オラトリオはあくまでも守護者プログラムであって、保護者プログラムでもなければナーサリープログラムでもない。

このオラクルはどう見ても、人間で言うところの四、五歳の幼児に見えたが、そんな小さな子供の取り扱い方法など知らない。

ただ、首根っこをつまんだままでは、いくらなんでもこの管理人に失礼だろうとは思ったし、子供の取り扱い方法としても正しくはないだろうとは考えた。

だからといって、抱っこの仕方もわからない。

途方に暮れながら、オラトリオはつまみ上げたままの幼児化管理人を眺めた。

Episode00-色は匂へと-04

衣装はいつものものだ。それをきちんとからだのサイズに直している。だが、この見た形であの服装をすると、どうにもおかしい。

「…幼児服を探すとこからすればいいのか?」

思わずつぶやいたオラトリオに、つままれたまま項垂れていたオラクルが、憤然と瞳を尖らせた。

いつもどおり、感情の揺らぎに合わせて痛いほどに色が瞬く。

「その前に、この恰好をどうにかしろ!」

「…まあ、そうなんだけどよ」

どうにかしたいのは山々だが、だから幼児の扱い方など知らないから、以下略。

「まずは下ろせ!」

「…ああ」

意外に元気そうな管理人に安堵しつつ、オラトリオはつまみ上げたオラクルを床に置いた。

小さい。

当たりまえだが、大人から見ても大きいオラトリオに対すると、幼児の小ささは絶句するほどだ。

「話がしづれえな」

「話なんかない!」

思わずぼやいたオラトリオに憤然と返し、オラクルはぷいと顔を背ける。

「さっさと帰れ。次に来るときは、いつもの私に戻っているから」

「どういう原理だよ」

止まらないぼやきに、オラクルはいつものように説明を入れようとして、我に返る。

「いいから、忘れろ。ないないして外に帰れ」

「ないない…」

だれに教わる語彙だ。

ため息をついて、オラトリオは軽く天を仰いだ。

とりあえず、いつまでも立ち話もなんだ。管理人は帰れ帰れの大コールだが、それに易々と従える状況でもない。

暁色の瞳を閉じると、オラトリオは積み重なった記憶を漁った。

あれだけ外を歩いているのだ、子供の姿くらい見たことはある。親子連れの姿も――惜しむらくは、彼らがどうコミュニケーションを取っていたかについては、まったく注意を払って来なかったということなのだが。

「よし」

それでも条件に合致する光景をどうにか見つけ出し、オラトリオは再びオラクルの首根っこをつまんだ。

「オラトリオ!」

かん高い声が抗議する。

それを無視して持ち上げ、自分の肩の上に跨らせた。

「?」

「肩車ってんだ。子供の一般的な運搬方法のひとつだな」

「かたぐるま…」

知識欲旺盛な管理人は、幼児になっても変わらないらしい。

聞き慣れない単語に、検索が動き出すのがわかる。

どうやら機能的にも問題はなく、ただただCGのみが幼児化しているという謎現象らしいと見当をつけ、オラトリオは肩の上で不安定に揺らぐオラクルの背を、軽く自分の頭へと押しつけた。

「ちゃんと掴まれ。落ちるだろうが」

「…」

微妙な沈黙が返される。

逡巡する間があって、小さくやわらかい手が、そっとオラトリオの頭に触れた。

「ちゃんと」

念を押し、さらに背中を押すと、ようやくオラクルはオラトリオの頭に腕を回し、ぎゅ、とからだ全部でしがみついた。

「じゃあ、戻るかね」

「…」

そうやってきちんとくっついても手を放すことはなく、オラクルのからだを軽く支えたまま、オラトリオは空間をシフトして執務室へと戻った。

***

なんだろう、この状況。

オラトリオの膝に乗せられ、オラクルは居心地悪く考える。

オラクルを連れて執務室へと帰ってきたオラトリオは、そのまま来客用のソファへと向かった。どっかり腰を下ろして、肩の上のオラクルを膝に置くと、半分寝そべるような形になった。

