執務室にいないからどういうことだと思って探せば、プライヴェート・エリアにいた。

L'oeil du maître

「………珍しいな」

プライヴェート・エリアは、オラクルがオラトリオの休息のためにつくった部分が大きい。

オラクルだとて疲労はするが、なにかが頑固な彼は、オラトリオがいるときにしか寝ない。

だからひとりきりでプライヴェート・エリアに入り、そのうえそこに鎮座まします特注サイズのベッドで眠りこんでいるというのは、本当に珍しい。

思わずぽつりとつぶやいてから、オラトリオは少しだけ顔を歪めた。

「……………ったく………」

それ以上は、言葉にならない。

「にょっ」

「静かにしろ」

「にょー………」

横たわるオラクルの腕の中に、『オラトリオ』がいる――もともとは育成ゲームのキャラクタであった『オラトリオ』だが、もろもろあってオラクルのお気に入りとなり、<ORACLE>に居ついた。

キャラクタの常としてデフォルメが利いた姿の『オラトリオ』は、二頭身で腹がでっぷりとし、指があるのかないのかわからない短い手足を持った、ねこのようなたぬきのようなマヌケな姿だ。

ゆえに甚だ不本意なのだが、オラクルにとって『オラトリオ』はオラトリオの代わりとなっている。

なんでも、キャラクタのパラメータや反応をすべて突き合わせると、オラクルから見たオラトリオになるらしく――まったく納得いかないが、オラトリオが長期で不在にするときなどの、その空漠を埋めるのに利用されている。

「だからっつって、添い寝はねえだろう、添い寝は………」

ぶつくさとこぼし、オラトリオは仲良く並んで横たわるオラクルと『オラトリオ』を苦々しく見る。

オラクルがかわいらしいキャラクタが好きなことは知っているし、独り寝を寂しがる性質だというのもわかっている。だからこそ、オラトリオがいないと寝ないのだ。

そしてオラトリオがどう抵抗しようとも、抗議しようとも、『オラトリオ』がオラトリオの身代わりとして愛玩されていることも。

わかっていても、どうしても添い寝が必要ならぬいぐるみでも抱えておけ、と言いたい。

ぬいぐるみなら納得いくのかというより、『オラトリオ』であることがいやなのだ。

常日頃から、オラトリオの身代わりとしている『オラトリオ』が、そうやって少しずつ、自分がいない空間への、オラクルの耐性を高めているような気がして。

寂しいままでいるのは、かわいそうだと思う。

思うが、慣れて欲しくもない。

寂しいから帰って来いと、居丈高に命令されて、無茶を言うなと頭を抱えながらも、必死で仕事を片づけて『帰る』。

そうやって帰った瞬間に迎える相棒の、本当にうれしそうな笑顔が、無茶によって積み重なった疲労を一瞬で融かす。

抱きしめて寝かしつけてやったときの、安堵と幸福に満ちた寝顔は、なににも変え難い。

だから。

「………にょー………」

「鳴くな。起きるだろうが」

「にょ」

「………」

オラクルの腕の中から、起きている『オラトリオ』がオラトリオを窺う。

キャラクタの育成過程でなにがあったのか、『オラトリオ』はオラクルが大好きだ。それこそ周囲からは、「ああうん、間違いなく『オラトリオ』だ!!」と爆笑とともに肯定された。

