YouR WiSH CoMEs TRue

「へんなの」

感情を隠すことを知らない<ORACLE>管理脳は、ごく素直に不思議そうな顔で、色紙で彩られた笹の葉をつつく。

きちんとした演算の上に出現している笹の葉は、オラクルの刺激にさらさらと葉擦れの音を立てて揺れた。

「これで願いが叶うなんて…」

「叶わねえよ」

子供が聞いたら泣き出しそうなくらいの冷たい声音で即座に切って捨てたのは、笹の葉を<ORACLE>に持ちこんだ張本人であるオラトリオだ。

知の巨人として<神託>を預かるオラクルは、確かに知識量においてはずば抜けたところがある。だが、情緒面ではひどく子供っぽく、無垢で、そして常識知らずだった。

非常識の上を行っているのだが、そこを表す絶妙な言葉をオラトリオはまだ学習できていない。

そして、そのオラクルに、「そう、どんな願いも叶うんだぜ☆」と言った日には、今時の幼稚園児でもそこまで突き抜けて信じはしないというほどに、無邪気に信じこんでしまう。

信じた結果として起こるあれやこれやは、すでに、「この世間知らずが(笑)」で済むレベルを超えている。

「…え、でも、オラトリオ…」

「便宜上そうは言ってるけどな。笹に短冊吊るしたって、願いなんて叶わねえよ。だいたい、だれが叶えるんだよ。織姫と彦星は逢引で忙しいし、ひとの願いなんざ聴いてる暇なんてねえだろ。それも何万人分も」

「…うー?」

納得がいかない顔で、オラクルは首を傾げる。

金や銀、さまざまな色で彩られた笹は、重たげに撓って、それはつまりそれだけ願いが吊るされているという証。

「じゃあ、なんで願いごとした短冊なんて吊るすんだ?」

「それはな、自分への決意文なんだよ」

「自分…の、決意?」

オラトリオの答えに、オラクルはきょとりとした顔を上げる。いつの間にかごく間近に立っていた守護者を、どこまでもきらきらしい雑音色が、無限の信頼を込めて見つめた。

「俺はこういう願いごとがあります。それを叶えるために頑張ります。……なんて素面で言ったら恥ずかしいからな。だれかへお願いするんだって形で、みんなに宣言するんだよ」

「…はずかしい……の、か?」

感情に疎いオラクルは、オラトリオの説明が呑みこめない顔だ。首を傾げて、笹の葉を見上げる。

書かれた願いは、どれもこれも他愛ない。

これを実際に宣言したところで、なにが恥ずかしいというのだろう。

「ま、短冊をお願いした連中が、オトナだからな。ここにあるのは、だれに見られてもいいような、他愛ない願いばっかだけど……人間の子供の願いって、時に、とんでもないことがあるからな」

