朝早く目が覚めるのは、主夫としての習い性だ。

目覚まし時計が無くても定時に起きられるのは、几帳面だからだと言われる。

昨夜どれほど酒を飲んで、どんなに乱れたとしても、その習性が損なわれることはない。

五時半にはしっかりと目が覚めて、オラトリオはため息をついた。

拷問だ。

Parsley,Sage,Rosemary,& Thyme-14-

「んう…」

健やかな寝息とともに、オラクルが顔をすり寄せる。

オラトリオが抱きしめているだけでなく、自分から身をすり寄せて来るそのさまは、ほとんど憎いほどに無邪気で無防備だ。

なにひとつとして、警戒されていない。

ちっとも有り難くない現実が、そこにある。

ここぞという一線は越えないまでも、かなり際どいことをしてきた自覚があるのに、自信ががらがら崩れる。

これを素直に好意の表出だと取ることは容易い。

問題なのは、どんな種類のどの程度の好意なのかがわからないということだ。

周囲はおまえの自業自得だと言うが、過保護を通り越した過剰保護をしてきたツケが回ってきて、オラクルの純粋培養ぶりは半端ではないことになっている。

もちろん、オラクル本人の資質も大きく関係しているのだが。

「…」

たおやかにしがみついてくるからだに、そっとからだを押しつける。足を絡め、腰に回した手に力を込めた。

「ん…」

一部穏やかならぬ気配を感じて、オラクルがそっと顔をしかめる。だが、離れていく気配はない。

それどころか、まさに「危害」を及ぼそうとしているオラトリオへと、ますます身をすり寄せて来る。

オラトリオが、自分に「悪いこと」をするわけがない。

無限の信頼。下心を弾く鉄壁の防御。

――少なくとも、今までなら、これでぐずぐずに挫けていた。

ここまで底なしの信頼をぶつけられて、それを裏切るようなことが出来るやつがいたら、お目にかかってみたい。

臆病だなんだと謗られても、嘲られても、出来ないものは出来ない。

傷つけたくないのだ。

守りたいのだ、どこまでも。

そのまっすぐな瞳が翳るのを見たくない。

好きだという気持ちを通じ合わせるよりなにより、そちらのほうが重要で。

かえって、傷つけていたのだと、わかった。

これだけ傍にいて、あれだけ長く付き合っていて、それでこのざまはどうかと思う。

近過ぎて、長過ぎて、かえって目が曇っていたのだろう。

いつからか、疚しい気持ちゆえにまっすぐ見られなくなっていたあの瞳を、きちんと覗きこめばよかった。

自分のこころが歪んでいるからと塞いでいた耳を、きちんと傾ければよかった。

嘘をつけないオラクルは、きっと笑ってしまうほどまっすぐに、自分を好きだと言っていただろうに。

「…わかんないおまえもどうかと思うけどな」

耳朶を食むように吹きこむ。くすぐったそうに身を縮めるが、起きる気配はない。

あれだけの接触を持たれていて、自分に都合よく解釈しないオラクルの鈍感さ加減にも呆れるが、彼の感性はもともと、ひととあまりに違う。

普通のひとに期待できるまま、わかってくれるだろうと期待するのは慢心だ。

常々、そのことを腐しているくせに、ほんとうにはわかっていなかった。ばかばかしい遠回り。

「…人間て欲張りだなあ…」

安心して寝込むオラクルを眺め、オラトリオはある意味において感心してつぶやいた。

傍にいてくれればいいと思っていた。いちばんでなくても。

それがいつか、傍にいてくれなければいやだと思うようになって。

いちばんに想ってほしいと望んで。

自分だけのものにしたいと願うようになって――

「…」

抱く腕に、わずかに力を込めた。隙間なく、ぴったりくっつくからだ。

「んん…」

不穏な感触に、オラクルの眉がひそめられる。瞼が震え、うっすらと開いた。

小さくこぼれる吐息。

眠気に霞んだ瞳は、いつもの無邪気さが隠されて艶やかだ。

「…何時?」

掠れた声がつぶやく。

オラトリオはわずかに視線をやって、時計を確認した。

「六時」

「…ん」

がっちりと抱えられたからだを、オラクルがもぞつかせる。手がオラトリオから離れようと胸を押す。白い肌が朱に染まって、朝から目の毒だ。

