勿忘草

「あ、いーとこに守護者はっけーんっ♪」

「っっ」

かん高い声が朗らかにさえずって、オラトリオは思わずつまずきかけた。

もちろん、そんな愚を犯すことなど出来ない。背後の声はなかったことにして、ずんずん歩く。

ここで「守護者って呼ぶな!」とツッコミに行けば、自分という存在がなにかしらの『守護者』という職分であることが明らかになり、じゃあなんの守護者なの…と、無為な詮索を呼ぶことになる。

そこからどう辿って、<ORACLE>へと道筋をつけられるかわからない。

ゆえに、主にアトランダム・ナンバーズが犯してくれる、この手の危険振り撒き行為はすべて無視が鉄則だ。

現状、その稼働中のA‐ナンバーズがほぼすべて自分の先輩であり、無視した日には手痛いお仕置きが待っていようとも――オラトリオの職分は職分だ。

先輩後輩の仲より、ずっとずっと優先すべきことがある。

「あーもう、無視しないでよー聞こえてるでしょー、おらと」

「よし潰れろ妖精さん♪」

「んっぎゃーーーーっっ!!!」

周囲の注目を集めるスタイルで、さらに注目を呼ぶかん高い声を遠慮なく張り上げて追って来た妖精――世界初のヒューマンフォームロボット、大先輩中の大先輩であるハーモニーを、オラトリオは容赦なく両の手のひらに包みこんだ。

そのまま、大きさと力に物言わせて手の中に丸めこむ。

「し、しむっ、つか本気でツブれるっ、いやぁあああっ、たーすけてぇええええ!!」

「本気で潰したくなってきた……………!」

手の中に入れ込んですら、静かにもおとなしくもならない。

からだは小さくても声は大きい先輩の絶叫に、オラトリオは人気のない場所へと駆けこんだ。

ここがアトランダム本部で助かった。馴れた場所なので、隠れ場所を探すのに手間取ることもなければ、そこへの侵入に躊躇うこともない。

だが逆を言うと、ほぼすべてのA‐ナンバーズが揃うアトランダム本部でなければ、この手の危険に晒されることもない。

「ったく」

「ぶっは!!」

舌打ちしながら手を開くと、ハーモニーは大げさなほどに震えてからだを伸ばした。オラトリオの手に乗ったまま、薄い六枚羽を軽くチェックする。

「もー、オラトリオくんたら乱暴者なんだからなー」

「だれが俺を乱暴者にしているんでしょうねえ!」

「えっ、だれのせいなの?!」

「…」

これが本気で訊いているから救われない。

羽のチェックが終わったのを見計らってから手を振ると、ハーモニーはいつものように宙に舞い上がり、オラトリオと目線を合わせた。

「オラトリオくん、今、暇だよね!」

訊いてくれない。断定だ。

「暇に見えますかね!」

にっこり笑って訊き返すと、稼働年数の分だけ皮肉も嫌味も聞き流す能力に長けた先輩は、やはりにっこり笑って返してくれた。

「いっくら忙しいったって、お花屋さんに行く暇くらいあるでしょう?!」

「…………花屋ぁ?」

出てきた単語に、胡乱げな声が出る。

顔をしかめるオラトリオに構うこともなく、ハーモニーはこっくり頷く。

「そ、お花屋さん詳しいよね?」

「そりゃまあ、レディに花を贈るのは常識っすからね。この近隣なら詳しいっすけど………」

「レディにしか贈らないの?」

「は?」

問いの意味がわからない。

ハーモニーは空中で腕を組み、ついでに胡坐も掻いた。難しい顔で、首を捻る。

「それってどうなのオラクルに花を贈ったりとかしないの?」

「………なんのことだかわかりやせんが」

オラトリオの職分は機密だが、古参のA‐ナンバーズにはそれなりに筒抜けだ。

筒抜けでも、とりあえずすべて惚けるのがオラトリオに組みこまれている命令だ。

稼働年数の浅いロボットだと機密に関する学習が甘いため、それだけで怒ったりもするが、さすがにハーモニーは伊達に生きていない。

オラトリオの返答を気にすることもなく、小さくても遺憾なく造形美を突き詰められた指を立てて振った。

「だからさ、ボク頼まれたんだよね、オラクルに。花が欲しいんだって」

「………」

内心、なんだと?と叫びはしても、表情にも声にも出せない。

無言のまま促すオラトリオに、ハーモニーはうんうんと頷いた。

「ちょっと用事があってオラクルと話したんだけどさ。すっごく助かったから、なんかお礼しようかって訊いたら、じゃあ、ちょっと手に入れたい花があるんだけどって。ボク、一応オッケーしたんだけどさ………」

