朝は絶望に彩られているものだと決まっていた。

それが、どういうことだろう。

まだ夢の中にいるのか、それとも。

Parsley,Sage,Rosemary,& Thyme-15-

「オラトリオ。おまえ…」

含まれた指先を取り返しながら、オラクルは混乱する頭を必死で取り纏める。

あまりに長かった不遇に、頭が不幸慣れを起こして警告しか発さない。

「まだ、酔って」

「一晩経って、まだ残ってるわけがあるかつうか一晩待ったんだぞ真剣に聞け!」

「…はい」

がば、と起き上がったオラトリオに上から押さえつけられる形で叱られて、オラクルは身を竦ませた。

ダイレクトな感触がなくなってわずかにほっとしたものの、散々に煽られたからだは微妙に落ち着かない。

これ、自然に治まるだろうか、と頭の片隅で戦々恐々しつつ、オラトリオを見上げる。

「俺が翌日に酔いを持ち越したことがあるか」

「ないです」

「つまり今は素面だ。正気だ。まともだ。好きだ!」

「うん」

どこかキレ気味に、ヤケクソに叫ばれる。言葉のすべてを追えずに、オラクルはとりあえず頷いた。

素面だ。正気だ。まともだ。好きだ。

好きだ?

言葉が反響する。ばかみたいに。

頭はすっかり不幸慣れしていて、その意味をうまく取れない。

好きだ。

好きだから…勃っちまう。

勃っちまう。

「…っ」

あまりにあからさまな言葉を思い返して、声が詰まった。

オラトリオの顔を見られなくなる。からだに押しつけられた熱は、言葉に嘘がないことを証明していた。

それにしても、あまりにあからさま過ぎて。

「…っ」

言葉に変換できず、吐息ばかりがこぼれる。

顔を背けて息を継ぐオラクルに、一旦は離れたからだがゆっくりと降りてくる。

それはだめだ。またあの熱を感じてしまったら、頭が滅茶苦茶になって、なにをするかわからない。

混乱する頭をさらにフル回転させて掻き回し、オラクルははたとオラトリオを見つめた。

「オラトリオ。あの。まさか、昨日の。忘れてない?」

驚愕に、うまく文にならなかった。

それでもオラトリオには十分通じて、どこか歪んだ笑いが返ってくる。

「あのな。基本的に、おまえがいなきゃ、俺、記憶失くすほど泥酔なんてしねえの」

「…なんで」

薄々察していた事実だが、こうして改めて告げられるとこころが締めつけられる。

見つめるオラクルから目を逸らし、オラトリオは笑った。

「好きなやつと飲んでりゃ、緊張して、酔いが回るのも早くなる。抑えてるもんが大きすぎて、爆発もする。かっこ悪いけどな」

「…」

そこで、好きなやつってだれだ、と問うのはあまりに愚かだ。なにを抑えているか訊くのも。

「昨日はまあ、飲んだことは飲んだけど、景気づけ程度だからな。しかも、いろいろショック過ぎて酔える気分でもなかった。とにかく頭が冴えて冴えてなあ」

「…」

惚けた声で言われて、こころが震えた。では、やはり、いつもと違うと感じたのは正しかったのだ。

どうしてあそこで、アルコール臭に負けて、「酔っている」という主張を容れて、ぼろぼろ言葉をこぼしてしまったのだろう。

あまりに迂闊だった。

「…の、たくらんけ…っ」

細い声で罵った。

よくも騙してくれたものだと思う。そのうえ、朝起きたらいきなり、好きだとか。好きだとか。

そう、好きだとか。

焦点を思い出してしまって、オラクルはまたも混乱のどツボに嵌まった。

揺れる瞳に、オラクルの混乱を察したのだろう。

ひとの悪い笑みを浮かべたオラトリオが、離れていたからだを落とす。

わずかにずれて、ダイレクトな感触同士を触れ合わせることはなかったものの、それでもそこに意識が行ってしまう。

こういうとき、どうすればいいのかがわからない。

熱が当たる太ももを、わずかに押し上げた。オラトリオが軽く顔を歪める。

小さく息を呑んで、オラクルを困ったように見た。

「煽ってどうする」

「…だって」

好きだから、勃つと言った。勃つということは、つまりナニがあれでどうしてこうして。

「そもそもおまえが」

恨みがましくつぶやき、目を逸らす。

ちらり、と睨み上げると、なぜか太ももに当たる熱が増した。驚いて、身動きが取れなくなる。

