色が瞬く。

色は素直だ。彼の感情そのままに、うれしいときにはきれいなパステル、怒っているときには目を刺すビビッド、かなしいときには――

感情を隠すことを知らない表情以上に、オラクルが纏うノイズカラーは、素直に今の気持ちを語る。

そのオラクルが閃かせたのは、不可解。

Episode00-色は匂へと-08

「…?」

言葉の意味がわからないと、オラクルはまだ赤みを残した幼い顔を不思議そうに開いて、オラトリオを見つめる。

「だからさ、おまえ………泣けよ」

もどかしい気持ちばかりで急いて、オラトリオの言葉はずいぶんと乱暴だった。

泣かせたいかというと、そんなことはまったくない。人間と付き合って来て、泣いているものの相手ほど、面倒なことはないと学習した。

それになによりオラクルが泣けば、守護者としての自分の本能が騒ぐだろうことも予想がつく。

泣くというのはとりもなおさず、オラクルが『いたみ』を感じている証拠だからだ。

守護すべきオラクルが『いたみ』に泣けば、それはオラトリオの『痛み』に変換されて襲い掛かる。

わかっていても、オラトリオはオラクルを泣かせたかった。

人間ならば、泣いている。

その場面で、オラクルが泣いていたのを見たことがない。

オラトリオだとて、ひとり涙したことがあるのだ――人間が流す涙と違って、ロボットであるオラトリオが流す涙には、なんの作用もない。こころが救われることもない。

それでも泣けば、そのうち自分のあまりの愚かしさに、現実への諦めがつく。

けれど、オラクルは――

「――泣くって、どうやって?」

「ど、うやって、って」

真顔で問い返されて、オラトリオは言葉に詰まった。

どうやって泣くのかと問われて、悲しいと涙が出るだろう、と返すのは、違うだろう。

危惧が現実になっていく感覚に、オラトリオは眩暈がした。

オラクルは、泣いたことがないのだ。

いや、泣いたことがないのではない――おそらく、『泣く』という機能が、ない。

そもそも、『オラクル』に感情は必要ないというのが、学者たちのスタンスだった。感情などなくとも、応対プログラムさえあればいいというのが、言い分だ。

人間との応対をするうえで、本来なら感情は邪魔だ。

感情は常にプラスに働くとは限らない。ユーザが常に善良であるとも限らない。

滞りなく、常に安定して<ORACLE>を運営しようと思ったら、本当には感情などあってはいけない。

それでも感情を与えたのは、スペア・プログラムであり、守護者であるオラトリオが、感情豊かな最新型のロボットだったからだ。

まるきり感情のないプログラムでは、そのうちコミュニケーションに行き詰る。

そのために、オラクルには微々たる感情が与えられた。

<ORATORIO>を理解するために。

<ORATORIO>の安定のために。

泣くのは、安定に反する。

不安定な感情が涙を誘うのだから、――必要ない。

そうやって、削られて与えられる、歪な感情。

「………おまえ、泣きたくなんないか、いい加減………」

「オラトリオ?」

打ちのめされて、項垂れたオラトリオに、オラクルはぎょっとして身を引く。

膝の上のオラクルを落とさないようにしながらも、オラトリオは背が曲がったまま、まっすぐに出来ない。

すっくと立つなど、無理だ。

どうして、ここまでされて、それでも人間のためにオラクルを守ることなど出来るだろう。

守っても守っても、守れば守るだけ、オラクルはまた、人間に虐げられ、新たな傷を与えられるのに。

悲鳴を上げる口を塞いで、涙を乾上がらせて、もがく手足をもぎ取って、悶えるからだを磔にして。

「……オラトリオ」

膝の上で、オラクルが立ち上がる。そっとオラトリオの首を抱き、こめかみにくちびるをつけた。

頬に、瞼に、額に。

降り注ぐ、キスの雨。

「………オラクル?」

戸惑って声を上げると、一度びくりと竦んで、それからまた膝に座った。

「泣いてるみたいだったから」

「…」

答えは、答えになっていない。

泣いていると、キスをするなんて――どこで仕入れた知識だと呆れる。もしかすると、テレビ禁止令を出したほうがいいかもしれない。

そっぽを向いて、オラクルはどこか拗ねたふうだ。身に纏うノイズが、怒ったような色に瞬いている。

いや、それよりなにより。

「………俺が慰められてちゃだめだろう………」

「?」

自分が泣くことは出来なくても、オラトリオが泣くことについての理解はあるらしい。

どこまでも、オラトリオにやさしい、オラクル。常に思いやって、そのための行動を躊躇わない――

「オラクル。おまえ、泣きたくないか」

「…」

ため息のように訊かれて、オラクルは瞳を瞬かせた。

「別に……」

「泣こうぜ。もう、泣いてもいいと思うんだよな。おまえ、ちょっとあんまりアレだわ」

「オラトリオ?」

ひとりで勝手に言葉を継いでいくオラトリオに、置いて行かれるオラクルは不安そうに甘い声を上げる。

小さなちいさなからだ。

本来、有り得ないバグ。

与えられたペルソナを弄るなど、プログラムの身には不可能な――それを、可能にしてしまった、過ぎる感情。

抑圧され歪められ、統制すらも利かなくなった、暴走する思い。

よく耐えてきたと、だれかが褒めてやっていいはずだ。