オラトリオは笑って、さらに強くオラクルを抱きこんだ。

オラクルは戸惑う声を上げる。

「…家に帰らないと、まずくないか」

「そうだな」

「シグナルたち、待ってるだろ」

「だろうな」

「ようやく締切り終わったんだから」

「よかったよなー」

「ちびだって…」

「だよな」

「……オラトリオ…っ」

言い募るのを適当にいなしていたら、とうとう弱々しく啼いた。

上がる息を堪える声は甘く、かわいらしさに胸が高鳴る。

胸が高鳴るだけでは済まないのが、もちろん、男の業というものなのだが。

「放せ」

「いやか?」

確たる拒絶になりきらない、弱々しい抵抗に、オラトリオは笑って訊く。

離れようと引く腰を撫でると、オラクルは嬌声紛いの吐息をこぼした。困惑と羞恥に潤んで瞳が揺れる。

あまりのかわいさに、オラトリオのからだに痺れが走る。反応は顕著で、あまりにあからさまで、オラクルはますます羞恥に顔を歪めた。

瞳にきり、と力が篭もり、だがどこまでも甘く睨みつけられる。

「あたってる!」

「おまえもな」

吐き出された文句に、さらりと返す。

そこは普通の男らしくてよかったと思う。真実、こころの底から。

ここまで違ったら、もうどこから手をつけていいかわからないところだ。

一瞬口ごもったオラクルは、力では敵わず、オラトリオを押しのけられない。

癇癪を起こす寸前の顔になって、オラトリオの頬をつまんで引っ張った。

「朝だから仕方ないだろう!」

「ひゃいひゃい」

軽くいなすと、どうしていいかわからないという顔になった。

オラトリオがわざと腰をもぞつかせると、涙目になって俯き、胸に顔を埋める。上がる息が胸にかかって、からだ全体に熱を運ぶ。

「どうして…っ」

「朝だからってだけでもないからな」

「は?」

こころが震える。

湧き上がる興奮と怯懦で、口から胃が出て来そうだ。らくだでもあるまいし、と下らないことを考えて思考を拡散。

あまりにあからさまなやり方に、さすがに朱に染まるオラクルにも勇を得て、オラトリオは笑った。

耳朶にくちびるを寄せ、熱くなっているそれを口に含む。

「おまえも男なら、経験ないか?」

歯を立てると、嬌声とも取れるか細い悲鳴が上がった。背筋が反る。寝起きで頭が働きだしていないからこその、この素直過ぎる反応でもあるのだろう。

強情なことは他に負けないオラクル。

――おまえいつも痛そうだから、傷つけたくないんだ。

こぼした本音は、どこまでも優しい。

その読み取った意図が多少ずれていたとしても、彼の優しさを損なうことにはならない。

恐れのあまりに身動きが取れなかったのはふたりともで、顔ばかりが似通っていたわけではないのだと思うと少しおかしくもあり、うれしくもあり。

意味不明なオラトリオの言葉を拾おうと、顔を上げたオラクルのくちびるにくちびるを落とす。抵抗もなく受け入れられたのをいいことに、無防備な口の中をひと舐めして離れた。

「…っ…」

閉じられることのなかったオラクルの瞳が、ゆらゆら揺らいでいる。不安そうな、迷子になったような、怯える光が閃いては粘膜を飾る。

この瞳を舐めたら、どんな味がするだろう。

自分を見つめたまま抉り出したなら、いつでも浮かぶ残影は自分ひとりにならないだろうか。

「好きだから」

怯懦に閊える咽喉を押して、ようやく言葉を吐き出した。

胃が飛び出しそうだ。心臓が今にも止まりそうで、呼吸が苦しい。

「おまえが好きだから、こんなふうに抱いてたら、勃っちまう」

わずかにおどけて、けれどどこまでも真剣に告げる。見つめる瞳が見開かれ、息を呑んだ。

「おまえはそんなことないか好きなやつとくっついてたら、むらむらして、勃たないか?」

「…」

見開かれていた瞳が、歪む。羞恥に霞み、素早く伸びてきた手がオラトリオの頬をつねった。

貞淑なオラクルにとっては、あまりに下品な言葉の羅列。

わかっていても、飾った言葉では伝わりきらないから。

「俺はおまえが好きだから。こんなにくっついてたら、むらむらして勃っちまうよ」

手を掴んで、甲に口づけた。

指をたどり、爪を含む。

震えた爪先は、戸惑うようにオラトリオのくちびるを引っ掻いた。