「とんでもない?」

「まあ、そのうち、おいおい」

言葉を濁して、オラトリオはオラクルの手を取った。

なぜなぜなあに攻撃が始まる前に、抵抗を知らないからだを抱き寄せて、胸に仕舞いこむ。

「それに、たまにはな。こういう願いごとを見ただれかが、これくらいの願いなら叶えてやるか、って気になったりするんだ」

「オラトリオ?」

疑問符を飛ばすオラクルを抱えたまま、空間をシフトする。

<ORACLE>の中につくった、特別階層へ。

「それはたとえば、紛いものだったりするけれど……」

「わあ!」

オラトリオの言葉に被るように、オラクルが歓声を上げる。頼もしい守護者の胸の中から出ることはなく、それでも首を伸ばして『空』を見上げた。

真っ暗な闇に浮かぶ、まばゆいほどの星空を。

「すごい、きれいぴかぴかきらきら!」

子供のような語彙で叫ぶのは、オラクルがそれだけはしゃいでいる証拠だ。

コートをぎゅ、と掴んで引っ張られ、オラトリオは笑う。

「『星空が見たい』だろ」

「え?」

「短冊には書いてなかったけどな。前、言ってたじゃねえか」

「…」

オラクルは軽く瞳を見張り、雑音色を忙しなく瞬かせる。

それは、確かに言った。

外に出たら、なにがしてみたい。

訊かれて、空が見てみたい、と。

星空と、雨と、……

そのときは、それは一度にいっぺんには見られないものだ、と世間知らずぶりをお説教されて、……それで、終わったものだと思っていた。

「短冊、書かなかったな」

「……だって、願いごとって、よくわからないし」

気まずそうにオラクルはつぶやく。

定義がよく理解できなくて、理由がよく理解できなくて、結局、なにをどう当てはめれば正解なのかがわからなかった。

なにを書いても違うような気がしたし、曖昧なものでいいんだと言われると、もっとよくわからなくて。

「いいさ。今はまだ」

「ん」

オラトリオがやさしく囁いて、項垂れるオラクルの頭を撫でる。頬に軽いキスが落ちて、オラクルは瞳を細めた。

「そのうち、おまえにも願いが生まれる。そうしたら、そのときは俺が全力で叶えてやるから」

「…」

甘やかす言葉に、オラクルの胸が騒いだ。

どこまでもやさしく、甘く、オラクルのために生きるオラトリオ。

いつもおちゃらけたことばかり言うけれど、こういうときに言ったことを覆したことはない。

だから、オラクルがなにかを望んだときには、きっと、オラトリオは全力でそれを叶えようとしてくれるはずだ。

それが、自身の存亡に関わることだったとしても。

「…?」

「オラクル?」

くら、と世界が回って、オラクルは額を押さえた。

からだはオラトリオに抱えられたままなので転がらずに済んだが、気持ち悪い。とても立っていられない。

「……だめ、みたいだ……」

泣きそうな心地で、つぶやく。

ここは<ORACLE>の中だとはっきり認識していても、「外」を模した広がりに、思考統制が暴れているのだ。

気持ち悪いのは、早く<ORACLE>へ還れと叫ぶプログラムの暴走。

身に纏う雑音色を激しく明滅させるオラクルを抱えるオラトリオの腕に、力が篭もる。

「大丈夫だ」

言葉とともに、杖が振るわれる。

電脳最強の攻撃プログラムを搭載した、オラトリオの相棒。

空間に広げられた『星空』がみるみるうちに収縮していき、取り払われる。

現れたのは、無機質なグリッドと、オラクルを囲み続ける境界の柵。

それすらも一瞬で消えて、オラクルはいつもの執務室に戻って来ていた。

「……ごめん」

目が回ってひとりで立っていられず、オラトリオにしがみついたまま、オラクルは小さな声で謝った。

せっかく、オラトリオがオラクルを喜ばせようとして用意してくれたイベントなのに。

「気にすんな。薄々、こんなことになるってわかってたしな」

「…ごめん」

謝るしか思い浮かばない。

それは正確にはオラクルの咎ではなく、オラクルの製作者たちの咎なのだが。

指摘してやることもなく、オラトリオは震えるからだを腕の上に抱き上げる。

現実世界なら大した荷重がかかるはずだが、電脳空間に住まうオラクルは重さを演算に入れていない。たまにオラトリオが指摘して入れてもらうが、大抵は羽のように軽い。

