いつもは自分が横たわることが多い、特注サイズの巨大なベッド。

そこにオラクルの体を横たえたオラトリオは、腰を屈めると微笑むくちびるを額に寄せた。前髪を梳き上げ、晒した額にそっとくちびるを落とす。

くちびるに伝わる――熱。

ココ・ライム

「………おやすみ、オラクル。しばらくは俺がなんとかしてやるから、ゆっくり休め」

「ん………」

やわらかにささやくと、オラクルは小さく呻いて身じろいだ。

といっても、ほとんど体は動かない。動かせない。

疲労が限界に来たオラクルの機能は、極限まで落ちて自由を失っている。

ここまでになる前に俺を呼べよと――言いたくても、オラトリオもオラトリオで忙しかった。

スケジュールを把握しているオラクルが遠慮して呼び戻せないのは道理で、呼ばれても戻れなかった公算のほうが大きい。

だからせめて、こうしてなんとか戻って来た今は、出来るだけ長く休ませてやりたい。

ゆっくりと、心安らかに。

守護者である自分が<ORACLE>にいる間が、オラクルがもっとも心安く休める時間だ。

侵入者に怯えなくていい。

たとえ侵入者があったとしても、守護者がすぐ傍にいる。

その、なによりの安心感。

「おまえが起きるまで、ここにいるから」

「……………」

やさしい言葉に、オラクルの纏う色が揺れる。

喜色を孕んだ暖色――そして、さびしさを刷いて沈む熾火の色。

纏う色はそのまま、オラクルの感情だ。

読み取って、オラトリオはわずかに瞳を見張り、くちびるを苦笑に歪めた。

――ここにいるから。

何気なく発した言葉。

『ここ』が差す場所。

それは、『ここ』ではない。

「………寝るまでは、傍にいてやるよ、オラクル」

「………ぅん」

ようやく、オラクルが頷いた。寂しさを隠しきれない色を纏ったまま。

オラトリオが言ったのはあくまでも、『<ORACLE>にいる』ということだ。

<ORACLE>の――眠るオラクルの傍らに居続けてやると言ったわけではない。

オラトリオの仕事もあるが、オラクルが寝ている間に肩代わりする<ORACLE>の仕事もある。仕事と切り離したプライヴェート・エリアにいては、それらを片付けることが出来ない。

眠り続けるオラクルの隣で、ずっと手を繋いでいてやるわけにはいかない。

「………ありがとう、ん……」

寂しさを灯しながら、聞き分けのよい言葉を吐くくちびるに、オラトリオは軽くくちびるを重ねた。

我が儘を言えよと思う。

言われても叶えられないし、叶えられない我が儘を言う苦しさも知っていて、それでも思う。

我が儘を言えよと。

どうか、言ってくれと。

「………そうだ。子守唄をうたってやろうか」

「………こもり、うた?」

後ろめたさと憐れみともろもろ重なった挙句、オラトリオの出した提案に、オラクルはゆっくりと瞳を瞬かせた。

「こもりうたって……」

「なにも子供相手だけにうたうもんじゃねえよ。大人でも、よく寝たいときなんかは聴いたりする。最近はリラクゼーション・ミュージックってジャンルも一般的になってきたしな」

オラクルが当然するだろう問いを先に取って答え、オラトリオは体の向きを変えるとベッドの端に腰かけた。

振り向くと、怠さの中に不思議そうな光を宿すオラクルへ笑ってみせる。

「おまえ、俺の声――『うた』が、好きだろう……まあ、あれとはちっと違うけどよ。普通にうたっても、俺は美声だぜ。よく眠れること請け合いだ」

「………」

オラクルがオラトリオの声――『うた』が好きなのは、それによって守られているからだ。

それは本来的には、単なるプログラムの発露に過ぎない。

しかしコードのアタック・プログラムである細雪が美しい刀身と映り、触れられぬでも感嘆の吐息を誘うように、オラトリオのうたもまた、電脳の世界を美しく揺るがせる。

ハッカーやウイルスによって根拠と論拠、依拠の狂った世界を、規律正しく調律し直す天の声。

揺るがせ響くうたは、なによりも美しく力強い。

「………うたえ、る、のか?」

もそもそと訊きながら、横を向いたオラクルがそっと片手を伸ばしてくる。哀れなほどに、もどかしい動きだ。

望みがわかって、オラトリオは笑いながら片手を伸ばした。いつもと違って熱を持ったオラクルの手を取ると、痛みを与えない程度に強く握りこむ。

「もちろん、うたえるさ。聴きたいか?」

当然だろうと自慢顔で言ってやれば、じっと見ていたオラクルの表情がわずかに綻んだ。体を動かすことやしゃべること、のみならず表情も自由にならない今、それでもうれしそうな笑みを浮かべて見せる。

「ききたい」

ぽつりとこぼし、オラクルはオラトリオの手を握り返した。

「………きかせて、くれ」

つぶやきながら、瞼が落ちる。

白い面を眺めながら、オラトリオはさらに、オラクルと繋いだ手に力を込めた。

傍らに座る。手を繋ぐ。

オラクルが眠りに落ちて意識を失くすまで、オラトリオが確かに傍にいたと、感じていられる。

そして、うたう――響く、うたごえ。

手の感触がなくなっても、存在を感じ取れなくなっても、耳にはオラトリオの実在が届く。

声は誘うだろう。安らかにして、やわらかな眠りの世界に。

オラクルの全身を、『アイシテイル』の言葉でくるみこんで。

「………じゃあいっちょ、気合い入れてうたうかね」

さすがにそこまでは気障かと苦笑しながらつぶやいたオラトリオに、オラクルは言葉もなく、ただ手を握り返してきた。

なによりも雄弁に――うれしいと。

「♪」

ひたすらに愛情と思いやりが込められたオラトリオの声は、朗としながらもやわらかに空間を揺るがす。

プライヴェート・エリアは揺り籠に変わり、空間の主をやさしい眠りへと誘った。