そして、膝から下りようとしたオラクルを引き留めると、――なにをするでもなく、膝に乗せたまま、読書に勤しみ始めた。

寝そべる頭の周りに展開されているのは、育児関連の書籍や、論文。

失礼なと思う。

見た形こそこんなだが、中身はきちんといつものオラクルだ。

ただ、CGだけが、こんなふうになっているだけで、中身はきちんとオトナだ。

――たぶん、大人だ。

稼働したばかりの自分を大人と言っても良ければ。

だが少なくとも、年齢設定としては十分に大人と主張してもいいはずだ。

読み耽っているオラトリオの邪魔にならぬよう、そっと膝から下りようとすれば、気配を察知した守護者の手が引き留める。

引き留めて、けれど、なにをするでもない。

ただ、ずっと膝の上に。

座り心地がいいとか悪いとかそれ以前に……オラトリオは確か、「べたべたするのが嫌い」じゃなかっただろうか、と思う。

初めて会った日。

握手の手を弾いた瞬間の、顔を覚えている。

感情を学習し、相棒について学ぶにつれ、あれは、最高に嫌悪していた顔だとわかった。

未熟だったとはいえ、そんなことを強いて悪かったな、と思うし、わかった以上は態度に気をつけようとも思う。

オラトリオは鈍いのなんのと腐すが、オラクルにだとてそれくらいの学習能力はあるのだ。

「べたべたするのが嫌い」というのは、つまり、触られるのがいやだということ。

必要以上に傍に寄られたくないということ。

だから、これまでずっと、距離に気をつけてきたのに。

「…」

そっとオラトリオを盗み見て、オラクルは肩を落とした。

子供服ブランドを検索している。

だからこれは一過性のもので、ほんの一瞬のことなのに。

しかもなんで、そんなに楽しそうなのだろう。

退屈さに負けて、オラクルは這ってオラトリオのからだを上って行った。

「なに見てるんだ」

「ん?」

顔の傍まで来たオラクルに眉をひそめることもなく、オラトリオは展開していたウィンドウの角度をわずかに修正した。

オラクルにも見やすいようにして、指差す。

「これがUSAの子供服。こっちはパリで、こっちはミラノ。んでこれが…」

「…なにがどう違うんだ?」

「わかってねえなあ」

人間の服など見慣れないオラクルには、場所の名前を出されても意味をなさない。純然たる疑問をこぼすと、オラトリオは楽しそうに笑った。

「USAは、色といい形といい、パンクだろ。で、パリになると、遊びはあっても上品な色と形になる。ミラノは……」

「だから、なにが違うんだ」

説明されても、どれも同じに見える。

頑固に言い張るオラクルの頭を、オラトリオの大きな手が撫でた。

そんな子供扱いをされる謂れはない。

見た形がどんなでも、オラクルの中身は変わっていないのだから。

それでも、楽しそうなオラトリオの顔に、やさしく細められた瞳に、オラクルは抗議の言葉を呑みこんだ。

「…」

恐る恐る、オラトリオのからだの上に寝そべる。小さな手で、ふわふわの感触のコートを、きゅ、と掴んだ。

その間も、オラトリオの手が、ずっと頭を撫でてくれている。

大きな手。

やさしく、力強く、頼もしい手。

「おねむか?」

常になくやわらかい声にささやかれ、オラクルは首を傾げた。

おねむ、という単語は、聞いたことがない。理解が及ばないのだが、なんだかやさしい響きがする。

「ん」

意味がわからないまま頷き、オラクルはさらにオラトリオに擦りついた。

大きなおおきな守護者のからだ。

やさしい手のひら。

「…ん」

もう一度頷くと、オラクルの意識はゆらゆらと静寂に呑みこまれた。

***

眠りに入ったオラクルの頭を撫で、オラトリオは小さく笑みを刷いた。

子供関連の書籍を漁っているように見せて、片手間に続けていたオラクルの状態の検索。

どうやら、「次に来たら元通り」は確からしい。

システムダウンするほどのトラウマに襲われた衝撃を、オラクルは子供の姿を取ることによって癒すのだ。

一時的に子供の姿になり、そこから元の大人の姿へと成長する。

一見、CGを組み替えただけのようにも見えるが、その過程を経ることで、オラクルは胸に抱えた重過ぎる傷に幾重ものロックを掛けることに成功しているのだ。

人間が成長の過程で、傷を癒したり、蓋をする術を覚えていくのに似ている。

オラクルはそれを、人間にはとても不可能な速度でやってのけるだけだ。それも、トラウマに襲われるたびに、くり返して何度も。

もちろん、ただ子供の姿に戻ったところでトラウマを封じるのは困難だ。

サポートする相手が必要なはずで、オラトリオがいない間それが出来たものとなれば。

「…まあ、蹴りも平手も入れるわな」

つぶやいて、オラトリオは胸の上、急速に成長していくオラクルを眺めた。

異様な光景ではある。

眠る幼顔が、徐々に肉を削ぎ落とし、胸にすっぽり収まっていたからだが、支えていても落ちそうなほどに伸びて広がっていく。

現実にはあり得ないが、ここは電脳で、彼はプログラムだ。

オラトリオはただ、黙って成長を見つめていた。

一歩、いや、半歩、踏み出しただけだ。

まだまだ越えるべき課題は山積みで、そのほとんどをオラトリオがつくり出したとも言える現状。

時間があるかといえば、そんな気はまったくしない。

明日どうなるか知れない、それがオラトリオであり、電脳という世界。

それでも、急くことなく手を伸ばさなければいけない事案はある。

放り出したままにはしておけない問題はある。

「どうすっかな」

信頼の回復は、急務であり絶対。

守護者としては、外すことのできない案件。

だが、どうか甘えてほしいと、どう乞えばいいのだ。

甘やかしたいのだと、どう心情の変化を語ればいいのだ。

自分ですら、このこころの傾きを理解できずに、持て余しているというのに。