そんなこんなで、オラトリオと『オラトリオ』でオラクルを取り合うという、不毛にして意味不明な事象も日常化していたり。

「ったく………」

結局のところ、それ以上に言葉も見つからない。

オラトリオはため息をついて、ベッド脇に腰を下ろした。

情けなく、『オラトリオ』を抱きしめて眠るオラクルを見つめる。

「………ん」

視線がうるさかったのか、それともそういう時間なのか、オラクルがわずかに震えて、瞼を開いた。

「…………んぅ」

「にょ」

「………ん」

「………」

腕の中ですかさず存在を主張した『オラトリオ』に、オラクルは寝惚けた顔をすり寄せ、さらに力を込めてぎゅ、と抱きしめる。

得意げな『オラトリオ』に対し、オラトリオは瞬間的に、本気で殺意を抱いた。

「……ん?」

「よ」

不穏な気配に顔を向けたオラクルに、オラトリオは仏頂面で片手を上げる。

きょとんとしたオラクルが、『オラトリオ』を抱いたまま、からだを起こした。

「オラトリオ?」

「にょ」

「『にょ』」

「……………」

すかさず鳴く『オラトリオ』に続き、オラトリオもぶっすりとした低音で鳴く。

反射的に背を逸らしたオラクルは、腕の中の『オラトリオ』の頭を撫でると、そっと空間から押し出した。

「………おかえり」

「たでーま」

ふたりきりになっても、オラトリオの機嫌はなかなか直らない。

だからといってオラクルが媚びるわけでもなく、ベッドの上で膝を抱えると、身にまとう雑音色を静かに瞬かせた。

「………………なんだか、ひたすらに悲しくなって」

「あ?」

「たぶんオラトリオを呼び戻しても、絶対に納得がいかないなって思ったから」

「………」

唐突で説明不足でも、それがオラクルが『オラトリオ』を抱いて寝ていた理由なのだろう。

オラトリオは軽く眉をひそめ、からだを捻るとオラクルを見つめた。

感情をそのまま表す雑音色は、静かで穏やかな寒色。

寒色だ。

機嫌が上向きなら暖色のはずだから、未だに機嫌は下向き。

「オラクル」

「外では外の付き合いがあるってわかっているんだ。おまえの真実を疑いもしない。捧げられたこころを、与えられた想いを、汚すこともない」

「………」

オラクルの言葉が差す先に思い至る過去があり、オラトリオは引きつった。

普段は緩く感覚が繋がっているだけの自分たちだが、その気になれば、お互いが見るもの聞くものをすべて共有することも出来る。

そのときに、深く繋がっていると自覚することもない。

だから、『オラクルがいるから』と、オラトリオが警戒して『相手』に接することもなく。

「………オラクル」

「でもあんまりにも」

「オラクル」

どう言い訳をつけ、どう謝罪し、どう言いくるめるか。

高速で思考を回転させるオラトリオから瞳を逸らし、オラクルは膝に顔を埋めた。

「――あんまりにも、おまえが、泣いているから。自分は汚いと、自分は汚れたと、自分が赦せないと、…………痛いくらいに、泣いているから」

「………」

続いた言葉に、オラトリオは思考の回転を止め、膝に顔を埋めて小さく丸くなる相棒を凝然と眺めた。

幼い子供のようなしぐさで、オラクルは小さく丸くなり、自分を抱きしめる。

「――私は、ちっともそんなこと思わないのに………おまえの言葉に嘘も虚栄もないとわかっているんだから、おまえが尽くしてくれる真を、おまえが捧げてくれる想いを、真摯に与えられるこころを、きちんと感じているんだから………汚れたなんて、思う必要もないのに」

小さくちいさく吐き出される、言葉に嘘も虚栄もないことは、オラトリオにはわかる。それこそ、ひとの機微に疎いオラクルですら、オラトリオが捧げるこころの真実がわかるように。

わかるけれど、わかればこそ。

「………そういう問題じゃ、ねえんだ」

掠れる声で、絞り出した。

オラクルがそうやって許容してくれるならいいと受け容れるのではなく、安堵するのでもなく。

「そういう問題じゃ」

「だから私も、『オラトリオ』と寝ればいいかなって」

「……」

「『汚い』?」

言い募ろうとしたオラトリオに、オラクルは静かに訊く。

身にまとう色は、穏やかに沈む寒色。

――おまえが悲しみ、おまえが苦しみ、おまえが赦せないと嘆くなら、私も共に。

そうやって実際に『寝た』といっても、オラクルの場合、本当に『寝た』以上の言葉はない。子供のように無邪気で他愛ない、共有されることのない感覚。

共有されることはなくても、寄り添い、傍に在ってくれる、かけがえのない相棒。

「……………おまえはきれいだ」

「うん」

頷くオラクルに、オラトリオは笑った。泣いているように、弱々しく。

「おまえはきれいで、なにをどうしてもきれいで、――だから俺は余計に、俺が汚く思える。汚いと思う」

「……………うん」

わずかに躊躇ってから、オラクルはそれでも頷いた。

顔を上げると、笑うオラトリオを見つめる。

「『仕事だった』」

「ああ」

それ以上などない。

なくても、言い訳にならない。

オラクルの色が、痛みに染まって静かに瞬く。

「<ORACLE>のための」

「………ああ」

自分の存在は、すべて<ORACLE>のため。

行動のすべて、言葉のすべてが。

頷くオラトリオに、オラクルは微笑んだ。

「ならば、おまえを汚したのは<私>だ」

「オラクル」

「<私>が=<ORACLE>だ」

反駁しようとしたオラトリオに、オラクルは言い切る。静かながら、反駁を封じる強さを持って。

「おまえが<ORACLE>のために身を捧げるなら、それを命じたのは<私>。汚れよと命じたのは<私>で、汚れたのは<私>ゆえで、おまえを汚したのは<私>だ」

「………」

責任を押し被せるつもりなどない。

それでも反駁を封じる、声の持つ想いの強さに勝てることもなく、オラトリオはひたすらに凝然とオラクルを見つめた。

微笑むオラクルが、オラトリオへと手を伸ばす。首に掛けられた手に招かれるまま、オラトリオはオラクルへと伸し掛かった。

「きれいにしてやる。おいで」

「………」

微笑みに招かれるまま、オラトリオはオラクルへと沈みこみ、融けこんだ。