「控えて頂けませんか」

ブリリアント・グリーンの瞳に厳しく見据えて言われ、オラクルとオラトリオは揃ってきょとんとした顔を晒した。

オオカミヒツジキャベツ

滅多には<ORACLE>を訪れることがない、A-K:カルマだ。

仕事上の都合もあって、表層部分に関してはむしろ頻繁に利用する。しかし、<ORACLE>内部、奥深くまで訪れることはない。

同じA-ナンバーズのオラトリオが管轄する領域だからと、他のダイブ能力を持ったA-ナンバーズが実に気安く訪れるのとは一線を画して、カルマは軽々しく<ORACLE>に触れることはなかった。

それが、唐突に訪れたかと思えば、第一声が。

「………控える………って、なにを?」

オラクルがこぼした問いは、当然のものだった。

そうでなくても、プログラム。曖昧な言葉の指す先を読むのは、難しい。

オラクルは戸惑いに纏う色を揺らしつつ、カウンタを挟んで座るオラトリオにも視線を投げる。

監査官として、日々、謀略を尽くした会話に埋もれているオラトリオだ。オラクルよりもずっと、曖昧な言葉を読むことに長けている。

しかしオラトリオのほうも、きょとんとしてカルマを見ている――理解が及んでいない。

その二人に、カウンタ傍まで来たカルマは、きれいな顔を厳しく歪めた。いや、どちらかというと、心労が限界値を超えたかのような。

「………つまり、その。………仲良く、振る舞うことを、です」

「………なか、よく?」

相変わらずの、曖昧さだ。

さっぱり理解が及ばずに首を傾げたオラクルに、なにかしら追いこまれたカルマは顔を真っ赤にして、仰け反った。

麗しいくちびるから、悲鳴のような声が迸る。

「オラトリオと、あなたです二人きりのときまでとは言いませんから、せめても来客中、最低限、シグナルくんの前でだけでも、いちゃべたするのを控えていただけませんか!!」

