「ええっと………ここに、こう、かな………長さは、これくらい?」

「あー………」

まじめな顔で、オラクルはオラトリオの手のひらに指を這わせる。

おかしな話だが、くすぐったい。

Say The Tin Woodman

確かにずいぶんと人間らしく造られている、自分たちヒューマンフォーム・ロボットとはいえ、手のひらを辿られて、くすぐったいとは――

もぞもぞとこみ上げてくるものを懸命に堪えて、オラトリオはカウンター越しのオラクルを眺める。

差し向かいに座り、オラトリオの手を取ったオラクルは、ひどく真剣な表情だ。

片手でオラトリオの手を固定したオラクルは、もう片手の人差し指で、その手のひらを辿る。

「………んー………いいのかななんだか、よくわからないな………これとこれなんて、画像的に突き合わせるとまったく同じなのに、言ってることが違うし」

「そーいう曖昧なもんを、俺で試すなよ」

「そうだけど」

周囲に展開した画面とにらめっこしているオラクルの、今日の『お遊び』――いや、お遊びなどと言うと、怒るかもしれない。

オラクルからすれば、ひどく真剣に、まじめに。

しかしオラトリオからすると、意味もなく根拠もなく、単なる気休め――

取ったオラトリオの手のひらに、オラクルが描くのは、『手相』だ。

「マジックで書くだけでも、いいんだって」

仕事の報告ついでに電脳空間にダイブし、<ORACLE>を訪れたオラトリオに、オラクルはいくつかの画面を展開してみせた。

「元からあるものとないものと、あるから……ないものが欲しい場合、マジックで書いてしまえばいいって」

ごくまじめに説明したオラクルに、オラトリオはこちらも真剣な表情で頷いた。

「俺はな、オラクル。今度の性能会議で、<ORACLE>とテレビチャンネルを切り離せないかということを、議題に乗せるかどうか、真剣に検討中なんだが」

「なんでだ?!ネットだけじゃ収集しきれない情報も、たくさんあるんだぞ?!」

「いやうん、なんでだって真顔で訊くんだな、おまえ………」

もちろん理由は、<ORACLE>管理脳――オラクルの情操形成に悪影響だから、だ。

確かに、ネットだけで集められる情報には限りがある。

しかしオラクル――<オラクル>が集める『外』の情報は、どうしても歪む。世間知らずゆえというより、嵌められた思考統制によって。

本人にもはっきりと意識させないまま、仕掛けられたプログラムは、彼が『個人』として集めたデータを歪ませる。<ORACLE>を管理するうえで、マイナス要因とならないように。

オラクルは時折、テレビで仕入れたという情報を突飛な形でお披露目する。

その理由は、ほぼひとつ。

仕入れた情報が本当に突飛なこともあるが、発露されるときにはすでに、思考統制という門を潜って歪められているからだ。

だが先にも言った通り、オラクルに歪めている意識はない。そして歪んだ知識でも、自然と受け入れて信じる。

そもそも知識を仕入れさえしなければ歪みの発露しようもないので、オラトリオは時折真剣に、オラクルが得る『外』の情報を制限することを考える――完全な籠の鳥にすることが可哀想でも、歪みを積み重ねていくことと比べて、どちらがましかという話だ。