触感はあってもあまりの軽さに心もとなくなりながら、オラトリオはオラクルを抱えて来客用のソファに座った。

項垂れるオラクルを膝に乗せ、色を失くしている頬を撫でる。

「ちったあ、気分がましになったか?」

「…ん」

頷くが、いつもの元気さがない。

オラトリオは小さく笑うと、やわらかな触感の頬をつまんで弄んだ。

「ましになったんなら、顔を上げろ。ほら、見てみ」

「え?」

促されて、オラクルが顔を上げる。オラトリオはオラクルを支えていない、空いているほうの手を優雅に差し出した。

その上に乗っているのは、真っ黒な球体。

「…なに、これ?」

オラクルはきょとんとして球体を見つめる。

真っ黒とはいえ、その球体は全体にパールでも振ったようにきらきらと輝いている。なにかの模様を描いているようだが、法則がわからない。

首を傾げるオラクルに、オラトリオは球体を渡した。

「天球儀だよ」

「てんきゅうぎ…」

耳慣れない言葉に、オラクルが検索を稼働させる。しばしの間があって、身に纏う雑音色が明るく瞬いた。

「天球儀。星空を象った、夜空の模型」

「そう。これなら、おまえだって気分が悪くなりもせずに、星空を愉しめるだろ」

「うん!」

萎れていたオラクルの声が、明るく弾む。

目が痛いほどに雑音色を瞬かせながら、手の中で輝く天球儀を眺めた。

「これな、今んとこシンガポールに合わせてあるけどな。おまえが望めば、俺が今いるとこの星空に変わるから」

「え、星空って、みんなおんなじじゃないのか?」

「おんなじじゃないの~」

言うだろうな、と思っていた感想を言ったオラクルに笑いながら、オラトリオは天球儀に手を翳す。動きに合わせて、星が配置を変えた。

「季節とか、場所とかによって、見える景色はぜんぜん違うんだ」

「そうなのか……」

感心したように頷いてから、オラクルは眉をひそめる。

「…って、それ、まずくないかつまり、星空を見たら、今おまえがどこにいるか、わかっちゃうってことだろ?」

「そう」

「そんなの」

<ORACLE>監察官は、在所情報も機密だ。今どこにいてなにをしているか、は最重要機密に類する。

もちろん、<ORACLE>そのものであるオラクルは常にオラトリオの居場所を感知しているが、それが外部に漏れるようなことは一切しない。

「だから、これはおまえだけの天球儀」

うたうように愉しげに告げるオラトリオに、オラクルは瞳を揺らす。

迷うように天球儀とオラトリオを見比べて、それから小さく頷いた。

「わかった」

つぶやくと、天球儀を抱きしめる。

そうやって、違反規定に触れない程度に、「外」のことを教え続けてくれるオラトリオの好意は、うれしい。

オラトリオが暮らす、もうひとつの世界のことが知れるのは、うれしいのだ。

ふんわりと微笑んだオラクルに、オラトリオはわずかにからだに残っていた緊張を解いた。

オラクルが喜んでくれることが、いちばんだ。

世界に閉じ込められて、決して自由になることがない彼が、こうやって慰められることが、なによりも。

「…お?」

「ん」

知らず微笑んで見守っていたオラトリオに、オラクルが首を伸ばす。腕を回して軽く引き寄せると、くちびるを塞いだ。

薄く開いたくちびるにオラクルの舌が入って来て、とろりと融ける。誘われて、オラトリオはオラクルの中へと潜り、奥底に眠るプログラムを揺らした。

「…どした」

くちびるが解けて訊くと、オラクルが華やかに笑った。

「おまえの願いごとだろう。叶えられそうな願いは、だれかが叶えてやるものなんだって言ったじゃないか」

「…おお、書いてみるもんだ」

茶化す声で、オラトリオは言う。

オラトリオが書いた願いは、「オラクルからキスしてくれますように」。

某師匠が見たならすぐさま淡雪と化されそうなその願いを、オラトリオは堂々と掲げてみた。

叶っても叶わなくても無難な願い、というつもりで書いたその願いだが、叶ってみると意外と本気でかなりうれしい。

「もう一回、叶えてみねえ?」

調子に乗って強請ってみると、オラクルは瞳を瞬かせた。

「そういえば、これ……何回叶えるものなんだ?」

「あー…」

答え如何によっては後々ものすごく面倒になること請け合いの問いに、オラトリオは天を仰ぎ、高速で悪巧みを組み立て始めた。