「っぶっははははははは!!!」

――カルマの懸命の叫びに応えたのは、オラトリオの遠慮がなさ過ぎる爆笑だった。

対する相方、オラクルのほうはといえばさらにきょとんとして、真っ赤になったA-ナンバーズ統括者と、容赦なく爆笑する己の守護者とを見比べている。

「オラトリオ!!笑いごとじゃないんですけどねっ?!」

笑われたカルマは、珍しくも涙目状態だ。拳を握ってぷるぷると震えつつ、真っ赤な顔のまま詰る。

詰られても構うことなく、オラトリオは笑いを治めきれないまま、手を振った。

「いやだって、カルマおまえ、未通女でもあるまいし!!『仲良く』って、遠回しも過ぎんだろ!!」

「オラトリオ!!!」

絶叫となりつつあるカルマから、微妙に殺気が噴出している。

しかし残念なことに、ここにいるのは電脳最強の守護者と、その彼の手厚い庇護下にいる、電脳図書館の管理プログラムだけだった。

オラトリオは遠慮のない爆笑を続け、オラクルのほうは、まったく理解が及んだ様子もなく首を傾げている。

「………いちゃべたするのを、控えろって言うけど…」

「シグナルくんに、悪影響なんです」

戸惑いながら口を開いたオラクルに顔を向け、カルマは極力抑えた声で言う。

「あなたたちの振る舞いは、少し、大人過ぎるというか――シグナルくんが触れるには、まだ早い世界というか。………シグナルくんには、刺激が強過ぎるかと」

「………」

不愉快さや嫌悪感、そういった意図しないものが伝わることがないようにと、カルマの声も言葉も殊更にゆっくり、穏やかに発された。

あまり感心できる関係ではないとは思う。とはいえ、どうしても受け入れられないというほど、<ORACLE>二人の関係に嫌悪感があるわけではない。

驚くし、戸惑いもあるが、理屈が理解できないわけではないのだ。

できることなら、放っておきたい。

とはいえ、カルマはA-ナンバーズ統括だ。職責かどうか微妙なところではあるが、A-ナンバーズ最新型のシグナルの成長に関しても、それなりに噛んでいる。

その過程でどうしても、どうしても看過できない問題が――

「シグナルくんがまだ、生まれたばかりだということを考えていただけると――」

「ごめん、カルマ」

丁寧に言葉を継ぐカルマに、纏う色を複雑に明滅させるオラクルが手を挙げて、話を遮る。

「申し訳ないが、『いちゃべたするな』って、意味がわからない………。具体的に、なにを指していて、なにをするなということなんだ?」

「………っ!!」

「ん、あー、そうだなっ!」

オラクルの無邪気過ぎる言葉に引きつって息を呑みこんだカルマに、オラトリオもはいはいと手を挙げた。

「俺もな、弟の情操教育に悪いっつわれたら、まあそこはおにーさんとして、聞かないわけにはいかねえけどよ。俺自身は、あんまり接点ねえからなー。今、シグナルがどれくらいの状態なのか、今いち掴めねえんだわ。具体的に、どこからどこまでがダメっつー感じなんだ?」

「っっ!!」

カルマはさらに引きつり、わずかに後ろへと逃げた。

オラクルはともかくオラトリオなら、悪ふざけの可能性もある。だが今のところ、浮かべている表情は爆笑の余韻もなく、言葉は軽くてもどちらかといえば、真面目。

百戦錬磨の監査官だ。表層など、どうとでも制御できる。

だが、一応は真面目な顔で態度だ――そして、こちらは疑う余地もなく、真面目なオラクル。

「………ぐ、っ、………具体的、にっ。です、……かっ」

「うん」

どもりどもり訊いたカルマに、オラクルはあっさり頷いた。

「たぶん、私とオラトリオが、シグナルの前でなにかをやらかしていて、それがまずいっていう話だよなけれど、具体的になにをまずいと言われているのかが、申し訳ないけれど私には見えて来ないから」

「………っ」

あれやこれやとやっていながら、その言葉か。

心中激しくツッコんだカルマだが、オラクルならばありえないことではない。

伊達の箱入りでも世間知らずでもない――一般的な社会規範が身に着いていないとしても、それは仕方のないことだ。

微妙に逃げ腰ながらも腹を括り、カルマは重く塞ぐくちびるを懸命にこじ開けた。

「………その、………まず、キスは、止めていただけると」

「キス」

「ええ」

復唱したオラクルに、カルマは引き気味姿勢のまま、頷く。

「キスと……」

「はいよ、カルマ」

逃げるのを懸命に堪えているカルマに、カウンタに頬杖をついたオラトリオが軽く手を挙げる。

「一口に『キス』ったって、いろいろあるだろ全部禁止か確かにシグナルは、日本生まれの日本育ちだけどよ。『挨拶のキス』もわからんくらい、俺の弟は幼いのか年齢制限いくつで話してるんだ、おまえ?」

「?!」

「口にするキスがまずいのはまあ、聞かねえでもわかる気がするが、それともフレンチくらいならオーケィなのか手の甲やら手のひらやらにするキスはキスっつーか、頬と頬を合わせる挨拶もあるだろそれもキスに含めて話してんのか………」

「ぅっ……!」

怒涛のツッコミに、カルマの体は固まった。

オラトリオがやる気満々だ。なにをと言って、ナニを。

そんなにもオラクルとのいちゃべたを制限されるのが気に食わないのかとか、いろいろ言いたいことはあるが、とりあえず――

「いちゃべたするなったって、肩を抱くくらいはいいのか手を繋ぐのもまじぃ近づいていい距離は?」

「く……っ!!!」

カルマは逃げていた腰を落として臨戦態勢を取ると、きっとオラトリオを睨み据えた。

本腰を入れてかからないと、ある意味で駄々っ子モード発動中のオラトリオには、勝てない。ここで敗走すると、むしろもっとシグナルにとって毒な行為に走り出す。そういう相手だ。

