問いは唐突だった。

「なあ、オラクル……おまえ、好きな花は?」

果敢ノ王

「………好きな、花?」

オラクルと執務机を挟んで座るオラトリオから放たれたのは、これまでの仕事とまったく関わりのない質問だ。

おうむ返しにしながらも、オラクルは時間を確かめた――まだ、この『仕事嫌いのワーカホリック』が飽きて、ぼやきだすには早い。

が、あくまでも平均的に見てという話だから、今日はすでに仕事に飽きて、気晴らししたくなっているのかもしれない。

付き合ってやって大丈夫な仕事量だったか、中身だったか――

そういったことを並行して考えつつ、オラクルは問われた内容である『好きな花』に思いを馳せた。

執務室の中に、飾られた花はない。

そういう場所ではないという以上に、この空間の管理人が花を飾ること、いや、『花』そのものに対する興味具合が低いということを示している。

のに、この質問。

――まあ、仕事に飽きたオラトリオの言葉は、駄々か難癖か、どちらかと決まっている。

非常に失礼な感想を抱きつつ、オラクルはことりと首を傾げた。

「好きな花というのは浮かばないが――今、興味がある花だったら、ネリネだ」

「………ネリネ?」

「うん、そう。これ」

訝しそうに訊かれて、おそらくはリアルスペースで女の子に片っ端から花を贈りまくっている彼であっても、よくは知らないマイナーな花なのだろうとオラクルは考えた。

なにかが非常に親切なオラクルは中空にウインドウを呼び出すと、画像を開いてみせる。

「造園家のひとから、質問が来てね……すでに答えて、終わっているといえば終わっているんだが。なんというか、………うん。妙に、残ってね。勝手に、調査続行中というか」

「………はあん」

気のなさそうな相槌を打ちながら、オラトリオは画像に添付されていた花の資料を高速で解析していく。

気がなく聞こえるのは、情報解析に取られているからだろう。推測したオラクルは腐すこともなく、オラトリオが『空く』のを待った。

「………うーーーーーん」

ややして、オラトリオは呻きにも似た声を漏らしながら、椅子に凭れた。むにゃもにゃと口の中で言葉を転がしながら、微妙に悩ましい表情を浮かべている。

おそらくは、暇つぶしにされた質問――だと思っていたのだが、いったいどうしてこうまで悩まれているのだろうか。

そうでなくとも、世間ずれしたオラトリオと『箱入り』のオラクルとでは、いくら思考を共有していても考えの端緒を掴むことは難しい。

駄々をこねる理由にしようと思っていたのに、意外にも反撃パンチを食らわされてしまったとか――しかし、この花のなにで、どう、オラトリオに反撃パンチが決まるというのか?

そっくり返って倒れそうなほど、背もたれに体を預けて悩むオラトリオだ。迂闊に質問もできない。

仕方がなく、オラクルもまた、自分が提供したネリネの画像と資料を、改めて見直してみた。

華やかな、花だ。寄り集まって開く花の様子が、オラトリオに教えてもらった花火に似ている――そう、妙に残ったのは、そのせいだ。画像を見て、オラトリオが想起された。一瞬で。

この花について調べているときは、常にオラトリオのことを想っている。想える。彼は知らない、まったく関係のない花だが、そうではない。

見た瞬間に、まったく関係がなくともオラトリオが浮かんだ。

オラクルにとって重要なことはそれだけで、オラトリオのことを想いながらするなにかは、常に幸福だ。オラクルにとっては。

――というあれこれは、さすがに本人には説明し難いし、説明したところで、『どういう理屈なんだか、まったくわかんねえよ』と一蹴される可能性が高い。

ので、言わないのだが。

「あ、やっべ忘れてた。そっか、リアルじゃねえわ、ここ!」

「オラトリオ?」

延々うんうんと唸っていたオラトリオだが、非常に重要かつ、とてもがっくり残念な基本に気がついたらしい。

忘れるようなものなのか、オラクルにはよくわからないが、確かに今ふたりがいる『ここ』はリアルスペース――現実空間ではなく、電脳空間だ。

オラトリオは一度、帽子を取ると、きれいに整えられている髪をわしゃーっと掻き乱した。がっくりがっくんと脱力して己の愚かさ加減を嘆き、それからバネ仕掛けのなにかのようにがばりと起き上がる。

「よっしゃよっしゃ、挽回ばんかい」

「オラトリオ……」

なにを失敗した挙句の、挽回なのか。

先からずっと無視されているような恰好のオラクルのくちびるが、わずかに歪んで尖りだした。

悩むのはいいが、そろそろ――

が、オラトリオはまったくオラクルに構う様子なく、力強さを取り戻した表情で、きゅっと手袋を嵌め直す。ずれる要素は皆無だが、気合い入れというものだろう。

そうやって引き締めたところで、オラトリオは机の上、オラクルの前に両手を出した。すぐさま、描かれる空間。

「………?」

仄かな光とともに走るプログラムを、オラクルはきょとんとして見つめた。浮かぶグリッド、入れ替わる数字、組み上げられるポリゴン、増加し、倍化し、圧縮して、構成されていく、なにか――