そこまで言って、ハーモニーは座った恰好のまま、一回転した。

「どうやったら、オラクルに花を届けられるのか、わかんないんだよねそれで困ってたら、ちょうどよくオラトリオくんがいるじゃん渡し船ってこういうこと言うんだねー」

微妙に違う。

とは思っても、ツッコむにツッコめない。

言いたいことが山ほどある。

どうしてオラクルは、自分に頼まずにハーモニーに頼んだのだ。オラトリオがアトランダム本部に帰って来たことはわかっているはずだし、もし本部にいなくても、定期連絡は入れている。

そのときにでも、花が欲しいと一言、言ってくれたなら、次までに用意して持ち帰るのに。

待ち切れないほど急ぎなら、――それこそ、ハーモニーに頼むのはおかしい。

彼にダイブ能力がないことも、花の演算を電脳に持ちこむスキルがないことも、わかりきっているはずなのだから。

頭を悩ませる問題が山ほどあって、しかしそのどれも口に出せない。

「ま、とにかくさ。ここで会ったのも腐れ縁ってやつだよ。ちょうどいいから、お花屋さんでお花買って、オラクルに持ってってあげてよ!」

「…………さっきからちょいちょい思ってたんだけどよ………」

明るい声で言うハーモニーに、オラトリオは葛藤のあまりに沈んだ暗い声でつぶやく。

「その誤用って、もしかしてわざとか?」

「にゃはっ!!」

伊達に長く生きていないが、脳天気もほんとうの先輩は、朗らかな笑い声を答えに代えた。

***

正しくは、門の前に降り立ち、そこからアクセスキィを用いて入場する。

だが、そうはせずに直接執務室に降りても、少なくともオラトリオであれば文句は言われない。

「……よっ」

アトランダム本部敷地内にある<ORACLE>執務室から電脳空間へとダイブしたオラトリオは、専用回路から<ORACLE>へと入りこんだ。

開ける視界は眩しく、叡智の光に輝いている。

「オラトリオ」

「たでーま」

いつも座しているカウンターの奥で、<ORACLE>管理人、オラクルが立ち上がる。

データが落ち着いたところで片手を上げて挨拶をすると、花開くような微笑みが返って来た。

「おかえり」

弾む声も、浮かぶ表情も、オラトリオの来場を歓迎している。

だが、それ以上に素直かもしれないのは、身に纏う色だ。

主の機嫌を如実に表すそれは、目が痛むほどの喜色に跳ね回っている。

「今回も忙しかった……」

「ん」

「………」

言いかけるオラクルの前に行き、一輪の花を差し出す。

オラクルが瞳を見張り、きょとんとして黙りこんだ。不思議そうな表情で、目の前に突き出された花を見つめている。

「…………なんだ?」

「"Forget Me Not"」

「…………」

オラトリオの答えに、オラクルがさらに黙りこむ。

ややして、顔をしかめると額を押さえた。

「…………内緒だって言ったのに……………」

「らしいな」

感情を窺わせない平板な声で応えて、オラトリオはさらに花を差し出す。

「ほら。要らねえの?」

「んー」

未だに顔をしかめたまま、オラクルは花を受け取る。

オラトリオが差し出した花は、いわばプログラムだ。現実空間でオラトリオが実際に触れ、感じたものを、そのまま数値データに置き換えて電脳空間に持ちこんでいる。

受け取ったオラクルはプログラムを解き、データを分析に掛ける。――少なくとも、部屋を飾る目的で花を欲したわけではないらしい。

テレビや映画を観ては、歪んだ知識を身に着けてしまうオラクルだ。そこからなにかしらの影響を受けて欲しがったのかとも思ったが――だから、それにしても不可解なのだ。

なぜ、データとして持ちこむことが出来るオラトリオに頼まずに、ハーモニーに頼むのか。

ハーモニーの権限では、オラクルに送れるのは画像データくらいだ。

画像データならば、それこそ<ORACLE>内の植物学関係のファイルを漁れば、得ることが出来る。それも、ハーモニーが送るものより、ずっと確かなものが。

オラクルが欲したのは、あくまでもそれを電算データに置き換えた場合の『花』であるはずで――人選ミスも甚だしい、というか。

