オラトリオの特殊な酒癖は、初めて酒を飲んだときから発揮された。

Parsley,Sage,Rosemary,& Thyme-05-

オラクルは厳格な兄に庇護されて、正月のお屠蘇と雛祭りの白酒以外でちゃんとした酒を飲んだのは、二十歳となって成人式を迎えてからだ。

オラトリオとて法の道をひた走る姉がいたわけで、あんなおちゃらけさ加減でも、酒を飲んだのは二十歳になってからという堅実さ。

そして、法の道をひた走るラヴェンダーは、コードとはまた違った教育方針の持ち主だった。

オラクルはコードに、酒は人生の添え物、ほどほどに嗜めばよい、と教えられた。

だがオラトリオはまず、自分の限界に挑戦させられた。

酒を飲むとどんなふうになり、限界に達するとどういう状態に陥るのか。

それを把握してこそ、飲酒による犯罪が防げるとの考え方のラヴェンダーは、容赦なく弟を追いこんだ。

それは、ふたりの成人式のお祝いの席だった。

親しい人間だけで集まり、和やかな空気で会が進行する中、ラヴェンダーとオラトリオの席だけが熱かった。ある意味寒かった。

初めてでこんな無茶な飲ませ方をしたら、オラトリオは死ぬかもしれない。

メンツは戦々恐々としつつも、ラヴェンダーに口を挟めない。

人死に覚悟の和やかな席という、相矛盾した会は、ある意味彼らの常態だ。

そして、オラトリオは唐突にキレた。

黙々と姉が注ぐ酒を片付けていたオラトリオは、心配したオラクルがお酌がてらに様子窺いに行ったところで――

「結婚しよう、オラクル」

完全に据わりきった目で、オラクルを押し倒した。

座卓を蹴っ倒したコードに引き離されると、常の彼からは想像もつかないような駄々っ子ぶりで食ってかかり、兄と従兄弟のオラクル争奪戦という、真冬の南極並みのブリザードな事態を巻き起こした。

結局、泥酔状態のオラトリオがコードに敵うはずもなく、ぼこぼこにされて沈められて終わった。

とはいえ泥酔したオラトリオの粘りには驚異的なものがあり、コードはしばらく、殴っても蹴り飛ばしても死なないモンスターの夢にうなされた。

そんなこんなで大騒ぎのうちに幕を閉じた会だが、問題は次の日だった。

オラトリオは、すっからかんと記憶を失くしていたのだ。

まったくアルコールの後遺症に苦しむこともなく、翌朝爽やかに復活した彼は、会の途中からの記憶がすっぽり抜けていた。

そのときは、コードにぼこぼこにされたせいで記憶が飛んだのかとも思われたが、事態は何度もくり返され、結論。

オラトリオは、酒で理性と記憶を失うタイプだ。

***

「わあ、このクッキーかわいいねえ」

「うむ」

モデルをしているエモーションが地方にロケに行って買ってきたお土産は、ご当地の動物を模したクッキーだった。

「賞味期限のうちにおまえが来られてよかった。まったく、なんとかならんのか、締切りは。毎回毎回」

「努力はしてるんだけどねえ」

コードに叱られて、オラクルは苦笑する。

こればかりはどうにもならない。

努力はしているのだ、オラクルもオラトリオも。

今度こそは余裕を持って仕上げようとスケジュールを立てているのだが、どういうわけか気がつくと毎回追い込み漁。

今月は特に大変だった。

定期連載に、突発の仕事の締切りが重なり、ほとんど気が狂うかという狂騒ぶりだったのだ。

オラクルのアパートにオラトリオと二人で缶詰になり、連荘で徹夜。

最後の原稿をメールで送ったのが、一昨日というよりは昨日の早朝。同じく編集室で缶詰になっているクオータから、原稿受理のメールを受け取って、ばったり倒れこんで眠ること、夕方まで。

