「生カステラに続き、今度は生ドーナツが登場………」

ぽそっとつぶやかれたオラクルの言葉に、カウンタを挟んで向かいに座っていたオラトリオは、思わず額を押さえた。

My Dear Sweetie Poo

「へえ。日本では、生カステラブームから、最近はいろいろなスイーツの『生』化が進んでいる………ふぅん」

「どこのスイーツ男子だ、オラクル………っ」

額を押さえたまま、オラトリオは小さく呻く。

仕事の合間、多少暇ができたのだろう。

そこでオラクルが新たなウィンドウを起ち上げて読んでいたのが、最近のスイーツ事情に関するもの。

オラクルだ。電脳における知の宝物庫:<ORACLE>の管理人。

世界中から種々さまざまな知識や技術の最先端が集められる、その巨城の主が――暇なときに収集する情報が、スイーツ。

ばかにしたものではないとはいえ、スイーツのブームだの新店情報だの――

「………っていうか、『なま』って、なんだっけ?」

「そこからかっ!!」

「ぅわっ?!」

確かに、おっとりぼやんとした世間知らずの箱入りがオラクルとはいえ、今のはあまりにあまりだった。

堪えきれずに立ち上がって叫んだオラトリオに、訳の分かっていないオラクルは目を丸くして仰け反る。

「オラトリオ?」

「なんでもねえ。なにも起こっていない。俺はなんにも聞いていないというかむしろ聞こえないなにも」

「……オラトリオ?」

大丈夫かと。

さっとオラクルから顔を逸らし、口早に言い募るオラトリオの様子はなにかしら、追い込まれているようにも見える。

純粋に心配するオラクルだったが、オラトリオは顔を逸らしたまま、追い払うように手を振った。

「なんでもねえったらなんでもねえのいいからオラクル、仕事しろ仕事」

「やっぱりなんでもなくないだろうおまえが仕事しろとか」

「たまにはあるんだよ仕事したくてしたくて体が疼いちゃうこととか!!」

――オラトリオは微妙に涙目だ。

あからさまにおかしい。

オラクルは口を噤み、しげしげと相棒を観察した。

誤魔化し方に、いつものキレと巧みさがない。言いくるめる言葉が上滑りで、オラクルはさっぱり惑乱させられない。

どう考えても、オラトリオは不調。もしくは、ひどく動揺している。

「いいから、とりあえず仕事しろ。暇なんだったら、お茶淹れてくれ」

「いいけど………」

首を傾げながら、オラクルはとりあえずウィンドウを閉じた。カウンタの中から出ると、お茶にするときに使う、来客用ソファへと歩いていく。

「リクエストはあるか?」

「ひんやり苦くて、爽快になるやつ」

「どうしてそう、抽象的なんだ私がそういうのが苦手だって、知ってるだろうに……」

ぶつぶつとこぼしながら、オラクルはウィンドウにリストを展開し、オラトリオのリクエストに合うものを探す。

こちらの適当な注文に真剣に悩むオラクルを眺めつつ、オラトリオはがりがりと頭を掻いた。

甘いものは苦手だ。あまりおいしいとは思わない。

「…………つってもまあ、今回は日本なだけ、まだましか」

欧米のスイーツは最悪だ。甘いうえに脂肪が多く、こってりもったりしていて、そしてばかみたいに量が多い。

比べると日本のスイーツは、脂肪がまず少なく、甘さも控えめ、そして値段の裏切り具合甚だしい、お上品な大きさ。

オラトリオは掻き乱した頭をごとんとカウンタに落とし、力なく瞼を閉じた。

そんなオラトリオへと、悩んだ末にオラクルが出してくれたのは、ハーブコーヒーをアイス仕立てにしたものだった。

***

「たでーま、オラクル!」

「おかえり、オラトリオ」

久しぶりに電脳空間にダイブしたオラトリオは、液晶越しではない、『生身』のオラクルを抱き締めて安堵の吐息をついた。

深々と吐き出されるそれに、胸の中に大人しく収まっているオラクルはくすくすと笑っている。