だれかが、労ってやって、甘やかしてやっていいはずだ。

――そのだれかが、自分であっても、いいはずだ。

プログラムである自分たちが泣くことに、ほんとうには意味はない。

ストレスを軽減するでなし、ただ襲うのは、絶望と諦念だ。

それでも、泣くことに意味があるとするなら、絶望と諦念を受け容れて初めて見えてくる、希望と新しい道だ。

そこに絶望があると気がついた瞬間に、反対側に希望があることに気がつく。

希望があって、初めて絶望が存在する、その単純なカラクリ。

辿りつけるかどうかはわからなくても、あることに気がつくことだけで。

「ちょっと待てよ」

「オラトリオ!」

ソファにどっかりとからだを凭せ掛けて、オラトリオは瞳を閉じた。<ORACLE>から、ごっそりと演算を引き出し、プログラムを組みだす。

目を閉じているのに、オラクルの纏う色が、火花を散らすほどに瞬いているだろうことがわかった。繋がっているとは、そういうことだ。

落ち着かなげにからだを蠢かすオラクルを逃がさないように囲い込んで、オラトリオは知識を総動員してプログラムをつくり上げた。

「……よし」

「……なんなんだ、いったい」

かん高い声が、拗ねた響きでオラトリオを詰る。

それも、もちろん悪くはない。

小さなオラクルだとて、オラクルには変わりなく、覚える感情はまったく同じ――

「?」

自分で自分に首を傾げ、オラトリオは胸を掠めた思いを追う。

しかし、尻尾を掴みかけたそのときに。

「オラトリオ!」

「っ」

苛立つ声に呼ばれ、はっと我に返る。

我に返って膝の上を見れば、小さな管理人が、精いっぱいにからだを膨らませて、おかんむりを表現中だ。

「さっきから訳のわからないことばっかり言ってるけど、おまえ、仕事は?!」

「………とてもすてきな指摘をどうもありがとう」

「どういたしまして!」

皮肉に真顔で返される。

とはいえ少なくとも、ありがとうと言ったら「どういたしまして」と返すようになったのだから、挨拶について、多少は学習したようだ。

「私だって仕事があるんだぞ。いつまでもこんな情けない姿でいられないっていうのに」

「まあ落ち着け」

議論は初めに戻り、オラトリオは今、組み上げたばかりのプログラムを舌に乗せた

「そこで、これだ」

「どれだっ!」

くちびるを寄せると、舌を伸ばしてオラクルの瞳に触れた。人間とは違うから指で触れようがなにで触れようが痛みもない場所だが、それも躊躇われた。

舌もどうかとは思うが、まあ、現在のところ、オラクルも小さいわけだし――

「んっ、なにっ?!」

プログラムを押しこまれ、オラクルが瞳を瞬かせる。もう片方の瞳にも同じように触れて、オラトリオはくちびるを離した。

「オラトリオ、なに――」

「泣く機能」

「?!」

きょとんと瞳を見張るオラクルに笑って、オラトリオは再びくちびるを近づけた。

反射で閉じた瞼にキスを落とし、目尻へと辿る。そこからわずかにオラクルのプログラムへと介入し、今渡したばかりのプログラムを開いた。

「………なんだ、これ?」

呆れたようなオラクルの声は、あまりそぐわなかった。

くちびるの辿ったあとからぼろぼろと涙をこぼしながら、しかしオラクルの表情は『泣いている』には少し遠い。

「だから、『泣く』機能」

くり返して、オラトリオはもう片方にもキスを落とす。

「泣く機能って………なんの意味があるんだ、そんなもの」

「言うよなあ」

ロボットが泣くのは、模した感情のゆえだ。感情が激したら泣くもの。その前提の上に立つ機能。

人間に近づけるなら、涙のひとつも流せなければ。

そう、考えただけの。

「でもな、泣いてれば、慰めようもあるだろ」

「?」

わからないと、涙をこぼしながら不思議そうな表情を晒すオラクルに、オラトリオは小さく笑う。

即席のプログラムだ。ただ、涙を流すだけの。

感情にまで介入することは出来なかったから、ほんとうに、意味のないプログラム。

けれど。

「泣いている人間は、抱きしめやすい」

つぶやくと、瞳が瞬いて涙を散らした。

「泣いているなら、抱きしめて、よしよしってしてやりやすいんだ。それが人間の作法だから」

「………そうなのか」

歪な知識を、オラクルは素直に受け止めてしまう。

それから、首を傾げた。

「でも……」

「辛いときは泣けよ。そうしたら、俺が抱きしめて、よしよしってしてやれるだろう」

正確に言うなら、触れやすくなるだろう、だ。

笑うオラクルに触れるには、理由が必要だ。意味もなく抱きしめられるような関係ではない。

激しているオラクルを抱きしめるためには――だれに見咎められても、平然と抱きしめるには、理由が必要だ。そういう関係なのだ。

泣いていれば、抱きしめてもなにもおかしいことなどない。

「………つまりおまえ、私のことを、よしよしってやりたいのか?」

導き出された答えに、オラトリオは笑った。

その通りだし、少し違う。

「………そんなに、私のことを子供扱いしたいのか?」

憤然と言われて、それも涙ながらだ。

自分でやったこととはいえ、その効果は絶大で、オラトリオは笑みを消した。

「そうじゃなくてよ」

うまく説明が出来ないのは、自分でも自分が不可解だから。

オラトリオは、ただ、『泣く』オラクルを抱きしめた。

「俺が、おまえを慰めたいんだ」