「悩みがあるんだ、オラトリオ」

「悩み?」

いつもの通りにカウンタ越しに向かい合い、仕事をしていたオラトリオだ。しかし向かい合うその相方からふいに声を掛けられて、顔を上げた。

オラクルはひどく真剣な――深刻なと言い換えてもいい表情で、オラトリオを凝視していた。

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「………どうした」

そんな重要な案件が最近流れたか、それともセキュリティに問題でも起きたのか。

思いつく限りのデータを高速で確認しつつ訊き返したオラトリオに、オラクルは真面目な顔まま、告げた。

「オラトリオが格好いい」

「そうか」

頷き、オラトリオは検索していたデータに条件を付け加える――『オラトリオが格好いい』。

「――あ?」

再検索をかける前にその言葉の意味に気がつき、オラトリオは急ブレーキをかけたようにがっくんと体を揺らした。

きょろきょろと執務室を見回して、思わず探すのが『オラトリオ』だ。

<ORACLE>において、電脳最強の守護者<ORATORIO>といえば、=オラトリオ以外にない。

しかし事態が複雑でややこしいことに、<ORACLE>には単純な音としての『オラトリオ』が二人いた。

いや、あれに『人』などという数え方を使うのは、オラトリオとしては業腹だ。あれは個数でいい。匹ですらない。

いわば、オラトリオが一人と一個。

「オラトリオ、私は『オラトリオ』の話なんかしてない」

「だよな!」

微妙に鬼気迫る表情となっていたオラトリオに、オラクルがため息とともにフォローを入れた。

同じ名前の『オラトリオ』同士でオラクルを取り合うという、多少洒落にならない修羅場を形成している、電脳図書館<ORACLE>の相関関係だ。

なにが洒落にならないといって、オラトリオがオラクルを取り合う相手の『オラトリオ』だ。

ねこかたぬきか判然としない、ぽっこりおなかと指なしの手が特徴の二頭身キャラクタで、言葉もまともにしゃべれない。

そのうえオラクルは、『オラトリオ』をペットかぬいぐるみのように愛玩しているだけだ。曲がりなりにも恋人であるオラトリオと同列になど、見ていない。

そんな存在と、まさか本気で修羅場を――くり広げているのが、電脳最強の守護者だった。

伝説の真実など、蓋を開ければそんなものだ。

とはいえ――

「そもそもはおまえがややこしい――いや、そうじゃない。今日の問題はそこじゃねえ!」

慌てふためいた挙句にツッコミどころを間違えかけ、オラトリオは腰を浮かせた。

相変わらず非常に真面目な顔のオラクルを、きっと睨む。

「そうじゃなくて、おまえだおまえやっぱりおまえが悪い、オラクルなんだよ、俺が格好いいって。そりゃ俺は格好いいが、それと悩みとなんの関係がっぶわっ!!」

衒いもなく己を格好いいと言い切ったオラトリオは、突如頭上から降り注いだファイルの滝雨に打たれ、床に沈んだ。

大変冷静かつ冷徹に指を鳴らし、滝雨を降らせた図書館の管理人はというと、嘆かわしいとばかりに小さなため息をこぼす。

「落ち着け、オラトリオ」

「おかげさまで頭が冷えました悩ましいまでに格好いい俺をもっと大事にオラクル!」

がばりと立ち上がったオラトリオは、句読点もなしに一息で叫ぶ。ちょっぴり涙目だ。

ファイルひとつひとつは軽いが、軽ければいいというものではない。角が痛い。大量の角が。

この場合、数は間違いなく武器であり、凶器だ。

しかしそれ以上引きずることなく、オラトリオは椅子に座り直した。残念な感じに慣れがある。

きちんと座ったうえで、オラトリオはカウンタ越しに、どうしても真剣な表情のオラクルと向き合った。

「んで、おまえの悩みってのは」

「だから言ってるだろう。おまえが格好いい」

「――そうか」

付き合いも長い。とても残念な感じに、オラトリオはオラクルに慣れがある。慣れではなくて諦めではないかとも言われるが、どちらにしろ同じだ。

今さら相棒が、常識を無視したり超越したことを言い出したところで、度肝を抜かれたりはしない。

この世間知らずがと罵って終わりだ。あまりひどいなら、きちんとした訂正を入れるが。

「――で、俺が格好いいと、どんな問題が生じるんだ」

一息の間に諸々の諦めや諦念や諦観をやってのけ、オラトリオもまた、真面目な顔でオラクルに訊き返した。

そこのところで、オラクルに疑問はない。こくんと頷いて、オラトリオの前にウィンドウを展開した。