「笑いごとかよ」

「いや………うれしいなと思っただけだ。そうやって、私を求めてくれることが」

「あー…………ったく…………っ」

意味不明な呻きを漏らしながら、オラトリオはぐりぐりとオラクルの肩口に擦りつく。

体格は似たようなものでも、多少、華奢に造られているオラクルだ。

大型犬に全身で擦りつかれるとさすがにぐらぐらと揺れたが、そもそもその大型犬がオラクルを抱えこんでいる。

倒れることもなく、オラクルもまた微笑んで、オラトリオを抱き締めてその肩に顔を埋めた。

そうやって、久方ぶりの逢瀬の感慨を存分に堪能して、しばらく。

「オラトリオ、今はちょうど、仕事がひと段落しているところだから………お茶淹れるよ。リクエストあるか?」

背中に回した手でとんとんと叩かれながら訊かれ、オラトリオはもそもそと顔を起こした。

首を傾げてから、ふいっと上目になる。

「オラト……」

呼びかけて、オラクルは口を噤んだ。

ぞろりと、演算が重ねられる気配――空白の表情を晒したオラトリオは、なにかのプログラムを高速で練っている。

わかったので答えを急かすことなく、オラクルはじっとオラトリオを見つめて待った。

長いような気がするわずかな時間を費やし、オラトリオの表情が生気を取り戻してオラクルを見つめる。

てろりと、舌が突き出された。

「土産があるんだわ」

「ありがとう、オラト………んっ」

礼の言葉を皆まで聞くことなく、オラトリオはオラクルを抱く手に力をこめ、そのくちびるにくちびるを重ねる。

とろりと潜りこんで来た舌が、迎えるオラクルの舌と絡んで融け、体の奥深くにまで潜りこんで来た。

「ん………っんん、ふ………っん、ん………っ」

プログラムを好きなように掻き混ぜられて、オラクルは震えてオラトリオにしがみつく。

融けこみたい。

募る願いに、つい体が解けそうになるが、身の内に潜りこんだオラトリオがうまくまとめてしまって、形を崩すに至らない。

「ん、ふぁ………っ」

「………うまいかどうか、微妙だけどな。俺もそうだが、訊いてみたらほかのやつも結構、好き嫌いが激しかった」

「ん………」

名残惜しく、頬にこめかみにとキスをくり返しながらささやかれ、オラクルは濡れるくちびるに指を添わせた。

口の中に残されたのは、オラトリオが造った『プログラム』――『外』で食べてきたなにかを、電脳プログラム化したものだ。

未だに蕩けているような気がする舌を繰り、オラクルはプログラムを解く。

「ん、んん………っ?」

「生カステラ。………食ってみたかったんだろ?」

「ん………」

口の中いっぱいに頬張っているも同然の状態なので、オラクルは呻き声で答えるだけだ。

笑いながら、オラトリオはオラクルの後頭部をくすぐり、口を開くのを待った。

「………ヘン………っていうか、これ、『生』………なまって」

「火を通す前の状態っつーだけのことだからな、これの場合。あと正確には、『生』じゃなくて、半熟」

「はんじゅく………」

「半分火を通した状態。生焼けだな」

身も蓋もないことを言うオラトリオに、オラクルは微妙な表情を上げる。しぱしぱと瞳を瞬かせつつ、無邪気にオラトリオを見つめた。

「ということは、ほかの『生』をうたっているスイーツも、こんな感じなのか?」

「あー、いや、それは………」

さっと視線を逸らして言葉を濁したオラトリオを、オラクルはじーっと見つめる。

じーっと。

じーーーーっと。

「…………仕方ねえな。ちょっと待て」

「うんっ!」

大きなため息とともにつぶやいたオラトリオに、オラクルはぱっと表情を輝かせた。

再びぞろりと演算が動く気配がして――

「まず、生チーズケーキ」

「んっ」

メニューがつぶやかれ、オラクルのくちびるにオラトリオの舌が潜りこむ。

