルスとシグナルだよ。オラトリオが風邪を引いて倒れたのはともかく、ラヴェンダーが看病しようとしているから、来てくれって」

「大したことになってた!!っっ」

「オラトリオ!」

オラクルが落とした『正答』の衝撃に、オラトリオは思わず布団から飛び出しかけた。

風邪を引いて、高熱の身だ。そのうえ咽喉に来ていて、ちょっと動くとすぐに咳き込む。

案の定で、すぐさま咳の発作に襲われて撓んだオラトリオの背を、屈んだオラクルが宥めるように撫でた。

「……だから、来ただろう大したことになってないから、ゆっくり寝ていろ」

「悪ぃ………」

「いいから」

激しい咳の名残りで涙を浮かべるオラトリオに、オラクルは困ったように笑う。

心なし、萎んだような気がする背を叩くと、オラトリオを再びベッドに寝かしつけた。

「テスト前の学生に、風邪引きの面倒を見させるわけにはいかないという、ラヴェンダーの心遣いなんだけど………」

「お心遣いだけいただいておきます」

厳重に布団にくるまれたまま、真顔で告げたオラトリオに、オラクルは片眉を跳ね上げた。

「ラヴェンダーに直接言え。私は伝言しない」

「オラクル、俺は病人だぞ。気遣え」

「しかし断る」

たとえ今際の病人であろうと、やってやれることとやれないことがある。

にべもないオラクルの返答に、オラトリオは苦渋に満ちた表情になった。

「く………っ。やはり念波を送れるようにならないとか…………」

「………」

力なくベッドに横たわり、高熱のために充血した瞳と、染まる頬。

そして肩でするような荒く、微妙に喘鳴の混じる呼吸。

そんな状態であっても、オラトリオはおどけようとする。

傍らに立って相手をしていたオラクルだが、結局複雑に過ぎる感情に言葉を失い、黙って眺めるに落ちた。

「オラクル」

呼ばれて、オラクルはあえかなため息をこぼし、複雑な感情を心の奥底に押し込めた。

「寝ていろ、オラトリオ。熱が下がるまでは、私がきょうだいの面倒も見てやるし、おまえの看病もしてやるから」

「あー、いや。俺の看病はともかく、パルスくんが結構いろいろ、出来るようになってきてるから」

「顔の上に濡れタオルを広げられないうちに、自主的に寝ろ」

「オラクルさんがワイルド?!」

ぶすっとして吐き出された言葉に、オラトリオは軽く目を見張った。

しかしすぐに苦笑に歪むと、不機嫌に顔を逸らしたオラクルへ媚びるような、宥めるような視線を向ける。

「………面倒かけて悪ぃ。こんな風邪すぐに、ぶっ?!」

オラトリオが改めて言葉を連ねる途中で、額に置かれていた濡れタオルが顔全面を覆うように広げて掛けられた。

広げたオラクルといえば、複雑な表情で『ご臨終』状態にしたオラトリオを見下ろす。

「私はきちんと、警告したぞ」

「だからって本気でやるなよ俺病人病人だぞ、オラクル?!」

「だったら余計なこと言わずに、大人しく寝ていろ!」

「おい………っ!」

顔から濡れタオルを引き剥がして喚くオラトリオに負けじと叫び返し、オラクルはさっさと踵を返すと部屋から出た。

病人相手に気遣いもなくばたんと勢いよく扉を閉めると、そこで止まる。

扉越しに響く咳の音を聞きながら、きゅっとくちびるを噛んだ。

主張されなくても、オラトリオは病人だ。

頑丈そうに見えて、意外に繊弱な従兄弟だ。熱の高さはかなりのものだった。しゃべれば咳き込む。

わざわざ主張されるまでもなく、オラトリオは病人なのだ。

病人なのだから――

「………甘えろ、オラトリオ。私に」

軋る歯の隙間から、オラクルは狂おしくこぼした。

あんなふうに、遠慮されたくない。

あんなふうに、遠慮されると――

まるで、おまえは自分とまったく関係のない人間なのにと。

オラトリオの人生に、そうまで関わる人間ではないのにと。

言葉にも因らず、突き放されているようだ。

「………私は、おまえの、『なに』になれる」

相手もいない。

答えの返ることもない問いをつぶやくと、オラクルは扉から離れ、家事を片付けるべく歩き出した。