「オラクル、結婚しよう」

「あー…」

両手をがっしり握って迫られ、オラクルは天を仰いだ。

始まったよ、と些かうんざり思う。

Parsley,Sage,Rosemary,& Thyme-01-

「オラクル、なあ」

「ああー、はいはい」

おざなりに返事をすると、目の据わった従兄弟は、握る手にぎりぎりと力を込めた。

「おい、俺は本気だぞ。真剣なんだぞ。おまえと結婚するんだ」

「あー…」

なんと答えたものか考えあぐねて、オラクルは顔を背けるとため息をついた。

だいたいにして自分の思考力だって落ちているときに、どう対応するか難しい問題を突きつけてくれなくても。

「…酔ってるよなー、オラトリオ」

「酔ってない!」

言い切るよ、このクソ酔っ払い。

わずかに口汚く、オラクルはこころの中で罵倒する。

本日、オラクルのアパートにて、オラクルとオラトリオの二人で酒盛り中だ。

ふたりで組んで仕事を始めてから、たびたびこうして飲む。飲むのだが。

オラクルは目の端で、酒瓶を数えた。

二人で日本酒の一升瓶を二本空けただけ。大した量ではないはずだが、酔っ払わない量でもない。

だからといって、決して酒に弱くないオラトリオが正気を失う量でもないのだが。

「酔ってるってば。おまえがそれ言い出すときって、絶対酔っ払って前後不覚に陥ってるんだから」

ため息とともに手を振り払うと、オラトリオの顔がくしゃりと歪んだ。

「お~ら~く~る~ぅう」

吐き出される声がもう、正気でない。

逃げるように距離を開けたオラクルを恨みがましく見つめ、オラトリオは駄々っ子そのものの甲高い声を上げた。

「そうやって俺を拒絶するのかあっやだやだやだやだ、結婚して結婚して結婚してくれよぉおっおまえが結婚してくれないって言うなら、死んでやるぅううう!」

「…(殺)」

こいつはもうどこかに埋めたい。

一応いっしょに飲んでいただけあって、オラクルもそこそこ酒が回っている。

普段なら温厚に笑って流すのだが、今はそうもいかない。

なにより、「この」オラトリオの相手も初めてではなく。

「ああもう、騒ぐな今何時だと思ってるんだ近所のひとに怒られるのは私なんだぞ!」

手近にあった本でぎゃんぎゃん喚く頭を引っ叩くと、オラトリオはホラー映画のモンスターのようにがっしりとオラクルの服を掴んだ。

「じゃあ結婚しろ。俺と一生添い遂げると誓え」

「…」

目が据わりきっている。

オラクルはため息をついた。

できることなら、自分もこの境地まで酔っ払ってしまいたい。そうしたら、こんなにあれやこれや考えることもなく。

「…わかったわかった。するから、結婚。おまえの旦那になります」

「旦那は俺だ」

「家事するのはおまえだ」

「それもそうか」

酔っ払いの三段論法(!)で納得し、オラトリオは無邪気に笑った。

大きなからだを無遠慮に伸ばして、オラクルに抱きついてくる。

「重い潰れる!」

「オラクルぅ、愛してるぞぉ~。しあわせにするからなぁ~」

この酔っ払い!

