「んー…………んっ、…………ぅー…………」

人類の叡智の結晶、古今の知識のすべてが揃うとすら言われる、電脳図書館<ORACLE>。

その管理人は、納められた膨大な量の知識を一瞬で取り出し、利用客へ供することが出来るとの誉れも高い。

が。

者の聖戦

「…………ちっがうな………全然違う………………でもないし………も、ちがう………」

電脳図書館<ORACLE>執務室で、いつも通りにカウンターの中に座っている管理人――オラクルは、気難しい顔でずっと唸っていた。

その周囲には、検索のためのウィンドウが展開されるでもなく、資料ファイルが散らばるでもない。

ひたすらに己の思考のみで、オラクルはずっと悩んでいた。

たとえ<己>であっても、オラクルの思考もまたシステム<ORACLE>に組み込まれたプログラム、所蔵される智恵のひとつだ。

検索をかければ、その記憶すらもまた、資料ファイルとして供される――ただし、閲覧には厳重な審査と認証が必要で、誰も彼もに開かれているわけではない。

しかしもちろん、その記憶の当の保持者であるオラクルには、いつでもつまびらかにされている。

されているのだが、――該当が、引っかかってこない。

稼動し始めてからの記憶を、条件を変えて何度か浚ったものの、『no-hit』の文字ばかりでうんざりし、自分で手当たり次第に記憶を漁ること、しばらく。

「…………ぜんっぜん、だめだ………確かに、予想確率は低かったけど………ここまでなのか…………」

思いつく限りの検索と探索をやり尽くして、オラクルは頭を抱えた。カウンターに伏せて、抱えた頭を掻く。

ヒステリックに『掻き回す』という状態にならないのはさすがに、おっとりさ加減に定評のあるオラクルらしい。

らしいが、ある意味においてオラクルとしてはまさに、『掻き回している』に等しい状態だった。

いつもきれいに流れている髪を芸術家気取りに変えて、オラクルは恨めしげに執務室を見渡した。

人類の叡智の結晶。

古今の知識のすべてが揃う、永遠の知の宝物庫。

――オラクルの厳正なプログラムとしての感想は、『過大評価』。

最新の研究こそ、ほぼ百パーセントに近い数字で納めているが、あくまでも百パーセントに『近い』数字。百パーセントではない。

ましてや過去のものとなれば、数字はさらに割り込む。

『すべて』という言葉が指し示すパーセンテージには、とても追いつかない。

しかしそれでも、知識量が多いことは確かだ。そこまで否定する気はない。

おそらく地上にあるどんな図書館より、豊富で雑多で膨大な資料を有している。

けれど、見つからない。

とても些細で、ある意味どうでもよくて、しかし重大な問題の答え。

「ぅー…………」

唸って、オラクルはぺちゃんとカウンターに潰れた。

相方がそうやっているなら珍しくもない光景だが、オラクルがそうまでなることは、滅多にない。

「もう……………無理、なのかな……」

諦念とともに、重苦しく吐き出した言葉。

疲れきった心とともに、閉じられる瞳。

叡智を象徴する光が、瞼の中に隠されて――

「にょ!」

「………………」

そのオラクルの頬を、ぺちぺちと叩いたのは誰あろう、そう。

「にょにょぉ!!」

「……………!」

力強く鳴かれ、オラクルは瞳を見開き、そしてがばりと体を起こした。

***

「よぉーっす。たっでーまー、オラクルー。おにーさんったら、あんまりにもひっさびさに顔出したもんで、気まずさまっくすよーんっ」

「オラトリオ」

もはや自棄を起こして、開き直り気味な挨拶とともに入ってきたオラトリオに、オラクルは顔を向けた。

膝の上にあやしていた『オラトリオ』を抱き上げると、立つ。

ねこなのかたぬきなのか判然としない、ぽっこりおなかと異様に短い手足のキャラクタ『オラトリオ』とオラトリオは、傍から見ると非常にばかばかしい限りだったが、激しいライバル関係にあった。

もちろん、オラクルの『寵愛』を巡ってだ。

今も、オラクルが抱いていたことで、オラトリオは『オラトリオ』に厳しい一瞥をくれた。

しかし言葉に出しては、特に触れない。

「まぁあったく、なんでこう次から次へと仕事が――」

「オラトリオ」

ぼやいて頭を掻きながら近づいてくるオラトリオに、オラクルは抱いていた『オラトリオ』を口元まで掲げた。

その纏う色が激しく明滅し、心の動揺をあからさまに示している。

「………オラクル?」

来た途端になんだ、と眉をひそめたオラトリオを見つめ、オラクルはこくりと咽喉を鳴らした。

戦慄くくちびるを開くと、もつれる舌を懸命に操る。

「お、……………おらとりおっより、おらとりお、の、ほうが、好きっっ」

「…………………………………………………………………」

「にょぉおっ!!」

まったく脈絡もなく唐突に吐き出された言葉に、オラトリオは瞳を見開いて止まった。

対して、掲げられた『オラトリオ』のほうは、胸を張って雄叫びを上げる。

ぱたぱたぱたと、目が痛くなるほどに色を瞬かせたオラクルは、固まったまま反応のないオラトリオの目の前に、おそるおそるとカレンダーを展開した。

「今日」

「……………………………………………………………………………………ああ」

オラトリオがいるのがどこであれ、オラクル=<ORACLE>の本体があるのは、シンガポールだ。

そしてシンガポールは今日、四月一日――

オラクルはここ数日というもの、今日、守護者を騙すためのウソを考えることに必死だった。

アイディア自体は、これ以上ないと思うものを仕入れたのだ。

『オラトリオよりも○○が好き』――裏を返して、『○○よりもオラトリオのほうが好き』となるウソ。

度肝を抜く、とまではならないが、一瞬、オラトリオはひどく驚くだろう――オラクルに、自分よりも好きなものがあるのか、と。

だが、アイディアが浮かんだまではいいのだが、その『○○』が見つからなかった。

オラトリオより好きなもの、がないのは仕方ないとしても、その次に好きなもの――もしくは、誰か。

オラトリオが、たとえ一瞬でも驚いて、すぐさま嘘だとは見抜けない、なにか。

検索をかけたが、『no-hit』の嵐。

手当たり次第に漁ったが、さっぱり――まさかこれほど、自分がオラトリオ一色で出来ているとは思わなかった。

それはそれで収穫ではあるが、問題はそうではない。

日にちも迫って、焦っているところに現れた救世主が――

「ああ、うん、なるほど………」

呆然としたまま頷いたオラトリオは、やにわにくわっと瞳を見開いた。

ずかずかとオラクルの前までやって来ると、カウンター越しにこれでもかと身を乗り出す。

勢いに怯えて仰け反ったオラクルをきっと見つめると、叫んだ。

「んで、その『オラトリオよりオラトリオ』ってのは、どっちがどっちなんだ?!!!」