「……………」

オラクルは瞬きもせず、オラトリオが眼前に展開する世界に見入った。

珍しいものだという、わけではない。オラクルにも可能な、それもこうやって時間をかけることなく一瞬でできる業だ。

見入る理由があるとするなら、それは『オラトリオが見せている』、その一事に由来する。

複雑極まる演算というわけではない。オラトリオとて、本来なら一瞬で組み上げるプログラムだろう。

それをこうやって時間をかけ、そのうえオラクルの眼前に突き出した状態でやっている。

『見ろ』ということで、だからオラクルは見る。作られているものは、プログラムも展開されているし、形もつまびらかにされているから、すでにわかっている。

わかっていて、わからないのは、どうしてオラトリオが作っているのかということと、作ったそれを、どうしようと考えているのかということ。

「よっしゃうん、思ったより、思った通り以上のもんができたな!」

「なんだそれ」

オラトリオが機嫌よく吐き出した宣言通り、観覧する展開プログラムの時間は終わった。

オラクルは前のめりになっていた姿勢を戻しつつ、呆れたように色を瞬かせる。

意味が通じない文章だ。いくらオラトリオが『人間ずれ』しているとはいえ、それにしても限界はある。

「だから、……まあ、そうだな。おまえのおかげで、労なくして豪勢なもんができたって、そういうことだ」

これは、珍しい言いようだ。オラトリオは滅多には、オラクルのおかげだなどとは、こぼさない。そう思っていたとしても、このへそ曲がりのつむじ曲がりの捻くれ屋は、素直には言えないのだ。

対してなにあっても素直なオラクルは、やはり素直にきょとりとして、纏う色を明滅させた。

「私のおかげ……?」

「そうそう、おまえのおかげ」

くり返して、オラトリオは笑う。微妙に、へそ曲がりでつむじ曲がりで捻くれ感のある、笑みだ。

だからといって腐す言葉を続けるわけでも、茶化す方向に持って行くでもなく、オラトリオは腰を浮かせた。

椅子に凭れるようにして座ったオラクルの頭上に手を伸ばすと、持っていた花冠――ネリネの花で編んだ冠を、ふわりと、落とす。

きちんと計算された冠は、オラクルの頭にやわらかに着地した。サイズが余ることも、足りないこともなく、ぴたりとオラクルを飾る。

「……オラトリオ?」

オラクルは上目になって、自分の頭へ視線をやった。そうやったところで見えるものではないが、やってしまうことというのは、ある。

自分の頭に乗る前、眼前に出来上がったネリネの花冠の記憶は、ある。

そもそもネリネというのが、ひとつの茎に毬のようにいくつもの花が集い咲くものだ。花弁の広がるさまは、花火にも似て華やかなのが、ネリネだ。

それをいくつもいくつも重ねて束ね、オラトリオは花冠の形に組み上げた。

一般的な『花冠』の言葉で想像される素朴さとは違い、もともとの花のボリュームもあって、確かに豪勢な出来だ。

――先につぶやいた、『ここは現実空間じゃない』というのは、この花を実際、リアルスペースで今つくったような形にするのは、難しいか、不可能だということだろう。

しかしここは、多少の現象は曲げられるプログラムの空間――サイバースペースだ。

いくつかのデータを付加し、あるいは除いて、オラトリオは花冠をつくった。

それは、オラクルのために?

「くれるのか?」

「ああ」

そっと訊いたオラクルに、オラトリオは微笑んで頷いた。一度は乗り出していた体を再び椅子の背もたれに預け、軽く両手を広げる。

鷹揚に、振った。

「おいで、――俺の、王さま」

「………」

ぱちくりと瞬いたのは、オラクルの目だけでなく、纏う色もだ。ぱちぱちぱちぱちと、心模様を素直に表して、色は明滅し、瞬き、眩むように入れ替わる。

確かにこの豪勢な花冠は、王さまの冠と言い換えてもいいだろう。いいだろう、が。

そんな、偉そうなものになった覚えはない、とか。

そんな、偉そうに振る舞った覚えはない、とか。

それ以前に、まだ仕事時間だ、とか――

言いたいことや言うべきこと、言わねばならないことは一瞬のうちにきれいにリスト化されたが、オラクルはひとつも口には出さず、別のことを考えた。

急ぎの仕事はない――途中で止めると取り返しのつかない仕事もない。

このあとほんの少しばかり、スケジュールの練り直しは、必要になる。

が、総じて結論を言うなら。

「………くるしゅうない、?」

「っははっ!!」

『王さま』に相応しい言葉を探り、小首を傾げて自信なさげに口に出すオラクルに、オラトリオは楽しそうに笑う。笑いながら、広げた手をさらに広げ、招く形で振った。

「……ふん、だ」

笑われて、拗ねたようにこぼしたオラクルだが、すぐに笑顔となると、ふわりと浮いた。

地を歩き、机を迂回して情人のもとへ行くという発想は、もとよりない。

オラクルは、サイバースペースのイキモノ。

リアルを知らず、リアルの知を預かり守る――

ふわりと浮いた体は、軽々と机を越え、情人が広げて待つ腕の中へ。

重さもないまま乗り上げて、首に腕を回すと、一度きゅうっとしがみついた。

すぐに顔を上げると、笑うオラトリオのくちびるにくちびるを重ねる。重ねたくちびるから、回した腕からプログラムが解けて絡み、しかし頭上の花冠だけは残り――

オラトリオと融け合いひとつになった幸福を、花冠が燦然と飾っていた。