伸し掛かられるままに床に潰されて喘ぎながら、オラクルはべしべしとオラトリオの背を叩いて暴れた。

パターン的に言って、このあとに待ち受けているのは。

「ん~」

「んんーっっ!!」

酔っ払い特有の遠慮もへったくれもない乱暴なキスに晒されて、オラクルはじたばたともがいた。

アルコールに浸された唾液はいつもより粘っこい感じがする。なにより、呼吸が苦しい。

だが、べろんべろんに酔っ払っているオラトリオはしつこくしつこくオラクルに吸いついて、なかなか離れていかない。

「ふへへへへ」

「…っの、たくらんけ…っ」

ようやく離れたかと思えば、見るも情けない顔でへらへら笑うのだから、やってられない。酸欠で頭がくらくらする。

もういっそ、観念してしまったらどうだろうと一瞬考えた。そうすれば、いかなこの従兄弟といえど。

「…」

わずかに想像して、オラクルはぴきりと引きつった。

その未来予想図は、そこそこ酔っ払っているにも関わらず、ちっとも無闇な明るさに満たされない。

こんなときくらい、この従兄弟ばりに派手に正気を失ってしまえればいいのに。

「って、おまえっ。ちょっとおとなしくしたらっ」

「ん~?」

慣れた手つきで服が肌蹴られていくのに気づき、オラクルは再び暴れた。

アルコールのせいで熱の上がった手がからだをまさぐり、キスの雨が降る。

やろうとしていることはあからさまだ。

「ちょ、だめだめだめだめだめだめそれはだめ!」

「なぁんでだよぉ。気持ちよくしてやるからだ~いじょうぶだってぇ」

「そういう問題じゃない!」

正気を失うほど酔っ払っているくせに、オラトリオの手は的確に動く。

上がりそうになる声と陥落しそうな理性を必死に堪えて、オラクルはオラトリオの手を掴んだ。

「け、結婚前に、そういうことはしない!」

「ええ~っ」

「コードに言いつけるぞ、いいのか!」

「うえ~」

男前も台無しの情けない顔でオラトリオがぴたりと止まる。

ふざけ半分、本気半分に「師匠」と呼ぶオラクルの「兄」に、オラトリオは頭が上がらない。

それはなにもオラトリオだけではなく、この近所の男子は大抵そうだ。

ましてや、彼が溺愛する「妹」と「弟」に手を出すとなれば、それが合意であっても半死覚悟。

それはそれで結果的には思うとおりなのだが、オラクルは小さく舌打ちした。

こころの底で、この根性なし、とひとしきり罵倒し、欲望と生死の狭間で酔っ払いなりに懊悩するオラトリオの頭をぽんぽんと叩く。

「結婚するんだろうだったら焦らなくてもいいだろ」

「うう~」

ぐすぐすと洟を啜り、オラトリオはオラクルを抱きしめた。

「ほんとにほんとに結婚してくれるかあ俺のこと捨てないかあ?」

ああめんどくさい。今度は泣き入ったよ。

けっと行儀悪く吐き捨て、しかしオラクルは辛抱強くオラトリオの頭を撫で続けた。

「捨てるわけないだろ。疑うのか、私を私がおまえに嘘吐くと思うのか?」

「…思わねえけど」

苦しいほどに締め上げられて、オラクルは小さく悲鳴を上げる。

いつもなら力を緩めるなりなんなりしてくれるオラトリオは、ほとんど必死に縋りついてきて離れてくれない。

「あー…もう…。なんだったら、指輪でもするかそうすれば…」

「そうだ、指輪だ買いに行こう!」

買いに行こう、と言って、オラトリオはがばりと起き上がった。

そのまま、覚束ない足取りで玄関に向かおうとするから、オラクルは頭が痛い。

「今何時だと思ってるんだ。開いてる店なんかないだろ!」

「やだやだやだやだ、買いに行くんだあああ!」

もう本気で埋めたい。

オラクルは深く深く深呼吸して気を落ち着けると、駄々っ子そのもののオラトリオを引きずってベッドに倒れこんだ。

「いいから、明日ちゃんと付き合ってやるから今日はもう寝ろ。ていうか寝てくれ。寝てください」

「ほんとかあほんとにほんとかあ逃げねえか約束するか?」

「逃げない逃げない。おまえの行きたいとこ、どこでもついてってやる」

投げやりな口調で言うオラクルに、しかしオラトリオは凶悪なほど無邪気に笑った。

ため息をつくオラクルを抱えこみ、次の瞬間に爆睡。

「…埋めたい…」

思わず声に出して、オラクルは身じろいだ。

苦労してオラトリオの腕から逃れると、肺がからっぽになるほど大きく息を吐く。

酒癖最悪だ。

どうしてこれがわかっていていっしょに飲もうと考えるとか、素面の自分も信じられない。

「…」

オラトリオだけでなく自分も罵倒して、オラクルは頭を掻き混ぜた。

信じられない、わけではない。このオラトリオは嫌でいやで仕方ないが、反面。

待ち望んでいる自分がいることを、知っている。

変わらぬ言葉を、聴きたくて。

「末期だ。救いようがない…」

普段の彼からは想像できない苦い声音で吐き捨て、オラクルはテーブルへと這って行くと、酒が注がれたグラスを掴んだ。かぷっと一息に空けると、簡単に部屋を片付け、ベッドに戻る。

「おまえなんか風邪引いてろ」

ぶつぶつとこぼしながら、呑気に眠るオラトリオを足蹴にして転がし、下に敷かれた掛け布団を引っ張り出す。

苛立ちのままに乱暴に布団を掛けてやり、隣に潜りこんだ。

酒のせいで双方ともに体温が上がっている。くっついて寝ると暑苦しくて堪らないが、布団を別にする気はなかった。

「このばか…」

耳元に吹きこみ、マヌケに開いた口に小さくキスを落とす。

じっと見つめる寝顔は、実にマヌケだ。百年の恋も醒める。醒めればいいと思う。一向に醒めてくれないのは、自分も酒に酔っているからなのか。

「…ゃ、くそく…」

「酔っ払いめ」

寝言に罵倒して、電気を消した。

横になったからだに当然のように回される腕は、力強い。

本音だったらいいのに。

ぽつりと考えたような、夢の中でつぶやいたような。