「♪」

うたわれる、うた。

どこかで、聴いたような――

ルー・ラ・ヴィー

「………『♪』?」

聴き覚えはあるのにぱっと曲名が浮かばず、オラトリオは首を捻りながら、自分でも旋律をくり返した。

「♪―♪」

その間にも、うたは進む。

楽しく弾んで、転がる毬のように軽やかに、華やかに。

「………『♪―♪』…………って、ああ。そうか、なるほど………」

追いかけて旋律をくり返し、ようやくオラトリオは納得した。

アレンジが利いていると言おうか、大分本家と雰囲気が変わっているせいで、手間取った。

これでも、うたは専門と言ってもいいのだが。

「♪、♪―♪」

「あー………」

楽しそうに、こぼれるうた。

明るく弾んで、子犬や子猫が合わせてダンスでも踊りそうな。

――そういううたではない。

本家は、という意味だが。

歌詞に使われた訛り言葉の印象とも相俟って、薄暗く、気持ちが落ちていくような気がするうただ。

指摘するべきかどうか、うたう相手の姿を追いながら、オラトリオはわずかに悩んだ。

腕に抱えた資料を、踊るように空間を渡りながら仕舞うオラクル。

あっちに行ったと思えばこっちに行き、こっちからあっち、そっちどっちへと、くるくる目まぐるしく動き回る。

そして目まぐるしく動き回りながら、そのお供としてこぼしていくのが、はなうただ。

浮く表情に、軽い足取り、纏う色は活気に満ちて、その様子ままにうたわれる、明るい旋律――

「………どこで聴いたやらなあ……」

こんなに明るい曲調でうたわれたものなど、そうそうあるとも思えない。

閉じられたオラクルの世界のどこをどう辿り、奇跡的とも言えるような、こんな旋律に出会ったのか。

テレビ禁止だの、ネットを見るなら乳幼児向けフィルタリングを掛けろだの、散々に意見しているが――

「♪」

「………まあ、いいか」

しばらく聴いていたものの、オラトリオは結局、そう結論した。

ふっと笑うと帽子を取り、腰かけていた執務室の来客用ソファにごろりと横になる。帽子を顔の上に被せると、瞼を下ろした。

「あ、こら、オラトリオ寝るならここじゃなくて………」

「あー………」

飛び回っていたオラクルだが、自堕落な守護者の様子を目ざとく見つけると、ぷりぷり言いながら降りてくる。

オラトリオが意味もない声とともに帽子を軽く上げると、声ほどには怒っていない顔のオラクルが覗き込んできた。

「疲れているなら、ベッドを使え。なんのために、プライヴェート・エリアなんかつくったと思ってるんだ」

「休むためだぁな」

「わかってるなら………」

お説教口調のオラクルに、オラトリオは帽子の陰から笑いかけた。

「うたを聴いていたい」

「………う、た?」

オラトリオの言葉に、オラクルは虚を突かれた顔になった。纏う色すら、その瞬きを止める。

その様子に、オラトリオは軽く首を傾げた。

「自覚ねえのか、おまえさっきからずっと、………」

「え、あ、うた………うたって、それか。う、………う、聴いて、たのか」

「まあな」

指摘してやると、オラクルは珍しくもうなじまで真っ赤に染まった。照れている。ついでに、罪作りだ。

ソファに転がるオラトリオを覗き込んで、オラクルは腰を屈めている。立っているときに見ても誘われる襟元だが、屈みこむこの姿勢もまた――

「………寝るつもりなんだけどよ。おまえも仕事中だし」

「えうん、どうぞ?」

「いや………」

ちょっぴり元気になりかけた自分へと釘を刺した言葉に、律儀に応えられてしまった。

オラトリオは軽く瞳を回し、帽子を顔に乗せ直す。

ため息を吹き込んでから、もう一度帽子を上げて、まだ傍らに立っているオラクルを笑って見た。

「ちょうどよく、うたってるのが子守唄だしな。よく眠れそうな気がする」

「え、これ、子守唄なのか」

「おい………」

そこからか、とオラトリオは目を眇めた。どこでどう拾ってきたのか知らないが、そもそも肝心のところがわかっていないとは。

「あ、いや、うん。そういえば、タイトルも『子守唄』ってついてたな………全然意識してなかったけど。歌詞がまったく、意味不明だったし………」

「だろうな」

――それ以前の曲調の問題や、もろもろあるのだが。

どうせオラクルだと、オラトリオは嫌な感じに順応性を発揮した。戸惑っているオラクルに、つまんで軽く浮かせただけの帽子を振ってみせる。

「仕事していていい。ついでに、気にせずうたっててくれ」

「う………ん。いい、けど」

躊躇いがちに頷いて、オラクルはちょこりと首を傾げた。心配そうに、オラトリオを見る。

「眠るんだろううるさくないか、うたってたら」

「子守唄すべてに攻撃を仕掛けるな、オラクル。さすがに勝ち目がねえ」

「え?」

思わず真顔で説いたオラトリオに、オラクルは理解が及んでいないときの常で、身に纏う色を派手に瞬かせた。

大分アレンジされていたとはいえ、オラクルがうたっていたのは『子守唄』だ。

子守唄というものは、本来的にカラオケやステージで熱唱するものではない。子供を寝かしつけるために、親などが寝間でうたうものだ。

うたっていたらうるさくて眠れないだろうと、心配される類のものではない。

確かに明るい曲調で、弾むようにうたわれてはいたが――

「………うるさくねえよ。気持ちよく眠れそうだった」

説明したところで煩雑となって面倒なので放り出し、オラトリオはそう言うに止めた。

帽子の陰から覗いた笑みに、窺うようだったオラクルの体からも力が抜ける。戸惑いに忙しく瞬いていた色が落ち着き、くちびるが綻んだ。

「じゃあ………ちょっとだけ」

「ああ。遠慮すんなよ」

「うん」

うれしそうに頷き、オラクルは体を反す。カウンタに置いてあった新たな資料を抱えると、床面を蹴った。

浮く体は軽く、翻りはためくローブも弾んで瞬く。

「♪」

こぼれ出す、うた。

明るくやさしく、子犬や子猫が歓んでダンスに興じそうな。

「オラクル」

「ん?」

オラクルが空間を渡る手前で、帽子を顔に乗せたオラトリオは声をかけた。

「そのうた――好きか?」

訊くと、空間が華やかさに満ちた。

帽子の下、瞼も閉じているから見えてはいないが、わかる。

空間統括者であるオラクルの感情は、身に纏う色だけでなく、<ORACLE>という空間自体にも作用する。それは、そこに流れる『空気』も含めて。

だから聞く前には答えがわかっていたものの、オラクルが実際こぼした言葉に、オラトリオは横たわったままのけ反った。

「うん、好き。かわいい」

いくらなんでもと、オラトリオが固まっている間に、オラクルは資料を戻すために空間を渡って行ってしまった。

それでも、聴こえる――旋律。

歌詞が理解できなかったと、言っていた。だからだろうか。

本来込められていた怨みも苦しみも悲しみも削げ落ちて、ひたすらにやさしく、楽しくなったうた。

「♪―♪、♪」

「………ま。………ありだろ」

つぶやくと、オラトリオは体から力を抜き、オラクルの人柄ままに明るく奏でられるうたに耳を傾けた。