つまり、なんで俺を頼らないと、言いたいことはほぼその一言しかないわけだが。

「…」

「…」

物言いたげにじっと見つめるオラトリオに、オラクルは叱られることがわかっている子供のような顔をする。

「とりあえず…………受け取るだけ、受け取ってくれるか?」

「あん?」

分析が終わって、ウィンドウを畳んだオラクルが、しおしおと申し出る。

意味のわからない申し出に首を傾げたオラトリオの目の前に、ひらりと花が舞い落ちた。

「……?!」

ひらり、ひらり、と。

果てを見遥かせない<ORACLE>の天井から、小さな花が止めどなく降って来る。降って来た花は、床面に接すると、雪のように融けて消えてしまう。

降り積もることもなく、けれど止むこともなく、降る花の雨――

呆然と眺めていたオラトリオは、ふと気がついて、降る花を手に受けた。

どこかに接地すると消えるように出来ているらしいプログラムは、手の上に乗せるとみるみるうちに融け消える。

それでも、短い時間の間に見えたその花は――

「プレゼントしたかったんだ。だから、どうしてもおまえに内緒で手に入れたかったのに………」

「………」

頼んだ相手が悪かったとしか言いようがない。

わずかに悔しそうなオラクルに、オラトリオは言葉を探す。

言いたいことが、訊きたいことが、山ほどあって。

彼相手になら、なんの制御もなく話せるはずなのに、肝心の咽喉が詰まって声にならない。

「………なんで」

「誕生日だから」

対象の曖昧な言葉に、オラクルは適当に拾い上げた答えを返す。

「おまえが起動して、一年だろう。誕生日には、なにか贈り物をするのだと聞いて」

やはり、どこかしらで微妙な知識を仕入れて来た結果らしい。

「なにを贈ったらいいのか悩んでいるときに、偶然、この花を見て――」

オラクルが差し出した白い手に、降る花が融ける。自分の手に融けたときより余程、幻想的に、現実味もなく見えて、オラトリオは軽く瞳を見張った。

きちんと見ていなければ、消えてしまう。

捕まえていなければ、いなくなってしまう――

"Forget Me Not"

「おまえだと、思ったんだ」

「………俺?」

『わたしをわすれないで』と訴えかける花は、どちらかというと、可憐で、儚い。

この花を見て、大柄でたくましいオラトリオを想起するとしたなら、オラクルの視覚は調整が必要なレベルかもしれない。

そうでなければ――

「花の名前とか、花言葉とか………由来とかは、後で知ったんだけど。…………知れば知るほど、ああ、おまえだって思って。それで」

「おまえ、そりゃ、視覚がイカレてんだろ………」

名前や花言葉、由来からオラトリオを想起したなら、まだ理解も出来るものを。

呆れたことでようやく咽喉が通ったオラトリオは、力なくつぶやいてカウンターに伏せる。

「でも、おまえだって思ったんだ」

「あー…………うんまあ、おまえにも感覚的なもんがあるんだとはわかった…………」

多少失礼な感想をつぶやくオラトリオの頬が撫でられ、その感触に、瞳が細くなる。

顎へと辿った手が顔を上げるように促して、オラトリオは命じられるままに伏せった顔を上げた。

ひどく真剣な顔をしたオラクルの顔がごく間近にあって、思わず瞳を見張る。

そのオラトリオに、オラクルは厳然として告げた。

「死ぬことは赦さない」

「…」

「決して赦さない」

降る声は、天の声だ。

オラトリオにとっては、いつもいつでも――この声が、天の声であり、唯一の指針だ。

しばらくオラクルを見つめていたオラトリオは、ふと瞳を伏せた。顎を支える手を取ると、姿勢を正し、その手を額へと押し戴く。

「誓約しよう」

真摯な声音で、天へと応える。

「おまえを置いては死なない。おまえ在る限り、俺は電脳最強の守護者として、君臨し続ける」

応えに、天は笑った。

降る花の中、その笑顔を見上げて、オラトリオも笑う。

「…………もう一言、付け足しても?」

「なんだ?」

愉しそうに色の瞬く彼を見つめ、オラトリオは屈んでいたからだを伸ばした。カウンター越しに、オラクルのからだを抱き寄せる。

「愛してる」

囁きに、オラクルはさらに高く笑った。