「基準ということでしたら!……」

……………………

…………………………………

……………………………………………

オラクルはわずかに呆れたように、眉間の皺を揉んだ。

「――あのさ、オラトリオ。なんというか……。もう、そこまでにしてあげたら?」

「おまえは甘いぞ、オラクル!」

「はいはい………」

「ぜぇはぁぜぇはぁぜぇはぁ…………!」

生き生きとしているオラトリオの前では、カルマが死に態だ。肩で息をして膝に手をつき、今にも倒れ伏しそうになっている。

物堅い話なら、カルマだとてこうまではならない。伊達の市長職ではなく、統括職でもない。

ただし、市長で統括者なのだ。お堅い。

そのうえに、元々の性格もあった。こういう色恋の絡んだ、微妙な話は苦手なのだ。

ネタのストックもないから、リアルにおいて日々女の子に声を掛けまくり、オラクルとも付き合って長いオラトリオに対するには、圧倒的に不利。

「しかしまあ、大体ネタは出し切ったな。シグナルになにが悪影響なのかもわかったし――カルマくんの奮戦に免じて、それなりに気をつけてやらないでも」

「それなんだが、オラトリオ」

死に態の相手に対して、生き生きぴんぴんで非常な高みから言うオラトリオに、オラクルは軽く片手を挙げる。

充実している相方に、呆れとともに困惑を込めた視線を送った。

「……おまえたちの議論が白熱し過ぎて、私は途中から、さっぱり話に追いつけなくなったんだが」

「ん?」

珍しくも大層無邪気な顔で、オラトリオはオラクルを見た。

その相方に、オラクルは首を横に振る。

「だから結局、なにに気をつけたらいいのかが、さっぱりわからなかった。なにがまずくて、なにに気をつけたらいいという結論に落ち着いたんだ?」

「あー。………ああ。なるほど」

オラクルの問いに、オラトリオはわずかに上目になって考えこんだ。

ぞろりとメモリが動く感覚がして、しばらく。

「オラクル、一覧データやるよ」

「ああ。……ん?」

べろりと舌を出して言ったオラトリオに反射で頷いてから、オラクルは軽く首を傾げた。

舌だ。そこに、データへのアクセスポイントがある。

確か今、カルマがキスはだめだと言っていたような――舌から受け取るとなると、どうしてもキスが必要に。

戸惑って顔を寄せないオラクルに、オラトリオは一度舌を引っ込めると、にっこり爽やかに胡散臭く笑った。

「大丈夫。『シグナルの前では』止めておけってだけの話だったから、カルマなら問題ない」

「いえ、遠慮してくださるならそれに越したことは」

「じゃあいいか」

なんとか復活して言ったカルマの言葉は、軽く流された。

架空の涙でも、涙は涙。

ハンカチを取り出そうかと考えるカルマの前で、オラクルはオラトリオに口づける。

データがあるのは、舌だ。当然、触れるだけに止まらず、舌が伸ばされて絡まる。

いたたまれないカルマが顔を逸らして待つこと、永遠にも近いようなわずかな時間。

「ん、これ……?!」

「わかりやっすぅ~い、データにしておいたぜ♪」

「わ、わかりやすいっていうか、ちょ、んん……っ?!」

ようやくくちびるを離した二人だったが、あからさまにオラクルの様子がおかしかった。

ぎょっとして思わず顔を向けたカルマの前で、オラクルは切なく表情を歪め、ぎゅっと自分を抱きしめる。その体が堪えきれずに跳ね、そのたびに引き結ばれたオラクルのくちびるが割れて、甘い声が迸った。

「ちょ、お、オラトリオ……?!」

いやな予感に後ろへとにじったカルマに、オラトリオはぴっと立てた親指だけ向ける。顔は、身悶えるオラクルから離れない。

「おまえがだめっつーたことを、全部感覚つきのリストにして渡した」

「感覚つき………って、まさか」

「ゃ、んんんっぁっ、ちょ………っぁんぅっ」

「まさ………」

いやな予感が的中し、カルマはふらりと体を揺らがせた。

もはや客人のことも構えなくなったオラクルが、へたへたとカウンタの中に沈みこんでいる。それでも、上がる甘い声は聞こえるし、身悶えて暴れる音も聞こえる。

「んー。たまにはいいねえ、ひとり悶えるオラクルってのも♪」

にやにやとして、オラトリオはカウンタの中を覗きこんでいる。

「っの………っっ!!」

卒倒しかけながらもなんとか堪えたカルマは、涙目でそんなオラトリオを睨みつけた。

「ひとがっ!!いるところでは控えなさいっっ!!恥を知りなさいっ、こんのばかっぷるがぁあっ!!」