「パフォーマンスが落ちる。主に私が、おまえに見惚れたりときめいたりしているせいで」

「――はあ」

データが集積され解析され分析され、見事な報告書としてまとめられてウィンドウに展開されている。

世界最高の知の宝庫<ORACLE>だ。

一年三百六十五日、二十四時間、世界の至るところからのアクセスに応じ、リクエストに答え、暇らしい暇などほとんどない。

はずだ。

「それというのもこれというのも、おまえが格好いいせいだ」

「――なるほど」

作成されて展開された以上はすべてのデータを読み込み、オラトリオは頷いた。がしがしと、頭を掻く。

「つまり、俺が目の前にいなけりゃいい………」

諦めのうえで、主に面倒くささから極論へと走ろうとしたオラトリオだ。しかし相方は、そう甘くない。ある意味でもって無駄な方向に、手抜かりがない。

オラクルはきゅっと眉をひそめると、爪先でこつりとカウンタを叩いた。

「そんな単純な問題じゃない、オラトリオ。ちゃんとデータを見ろ。おまえが傍にいるときと離れているときのパフォーマンスについても、データがあるだろう」

「――ありますねえ…………」

<ORACLE>とは――以下同文。

オラトリオが傍にいてもパフォーマンスに問題があるらしいが、離れても時間の経過とともに、問題が示されている。

数値を感情に置き換えるなど愚かの極みだが、おそらくは『寂しさ』ゆえに。

オラトリオはウィンドウを眺めつつ頬杖をつき、ないはずの魂が吹き出るようなため息をこぼした。

「どうすればいいと俺が格好良くなくなればいいのか?」

「どうやって?」

自棄の混じったオラトリオのぼやきに、オラクルは真面目に返してきた。

ひょいと眉を上げて視線をやったオラトリオを、オラクルは無限の信頼とともに拭えない疑問を浮かべ、凝視している。

「あ?」

「どうやって?」

「――どうやってって」

まさかの切り返しに絶句したオラトリオに構わず、オラクルは続けた。

「おまえが格好良くなくなるって、格好良くないおまえって、有り得るのか?」

「――」

しつこくくり返すが、オラクルは真剣だ。

どこまでもどこまでも――

絶句していたオラトリオだが、ややして姿勢を正した。答えを待つオラクルを、無敵にして絶対の守護者としての厳しい眼差しで見据える。

「あのな、オラクル。――実は俺も今、これと似たようなパフォーマンス上の問題を抱えててよ。どうせだから、いっしょに考えちまいたいんだが」

「なんだ?」

オラトリオの提案に、オラクルは素直に訊き返した。

そのオラクルに、オラトリオもまた、真顔で吐き出す。

「おまえがかわいい」

「………」

吐き出された問題に、オラクルはしばし、纏う色を瞬かせた。

対するオラトリオは先のオラクルと同じく、真面目にして真剣なままだ。

「俺もな………かわいくないおまえとはって訊かれると、それは答えらんねえわ。想像もつかねえ。シミュレーション不能。というわけでいっしょに考えてくれ、オラクル」

深刻な表情と声音で吐き出され、オラクルはこくりと頷いた。

「そうだな…………難問だ」

世界最高の知の宝庫、膨大な量の『蔵書』を誇る電脳図書館<ORACLE>。

その管理者と守護者は最高難易度の問題に立ち向かうべく、真剣な顔を突き合わせた。

***

「エレクトラ。どうして俺様たちは、ここでおやつにしようと思ったのだろう」

「あら、お兄様。心が折れましたわね」

<ORACLE>執務室に置かれた、来客用ソファ。

いつものように押しかけたうえ、座りこんでおやつを頂戴していたロボット・プログラムの兄妹は、管理人と守護者の会話もまた、つまみにしていた。

しかし最終的に、茶化しと尊崇の念を持って『ご老体』の字を冠せられた兄のほうは、ぐずぐずに心が折れたらしい。珍しくも背中が撓み、しけった雲を背負って木枯らしを吹かせている。

二十代の若者の姿でありながら、まさに『ご老体』そのものだ。

隣に座った妹のほうといえば、さっぱり堪えた様子がない。

喧々諤々とやっている<ORACLE>の二人を、慈母の微笑みを浮かべて眺めた。

「エルも悩ましいですわ。おふたりったら、いくつになっても仲がよろしくて………ほんとにお可愛らしいんですもの見ていてまったく飽きませんわ。退屈知らずですわ!」

きっぱり言ってのけた妹の、きらきらと輝く翳りない笑顔に、心弱い兄は首を横に振った。

「エレクトラ………おまえはやさし過ぎる」