オラトリオが手を伸べて、オラクルがその手を取る。

空間にわずかに走るノイズ。

一瞬にも満たないうちに、転移が完了。

スキンシップ・タッチアップ

「よし、シグナル。気を入れていじめてやろう」

「ちっがぁあうっ、コードっ!!僕は特訓してほしいの!!」

「ああ、言葉の綾だ。深く気にするな」

「うそだっっ!!ぜっったいに本音だっっ!!」

「ならば望みどおりにいじめてやるわっっ!!」

転移が完了した瞬間にじゃれ合い始めた師弟を眺め、カルマは片手で軽く顔を覆った。

ツッコミ不在だ。

それとも、自分が気にし過ぎなのだろうか。

「しっしょーぉ。それにシグナルも。俺らだって暇じゃねえんすから、さくっと片づけてくださいよー」

放っておくといつまでもいつまでもじゃれ合いが終わらない師弟に、オラトリオが軽く割って入る。

「うるさいっ、わかっておるわっ」

「ぎゃいんっっ!!」

シグナルを蹴り飛ばし、コードが肩をいからせて距離を取る。

――どこまでもスルーなのか…………。

カルマは天を仰ぎ、軽く首を振った。

そう、ツッコんだ者負けという勝負は、よくあることだ。社交にしろ、政治にしろ。

きっとそういう勝負なのだ、これは。

「カルマっ、さっさとせいっぼやぼやするなっ!」

「ああ、はい」

どこまでも自分本位な長老に急かされ、カルマは気を取り直した。

今日の目的は、シグナルの電脳空間における戦闘経験値の増補だ。

独特の光ネットワークを持つ彼を、現実空間だけの戦闘型として置いておくのは、惜しい。これから先を見据えれば、A‐ナンバーズにもサイバーガードが必要になる。

オラトリオが最も適した能力者とはいえ、彼は<ORACLE>のため以外にその力を振るえず、持つスキルを公開することも、決してない。

たとえ同じA‐ナンバーズであり、『弟』であるシグナルにであっても、だ。

オラトリオが鍛えてくれればそれこそ、最短で最強のサイバーガードが出来上がるだろうが、<ORACLE>守護者の任は重く、片鱗でも頼むことは出来ない。

そのため、電脳世界で長く無聊を囲い、やんちゃをくり返していたために、製作者たちの意図以上に経験豊富なコードと、オラトリオに次ぐ力を持つカルマとで、シグナルの特訓に出向いたのだ。

ステージとして<ORACLE>を借りよう、と言ったのはコードで、彼にとって<ORACLE>はすでに、もうひとつの実家のような感覚らしい。

――もしくは、きょうだいの嫁ぎ先は、自分の家も同然、か。

浮かんだ自分の考えにげっそりとして、カルマはいくつかウィンドウを展開した。

<ORACLE>内部に特別につくられた特訓用の空間の中に、さらにもうひとつ空間を内包させ、ステージをつくる。

「オラクル、オラトリオ、問題ありませんか」

一応貸主に、使用法に問題がないか、確認する。

下手なものをつくって危うい思いをさせると、<ORACLE>を敵に回すことになる――いや、オラトリオ、日進月歩の電脳世界において、何年経っても『電脳最強の守護者』の冠を戴き続ける彼を。