結論が出る話ではないから、堂々巡り、対処もないまま放っておかれているのが、現状。

「少なくとも幼児用フィルタリングの、限界最高値を掛けるくらいのことは、許可されてもいいと思うんだよな」

「誰が幼児だ!!」

「誰だろうなー………」

いつもならファイルの滝雨が降っているが、今はオラクルがオラトリオの手を取っている。近場にいる自分にも被害なので、降って来ない。

もしかして、まずいことを言うときにはこうしてオラクルに寄り添っていればいいのかと、オラトリオは考えた。

まずはオラクルを抱きしめる→それからまずいことを言って、怒らせる。

密着しているから、ファイルの滝雨は降らせられない。自分まで被害だからだ。

結果、オラトリオも無事。

「………それでトドメにキスでもすりゃあ、誤魔化しのテクとしては、最低だな……」

「なんの話だ?!」

淀みなく辿りついた結論に、オラトリオはため息をついた。

もちろんオラクルには、なんのことやらさっぱりだ。そもそも、あまりに話が飛び過ぎている。

監査官として日々、考えていることとまったく違うことを言葉にすることに慣れているオラトリオの会話術は、簡単にオラクルを置き去りにしてしまう。

「いや、……うん」

「んっ」

癇癪を起こしかけたオラクルに、椅子から腰を浮かせたオラトリオは『最低だ』と評したシミュレーションまま、ちゅっと軽くキスする。

「オラトリオ?!」

「そんで今足した線は、ナニ線なんだ強力打線それとも、東海道線?」

「きょ………とう…………?」

いくら癇癪を起こしかけていても、知らない単語が出てくると、つい検索に走る。それがオラクルだ。

あっさりと意識が逸れたオラクルから、オラトリオは手を取り戻した。

ロボットだ。

いくら人間の形を模して、肌質までそっくりに造られても、手相はない。

それを誤魔化すために、人間に紛れて仕事に就くA-シリーズは、ほとんどが手袋をしている。

今の技術なら、手相らしきものを刻むことは可能だろう。それでも研究者たちは、手袋をさせることを選んだ。

「きょうりょくだせんに、とうかいどうせん………そんな手相、ない………どこから仕入れた知識なんだ、オラトリオ?」

「ああうん、えーっとまあなんだ、………はーっはっはっはっはオラトリオおにーさんの博識ぶりに、びっくりしたかなあっ、オラクルくーんっ?!」

「待て、なにか誤魔化しているな、オラトリオ?!」

――もちろん、誤魔化している。

適当に言っただけだ。オラトリオに、手相占いの知識などない。

今回オラクルは、日本のテレビ番組から『手相』の知識を仕入れてきた。そもそもの発祥はともあれ、テレビでちょうど取り上げていたのが日本だったのだ。

そしてどういう番組をどう観たものやら知らないが、<ORACLE>を訪れたオラトリオに、手相を書くと言い出した。

ロボットで、CGとなってすら手相のないオラトリオに、つまりはマジックで書いてもいいと占い師が言っていたから、と。

言っているオラクルの手は、相変わらず白い。

以前は見学者向けにCGの公開もしていたオラクルだが、最近はそういった露出は極端に減った。そのときであっても、『<ORACLE>でオラクルと握手☆』などという企画はやっていなかったから、オラクルの手に手相がないということに、多くの人は気がついていない。

オラトリオだとて、普段は気にしていない。

外で多くの人間と接し、頻繁に握手も交わし、心理状態を読み解くために手の動きを観察し――

それこそいくらでも、人間とオラクルの手の差異を上げられるのに。

「で、結局ナニ線なんだよ。知らないまんまだと、落ち着かねえだろ。消したい」

「だめだっ!」

「――だったら教えとけ。ナニ線だ」

慌てるオラクルに、オラトリオはひらひらと手を振った。

手袋を外した自分の手を見ることも、滅多にない。そもそも、していることを忘れていることも多い。

ふとした瞬間にオラクルに触れて、気がつく――ああ、直に、その肌のなめらかさを感じたい。冷たさを、やわらかさを、硬さを。

そう思って、外す。

いわば触れるためだから、わざわざ自分の手がどうなっているかなど、見ない。

爪はある。節は稼働に必要な最小限。指紋はない。

手相は――オラクルが、書き足したものだけ。

「……………せいめいせん」

「ありきたりだな」

「そうだけどっ」

手を分断し、手首まで届くような、長いながい線だ。

手相に詳しくなくとも生命線くらいなら、一般知識として持っている。長ければ長いほど、寿命も長いと。

これだけ長ければ、自分はどれほど生きるのだろうか。どれほど長いこと――

「………オラトリオが、少しでも長く――」

「…………」

いつもいつも、どんなことでもはきはきと言う相手が、消え入りそうな声でつぶやいた。

刻まれた手相を眺めているふりで、ちらりと視線だけ流せば、カウンタ向こうでオラクルは俯いている。無意識だろう、その手は祈りを捧げるがごとく、胸の前で組まれて。

「――ただ生きていればいいというのは、傲慢だとわかっている。おまえの生は苦しい。けれど、少しでも長く」

「ああ」

あからさまに読み合うことはしないようにしているが、常に思考がリンクしている。

強い想いは読み取られる。

強い思考もまた、伝わる。

できるだけ心の奥底、厳重に封をして鎖した場所に押しこめても、二人の関係だ。体を繋げ、融け合うたびに、オラクルはオラトリオの心に、渇望に、影に触れて、離れていく。

「――心配するな。おまえがいる限り、俺は…」

「少しでも長く、私に愛されろ」

「………」

先に言い切られた結論に、オラトリオは口を噤んだ。

引かれた線は、生命線。

寿命、生きることを左右する線――

生きてくれ、では、ないらしい。

生きろ、でもなく。

「……命令かよ」

一度は噤んだくちびるが、知らず、笑みに解けた。

オラトリオは俯くオラクルをまっすぐに見つめ、手を閃かせる。

「愛されるだけでいいのか俺が、愛する必要は?」

訊くと、オラクルは赤い顔を上げた。ひどくまじめに、確信に満ちて、口を開く。

「おまえは生き続ける限り、私を愛している」

「自信家め」

ぼやいて、オラトリオは天を仰いだ。

そのオラトリオに、オラクルはくちびるだけ笑ませる。纏う雑音色が、静かな暖色に沈んだ。

「私を愛していることと生きていることが、おまえの中では同義で等価だ。けれど私に愛されることは、おまえにとって特別な意味を持つだろう?」

言って、オラクルはわずかに語気を強めた。

「おまえが、私を愛するんじゃない。私が、おまえを愛して欲するんだ。<私>の意思として、意志として――<おまえ>を」

「………」

区別された言葉の意味を判読することは、難しい。

難しいが、実のところ、含まれる意味はまったく違う。

「少しでも長く、私に愛されろ、オラトリオ」

難しいことを言うと、オラトリオは天を仰いだまま、考える。

オラトリオがオラクルを愛することは、オラトリオの自由意思。勝手だ。

オラトリオひとりで完結し、究極的には、オラクルは関係ない。

けれどオラクルがオラトリオに愛されろと命じるなら、それは二人の問題。オラトリオひとりでは完結せず、オラトリオひとりの勝手にもならない。

愛するのはオラクルで⇔愛するのはオラトリオのことだ。

繋がる。

縛られる。

オラクルと――

「………これは、約束か」

かざした手のひらに、描かれた線。

何気なさを装って引かれて、結ばれた――自分とオラクルとの、梯であり絆であり、鎖。

「違う。祈りだ」

「悪くない」

オラクルの訂正につぶやき、オラトリオは身を跳ね起こした。

カウンタも身軽に飛び越えて中に入ると、静かな暖色を纏って佇むオラクルを抱きしめる。

「なかなか悪くない、祈りだ」

心与えられた、ロボットの『祈り』――

こうして抱きしめてさえ、透けて儚く消えそうなオラクル。

実在をなにより己に刻むために、オラトリオは笑みの形のくちびるを寄せ、オラクルへと融け込んだ。