「…おや」

かっちりと身支度を整えてキッチンへ入ったラヴェンダーは、思わず小さな声を漏らした。

いるとは思わなかった人物が、キッチンに立っている。

Parsley,Sage,Rosemary,& Thyme-02-

「あれ、珍しい、姉さん。自分で起きたんですかい」

「珍しいとはなんだ、オラトリオ」

偉そうに返し、ラヴェンダーは新聞を取ると、食卓の自分の椅子に座った。

向かいのオラトリオの席には、弟そっくりの顔をしているのに、遥かにかわいらしいという複雑怪奇な現象を巻き起こしている従兄弟が座っている。

「お邪魔してるよ、ラヴェンダー」

「うむ。寛いでゆけ」

鷹揚に返し、コーヒーを啜った。

新聞を広げようとして少し考え、忙しく朝食とお昼の弁当の支度をする弟と、いつにも増してぼんやり度の上がっている従兄弟を見比べる。

「…未遂か?」

「ごふっ」

オラクルが紅茶を吹き出しかけてむせた。上品な彼に似合わぬ失態だ。

「なにしてんだよ、大丈夫か?」

「っじょぶ、だからっ、いーからっ」

換気扇の近くにいたせいでラヴェンダーの声を聞き逃したらしいオラトリオのほうは、突然むせたオラクルに呆れ顔だ。

朝食を作る手を止めて世話を焼こうとやって来たのを、オラクルが慌てて追い払いにかかる。

「ちびたちが遅刻したらどうするんだよ」

「これくらいでそんなへまするか」

世話を焼きたくてうずうずしているオラトリオは、常とまったく変わった様子がない。

対するオラクルは珍しく、オラトリオを邪険に扱う。

――うむ、黄金パターンだ。

ひとり納得して、ラヴェンダーはふんぞり返った。

「相変わらずか、進歩のない弟め。私は悲しいぞ」

「ラヴェンダー!」

「姉さん?」

悲鳴を上げるオラクルと、きょとんとするオラトリオ。いつもと配役が逆だ。

言葉を続けようとしたラヴェンダーは、オラクルの必死の目配せに、ちょっとだけ口を噤んだ。

「…おい?」

オラトリオが剣呑な眼差しになる。

慌てるオラクルと目線で通じ合うラヴェンダーを交互に睨めつけ、どちらから攻略しようかと謀る顔になった。

だが、そんなものに怯むラヴェンダーではない。彼女は身を乗り出して、鉄壁の無表情をオラクルに近づけた。

「ほんっとぉおお~に、まっっったく、進歩がないんだな、我が弟は?」

「あ~…そんなことも。………ない、けど。………人前では、あんまりやらなくなってきたし」

「だが、おまえとふたりだと変わらんのだろう。違うのか?」

「はは…」

ふたりだけにわかる会話をされて、オラトリオの目つきがますます剣呑になっていく。

ほとんど危険水域だったが、オラトリオを背後に従えているオラクルには見えないし、ラヴェンダーは怯むということを知らない。

「なんのお話ですかね、おふたりさん?」

恐ろしく静かに訊いたオラトリオは、ほとんどラスボスと言ってよい迫力だった。

オラクルは原因不明の悪寒に震えて首を傾げ、ラヴェンダーが形の良い眉をきりりと吊り上げる。

「おまえの酒癖の話だ」

「…は?」

あっさり教えられて、オラトリオから毒気が抜けた。

きょとんとしたその顔に、ラヴェンダーは見るものが見ればわかる、実に苦々しい表情を浮かべた。

「昨日、飲んだのだろう。オラクルの家で、オラクルとふたりで」

「飲みましたけど」

それがなんすかと返すオラトリオの下で、オラクルが必死にくちびるに指を当てていた。言わないで言わないで、と言葉もなくラヴェンダーを拝み倒す。

ラヴェンダーが斟酌してくれる様子は見えない。

「どこまで記憶している」

「どこまでって…」

優秀なあまり、若くして大学で教鞭も取っている、現役弁護士であるラヴェンダーの舌鋒は鋭い。

立場はあっさり逆転して、オラトリオのほうが気弱に記憶を漁った。

「あーと、一升瓶を…二本、空けてえーと」

「…」

痛いほどの沈黙。

オラクルの瞳に浮かぶ感情は、背後に立つオラトリオに窺い知ることはできない。

ひとしきり記憶を漁り、オラトリオはセットしていない頭をがりがりと掻いた。

「三本目空けて…なかったよな。まだ残ってた。あー…てきとーに寝たんじゃないっすか?」

「…」

深いため息が二色、同時にこぼれた。含まれる意味が違う。

オラクルは安堵から、ラヴェンダーは呆れ果てて。

「まったくもって進歩がないとは、ほんっきで私は情けないぞ、オラトリオ…」

「いいから、ラヴェンダー。大丈夫だから」

「…なんだよ?」

俺、そんなに酒癖悪ぃの?

眉をひそめて覗きこんでくるオラトリオの顔面に、オラクルは容赦ない平手を突っこんだ。顔はにこやかだ。

「いいから、もう。早くごはん!」

「あにょにゃあああ…っ」

鼻を押さえるオラトリオがなにか言うより先に、ちびとシグナルが駆けこんできた。

「オラトリオ、ごっはんごはん!」

「オラクルくんっ、だっこですぅううう!」

「あー、はいはい、おいでちび」

反射的に時計を見て、オラトリオは小さく毒づいた。思った以上に遊んでしまった。

慌ててキッチンへ戻る。

「…大丈夫とは言うがな、オラクル」

「いいんだよ、ラヴェンダー。ほんとに。大したことないんだ、あんなの全然」

ちびを膝に乗せてあやしながら、オラクルが笑った。

弟とそっくりな顔をした従兄弟は、弟からは決して感じない儚さを感じる。

そんな笑い方をされると、いつかどこかに消えてしまいそうな気さえする。

弟だったら間違いなく捻りあげているところなのだが、この従兄弟にそういう教育方法を取る気になれず、ラヴェンダーはコーヒーを啜って新聞を広げた。

だが、念を押すのは忘れない。

「いいか、いざとなったら私にきちんと言うのだぞ。弟だろうが容赦はしない。全力でおまえの味方をしてやる」

「はは…」

二枚舌を操る弁護士とはいえ、ラヴェンダーがこのうえなく本気だということは、いかな世間知らずのオラクルでもわかる。

家事一切を請け負っているのも、弟たちを「育てた」のもオラトリオだが、躾に厳しいのはラヴェンダーのほうだ。

彼女は弟たちが法の道を踏み外すことを、絶対に赦さない。

それは、普段「主夫」として家の中を取り仕切っているオラトリオも例外ではなく。

わかるから、確かに「そう」なったとき、ほんとうに怖いのはもしかしてコードではなく、ラヴェンダーのほうではないのか、という危惧さえ感じる。

乾いた笑いをこぼし、オラクルは膝の上で暴れるちびを抱え直した。

「うん、まあ。そのときは、お願いするよ」