そんなドジを踏む気はないが、借りている以上、細心の注意を払うに越したことはない。

「うん、大丈夫」

答えたのはオラクルで、それから彼は傍らに立つ自分の守護者を見やった。

オラトリオのほうは、軽く首を捻る。

「まあ、おまえが大丈夫ってんなら………つか、ちょい、コレ見てみ?」

「ん?」

オラトリオに呼ばれ、オラクルは素直に顔を寄せる。前髪を軽く梳き上げて額を合わせると、目を閉じた。

「な?」

「んー…………まあ、大丈夫じゃないかおまえがわかってるし」

「そこのとこで信頼されてもなあ」

「……っ」

がっくりと膝をつきかけて、カルマは寸でのところで堪えた。

鞘に入ったままの細雪をぐるぐる回して、弟子を小突いているコードの元へと向かう。

「コードっ!!」

「なんじゃぃ」

悲鳴を上げたカルマに、長老は素知らぬ顔で応じた。

「あれ………!!」

A‐ナンバーズ中、もっとも厳しく行儀を叩きこまれたカルマにしては珍しくも無作法に、指差したのが額をくっつけて打ち合わせ中の、オラトリオとオラクルだ。

「必要ありませんよね?!!」

「カルマぁ?」

シグナルには、カルマの言いたいことがわからない。

コードはちらりと<ORACLE>の二人を見やり、悲愴な顔つきのカルマを見た。

「ちっ」

苦々しい顔で舌打ちすると、渋面で吐き出した。

「気にするな」

「気にしますよ!!」

「ちぃっっ」

痛烈さを増した舌打ちを漏らし、コードはどこまでもあどけない表情を晒しているシグナルと、悲愴な顔のカルマを見比べた。

「ったく、これだから万事細かいヤツは………神経質に、ネチネチと。少しはコレを見習え」

「コード……」

「なんかそれ、褒められてないよな僕でもわかるぞ、褒めてないよな、コード?!」

「もちろん褒めとらんわっ!!」

「ぎゃぃんっ!!」

噛みつく弟子を蹴り飛ばし、コードは細雪を軽く振った。

「どうしたの?」

そこへ、オラクルが不思議そうに割り込む。

「どうしたもこうしたも」

コードがなにか言うより早く、恨みがましい顔で、カルマはオラクルと、その背後にそびえるオラトリオを見た。

「あなたたち、なんでそんなに接触するんですか?!情報の共有も、演算の貸与も、そんなふうに接触する必要、ないでしょう?!!」

「えっ、そうなの?!!」

カルマの叫びに、シグナルの驚いた声が続く。

自分より遥かに大きな体で、憎たらしいの極みと愛らしいの極みを体現している(註:シグナル観)<ORACLE>コンビをまじまじと見た。

オラトリオにしてもオラクルにしても、あまりに自然と、ごく当然とばかりに手を繋いだり、額をくっつけ合ったりしていたから、シグナルはわりとスルーしていたのだ。

ほかのだれかがやっているならともかく、オラトリオとオラクル、『電脳を共有する』二人だ。相応のやり方なのだろう、と。

「……」

瞳を瞬かせ、身にまとう雑音色をゆるやかに明滅させてから、オラクルは頷いた。

「言われてみれば、そうだね」

「ちっ」

背後で、守護者が行儀悪く舌打ちを漏らした。

どうやらこちらは、わかってやっていたらしい。

しかし天然無邪気な管理人は、そこで終わりにはしなかった。相変わらずの不思議そうな顔でカルマを見つめ、おっとりと首を傾げる。

「でも慣れてるし………なにか問題があるのか?」

「っっ」

そう訊かれると、カルマも言葉に詰まる。

大の男が手を繋いだり、額をくっつけたりするのは常識的におかしいのだが、その『常識』を、どう説明するのか。

しかも時に差別や偏見へと結びつくその考え方を、説明してもいいものなのか。

著しく社交向けにつくられたカルマには、判断がつきかねた。

「だから止めておけと言ったものを」

コードが、ぽつりとつぶやく。

「これらと付き合ううえでの唯一にして絶対のルールはな、スルーそしてスルーそのうえスルーだ」

とにかくスルーしろ、ということらしい。

きょうだいおばかさんで鳴らすコードが言うのだから、相当だ。

カルマはきれいな顔を覆って天を仰ぎ、それから一瞬できりっとした表情へと切り替えた。

「さ、シグナルくん特訓です!!」

「ぅえぇえええ?!!」

訳の分からないうちに話が始まって終わり、さっぱりと置いて行かれたシグナルは、情けない声で叫ぶしかなかった。