とろんと融けて、舐め合い、体の芯まで痺れたところで離れ、オラクルの口の中には『生チーズケーキ』のプログラムが残る。

「ん………」

ほわんと頬を染めて味わうオラクルを抱いたまま、オラトリオは新しいプログラムを組み上げる。

オラクルの咽喉がこくりと動いて、プログラムを入れたことを確認すると、くちびるを寄せた。

「次は、生ドーナツ」

「ん…っ」

触れて、伸ばされる舌と絡み合い、融けて混ざった一瞬を永遠にしてしまいたいと思いつつ離れて、残るプログラム――

「………まったく。なんでそんなに甘いもんが好きになったかな、おまえは……いくら子供舌とはいえ、なあ。俺のほうは、甘いもんが苦手だっつーのに」

「うん、ごめん」

何度も何度もくり返した甘いキスの余韻で、オラクルはすでにひとりでは立っていられなくなっている。

完全にオラトリオに支えられて、その肩に顔を埋めたオラクルは、しがみつく手にきゅうっと力をこめた。

「別に謝れとは言って…」

言いかけたオラトリオの言葉を訊かず、オラクルはすりりと肩口に擦りつく。

「おまえが甘いもの苦手なのは、知ってるんだけど………たまに、どうしても……」

「だから、嗜好の問題なんだからいいっつってんだろ。おまえに強制されてるわけじゃなく、俺が好きでやってることなんだし」

「そうなんだ。おまえがそうやって、私が強制したわけでもないのに、こうやってしてくれるから………」

「ん?」

言葉の行方が、自分の思う方向とは違いそうだということに気がつき、オラトリオは視線を下に向けた。

仄かに見えるオラクルの表情は甘く蕩けながら、微妙に苦いものを含んでいる。

「………たまに、ひどくおまえに甘えたくなって………甘やかされたくなって………甘いものはもちろん好きだけど、それ以上に、………甘いものが苦手なおまえが、私のために甘いものを食べて、『お土産』にしてくれるのが、…………うれしくて」

「……………」

ぽつぽつと断片でこぼされるオラクルの言葉を拾い集め、オラトリオは肩に埋まる頭に頬を擦り寄せた。

纏う色が、複雑な心境を素直に表して揺らいでいる。歓びと後ろめたさと、――罪悪感と。

「つまりなんだ………まったく食いたくないわけじゃないが、実のところ食うのは二の次で、俺に甘やかされたかっただけか」

「………ごめん」

つぶやいて、オラクルはますます肩口に顔を埋める。しがみつく手にもこれ以上なく力が篭もって、抱き寄せたわけでもない体が殊更に近づく。

総括したオラトリオのくちびるは笑みを刷いて、そんなオラクルを一度、きつく抱きしめた。

すぐに緩んだ手は体の下へと辿り、オラクルを腕に抱え上げる。

「オラトリオ?」

「甘やかされたいってんなら、いくらでもたっぷりと甘やかしてやる。おまえの言う我が儘なんざ、かわいいもんだ。とりあえず、ひと段落ついてんだよなだったらこっちも、気を入れて甘やかしてやるよ」

「………」

ぱたぱたと、オラクルの纏う色が忙しなく変わり、明滅する。

笑って答えを待つオラトリオに、オラクルもまた、笑みを選んだ。

「ああ。頼む。たっぷりと、私を甘やかしてくれ………」

ささやきがすでに、甘く蕩けていた。

甘いものは苦手だ。

けれどこれならば、いくらでもどんなにだって食べられる。

埒もないことを考えながら、オラトリオは上機嫌で歩き出した。

執務室の傍ら、永遠に続く本棚の果てに存在する、プライヴェート・エリアへと。

***

「あ」

仕事の待ちの合間に、適当なウィンドウを起ち上げて見ていたオラクルが小さな声を上げる。

「マカロンの新店オープン………」

つぶやきが聞こえてしまったオラトリオは、がっくりとカウンタに懐いた。頭を抱え、ため息とともに吐き出す。

「おまえはどこの国のスイーツ『女子』だ、オラクル………」