「…まあ、俺が悪いんだけどよ」

ほんの少し反省した声音でつぶやいて、オラトリオはわずかに腰を浮かせた。

ほっとするの反面、微妙な寂しさが胸を埋める。

素直さが売りのからだは考えるより先に、オラトリオの腰に腕を回した。遠慮しつつ、しかしはっきりとしがみつく。

「…オラクル」

「好きだっていった」

責める響きに、そんな筋合いはないと言い返す。

「すきだっていった…」

つぶやきながら、瞳が潤む。あまりに長かった片思いのせいで、ほんとうに相手の言葉を容れていいものかどうか、未だに悩んでいる。

オラトリオは嘘つきだが、こんな性質の悪い嘘はつかない。だから、これはほんとう。

でも同時に、オラトリオはひどく自分に甘いことも事実。

昨日の告白を覚えているなら、憐れんでそんな嘘をつくかもしれない。

霞む視界でオラトリオを睨むと、束の間視線が逸らされた。だが、いつもはそのまま戻ってこない視線が、すぐに戻ってきてオラクルを受け止める。

揺れながらも受け入れて、返してくれる。

「…ああ。好きだ」

囁かれる低音は、鼓膜から全身を震わせる。

視線を逸らしたのはオラクルのほうで、からだに走る痺れを堪えようと、きゅ、と瞳を閉じてしまった。

「好きだ、オラクル。おまえが好きだ」

オラトリオは何度も囁き、啄むキスを落とす。額に、頬に、耳朶に、うなじに。

熱が首をなぞっていって、オラクルは堪えきれずに小さく声を上げた。

もっとしてほしいのか、止めてほしいのかわからないまま、オラトリオの胸を掴む。

押したらいいのか、引けばいいのか。縋りつくのが精いっぱいで、先に進めない。

「オラクル。なあ、いっぱい傷つけて悪かった。いっぱい辛い想いさせて悪かった。おまえはいつだって、全身で俺のこと好きだっていってたのに」

「…そんなの」

震えて、声がうまく継げない。閉じていた瞼を懸命に開き、見つめたオラクルに、オラトリオは優しく微笑んだ。

「なあ。頼むから、好きだって言ってくれ。酒に酔ってない頭で聴きたい」

「…そんなの」

必死で、息を継いだ。閊える咽喉に力を込める。

そんなの。

「いくらでも…っ。おまえが、好きだ、って。全部、なにもかも、だれよりも、好きだ、…って」

吐き出した途端、オラトリオのくちびるが降ってきた。

酔っ払っているときとは違う、けれど同じくらいの激しさで求められる。

絶妙な加減で息を継がせながら、長くしつこく漁られて、なぞられて、からだの奥に火が灯った。

ぞわぞわと這い上がる感覚は次第に強くなっていき、頭を眩ませる。キスで濡れたくちびるが首に戻り、きりりと牙が立った。

「…っ」

オラトリオのからだを抱いて、オラクルは仰け反った。堪えきれずに、細い声がこぼれる。

「オラクル」

吐息が直接肌に当たって、アルコールが抜けたと主張しているわりには熱い手が、パジャマの中に入りこむ。

されていることはわかっても見ることができず、オラクルは視線を泳がせた。

ふ、と時計に目が行く。

六時四十五分。

ろくじよんじゅうごふん。

「…っ、オラトリオ!」

今までとは種類の違う悲鳴を上げて、オラクルはオラトリオを跳ね除けて起き上がった。

きょとんとするオラトリオに、時計を指差す。

「時間ごはんちびたち!」

叫ぶと、オラトリオはしばし呆然としてから、がっくり項垂れた。

そんなことをしている場合ではない。

早く家に帰って、ちびやシグナル、ラヴェンダーに朝食と、昼の弁当を作らなければ。

ようやく一週間にも渡る締切り戦争が明けたところなのだから、家族サービスに努めなければいけないはずだ。まだまだ庇護者が必要なちびやシグナルにとって、オラトリオとオラトリオの作るごはんは大事な存在なのだから。

「…おまえって、そういうやつだよなあ…」

「急げ、オラトリオ!」

がっくりつぶやいたからだを揺さぶると、手が取られて、あれよという間に再びベッドに転がされていた。

「おまえも男なら、男の生理ってもんを理解しろ!」

叫んで、オラトリオは強引にくちびるを落とした。

抵抗する気も失せる、激しいキスの雨。

オラクルは容易く溺れさせられてしまった。