それから、締切り明けの妙なハイテンションで買い物に繰り出し、打ち上げと称したふたりの飲み会を開催して。

「…」

オラクルはクッキーの包装を破ると、かわいらしいそれを躊躇うことなく口に運んだ。

ぱりぱりした食感の焼き菓子は、口の中で甘く蕩ける。オラトリオは嫌いだろう。

弟たちのためにはせっせと甘いお菓子を用意する彼だが、自分の分は作らないし、買うこともない。

酒も辛口を好んで、甘口のカクテルなどには決して手を出さない。

「…」

「…オラクル」

にこにこ笑顔でクッキーを食べるオラクルに、コードは小さくため息をついた。

体格こそ自分より遥かに大きくなった弟だが、目に入れても痛くないほどかわいく見えるし、それが贔屓目だけでなく、他人にもそう見えることを知っている。

この弟はかわいらしい。なんというか、醸し出す雰囲気からもう。

だが、長い付き合いなだけあって、この弟が見た目ほどに軟弱でないこともよくわかっている。

自分も鍛えたが、それ以上に生来の気質として、強情だ。

ひととどこかずれた感性のせいで目立ちにくいが、その強情さはあらゆるところで遺憾なく発揮されている。

家を出ると言い出したときも、オラトリオと縁を切れと迫ったときも。

押し切られたのは、コードのほうだった。

「…うまいか」

「うん。おいしいよ」

にこにこ笑顔の弟がなにを考えているか、よくわからない。

周囲には、コード製純粋培養の産物と思われている箱入りオラクルだが、彼の培養には従兄弟の存在が欠かせない。

業腹なことだが、コードとオラクルの年は離れていて、従兄弟とオラクルは同い年だったのだ。学校での保護は彼に任せるしかなかった。

初めは、ふつうの保護者だったはずだ。それがいつの間にか庇護者になり、守護者になり。

悪い虫になった。

どう考えても、アレには看過できないだけの下心がある。

なにを考えてか、いつまで経っても一線を越えないが、あれで一線を越えたらどうなるのかという邪悪な接触ぶり。

ただの従兄弟でも、幼馴染みでも、親友でも、相棒でも、そこまでやったらアウトという線をあっさり越えている。

赦しがたいことこのうえないが、そこでネックになるのがオラクルの反応だ。

無反応なのだ、この弟。

酒の席で押し倒されたときにはさすがに慌てていたが、それ以外の日常での接触には、ほぼ無反応。

そんなに触るやつがあるかというほどにべたべた触られても、それこそ、口の端についたものを舐め取られても。

「オラトリオって過保護なんだよ」

の、一言で終わり。

それも、あの無邪気な笑顔で、なにを騒いでいるのかとばかりにきょとんとして。

だが、そんなことがあり得るだろうか。オラクルだとていい年だ。

コードとしては涙に咽ぶところだが、性的な知識がまるでないということはないはず。世間知らずと指差されていても、オラトリオの接触は度が過ぎていると判断できるだけの常識はあるはず。

なのに、無反応。

まるでなにも感じてないとばかり。

そこまでの反応をされれば、それはまあ、いくらあのひよっこがヨコシマでも、手を出しあぐねるだろうが――

コードとしては、弟の強情さが発揮されているような気がしてならない。

これでいてなにかしら密かに怒っていて、絶対に反応してやるものかと、決めているような。

「今日は夕餉を食べていけるのだろうな」

とりあえず、オラクルに会いたいのは兄である自分だけではない。

エモーションだって、会いたいからこそ口実のためにわざわざ土産を買ってくるのだし、彼女が学校に行っている間に帰してしまったら、それは盛大に拗ねることだろう。

訊いたというより念を押したコードに、しかしおっとりしていながら薄情な弟は、あっさり首を横に振った。

「ごめん。今日は帰る。昨日は遅かったから眠くて」

「おまえな、締切りは一昨日だと言っていたではないか。昨日の晩までなにをして」

いきり立って腰を浮かせたコードは、その拍子に今まで見えていなかったものが見えた。

遥かに背の高くなった弟の襟元は、常態ならよく見えない。だが、彼が座っていて、自分が腰を浮かせれば、見えるものが。

これ見よがしな、絆創膏。不自然極まりない、その配置。

「…おまえ、昨晩、だれとなにをしていた」

「あー…」

地を這う声で訊ねられて、オラクルはわずかに仰け反った。

コードが、酒に酔ったオラトリオを容認していないことは、よくわかっている。これからも付き合いを続けるなら、せめてやつとは飲むな、とも厳命されている。

乾いた笑いを張りつかせたオラクルに、コードは事態を正確に読み取った。いや、やや、穿って読みこみ過ぎた。

「そうか、やつめ、とうとう…とうとう、俺様の弟を…よくも、ひよっこの分際で俺様の弟に…」

「コード?」

わなわなと震えるコードは、やおら立ち上がった。

「斬り捨てーーーーるっっ!!」

「わあ、コード待てなにか誤解がある!!」

床の間に駆け込んで愛剣を持ち出そうとするコードに、オラクルは必死で取りすがった。

「なにが誤解じゃいおまえ、そんなものをご丁寧につけてきておいて、なにもなかったと言うつもりか!」

「なにもないなにもないなにもないっなにを言ってるかわからないが、とにかくなにもないいつもどおりだってば!」

「なにを言ってるかわからなくてなにもないことがあるかええい、今日という今日は勘弁ならんそこまでやってなにもないとはどういうことじゃーいっ!」

双方ともに、自分たちがなにを言っているかわからなくなった。混乱とはそういうものだ。

常に上品に静まり返っているカシオペア家は、一時俗界そのものの騒ぎに呑みこまれ。

「わかった…ほんとうっに、なにもないんだな…」

「ない…ほんとに、なにもない…」

ぜえぜえと肩で息を継ぎ、コードとオラクルは畳に転がった。

オラクルの粘りは驚異的だ。彼の泥酔した従兄弟を彷彿とさせる。

違うのは、あくまでもかわいいと思えるということだ。

「おまえ…それでいいのか」

疲れ果てたコードは、小さく本音をこぼした。

弟の考えていることはわからない。

だが、これまでの経緯を見るに、断腸の思いだが、あのひよっこにはまったく望みがないわけではないと思うのだ。

彼がその気になりさえすれば、弟はあっさりすべてを受け入れるだろう。

「…いいんだ」

答えたオラクルの声の硬質さに、コードは舌打ちした。

やはり、いつかは。隙を見つけて、あのひよっこを叩きのめさねばなるまい。

彼の弟に手を出したつけは高いのだ。なにより、こんな声を出させるなど万死に値する。

だが、今はとりあえず保留だ。

疲れたし、なにより弟が傍で目を光らせている。