回線が切れる。

そのほんの、一瞬間際。

――泣きたい

Episode00-色は匂へと-12

「オラクル!」

叫んだときには、画面がブラックアウトしている。

浮かせた腰はそのままに、暗い画面を見つめ、オラトリオはしばし呆然とした。

聞こえた。

きっと人間なら、聞き取り不可能な、一瞬の――

泣きたい

どさっと勢いよく椅子に腰掛け直し、オラトリオはため息をつく。

「……………もっと素直に呼べよ……!」

聞き逃していたとしても、あのタイミングなら赦される。次に会ったとき、どうして来なかったんだ、とオラクルが責めることもないだろう。

いや、話題に上ることすらない。

そんな、タイミング。

「………意外に、性根がひん曲がってやがる」

笑いながら、つぶやいた。

わかっている。

ひん曲がっているのではなく、恐れているのだ。

管理人はまだ、守護者を信じ切れていない。

いや、<オラクル>が、<オラトリオ>を。

ハッカーから守ってくれる『絶対の守護者』としては、信じてくれだしている。幾度も積み重ねた実績が、過去のトラウマを引きずるオラクルのこころを解している。

けれど、それ以外の――個人的な存在としての<オラトリオ>のことは、まったく信じていない。

まったく、と言ったらきっと、そんなことはない、と返すだろうけれど。

信じていないから、<オラクル>の我が儘に本当に付き合ってくれるだなんて、思いこめない。

思いこめないから、ああいう、誘い方になる。

断られたときの逃げ道を用意して、期待を裏切られたとしても、落胆することがないように。

「しょーじき、忙しいよな」

<ORACLE>と連絡を取り合うために入った機密度の高いブースを見渡し、オラトリオは苦笑する。

PCに明滅する、スケジュール。

監査官としての仕事も軌道に乗り出した現在、オラトリオは目が回るほどに忙しい。とりもなおさず、これまで監査官が機能していなかった分野すべてを、取り上げようとしているからだ。

そうすることで、<ORACLE>は内からだけでなく、外からも、さらに堅固に守られることになる。

守護者として、ハッカーを退治することと同様に、外せない重要な仕事だ。

フローをつくり上げ、練り直し、監査官という制度をしっかり沁みこませるまで、オラトリオに暇はないだろう。

呼ばれたところで、応えられない。

応えられない、けれど――

「無敵の守護者を舐めんなよ、オラクル」

一度トルコ帽を持ち上げ、髪をきっちり撫でつけ直す。

ふ、と瞳を細めると、素知らぬ顔で<ORACLE>から演算を引き出した。

高速化し、複雑化した回路を駆使して、編み上げる練り直しのスケジュール。

ばれれば、無駄なところで私の演算を取るなとでも怒られるだろうが、そこはそれだ。

おまえのための時間を捻出するのが、なにが無駄かと言い返してやろう。

言い返して。

抱きしめて、口づけて、無理やりに泣かせてしまおう。

「………んあ?」

鼻唄すらうたいそうな気配で演算をくり返していたオラトリオは、自分の思考に少しだけ首を傾げた。

なにか、微妙に、不穏な単語が混ざっていた、ような――気が?

「……気のせい、だよな?」

深く考えようとして、止めた。

そんな暇がないというより、こころが鳴らす警鐘によって。

そこはまだ、深く考えるべきときではない。

今は、まだ。

ロボットに勘などというものが存在しないことは百も承知で、それでもオラトリオはその「勘」に従って、深く突っ込むことを止めた。

今はまだ、ということは、判断材料が揃っていないということだ。

いずれ、材料が揃えば、また考えるときも来る。

そのときに。

「よっし、やっぱ俺って天才!!」

片付いたスケジュール調整に、オラトリオは快哉を叫んだ。

今すぐにはもちろん、行けないけれど――オラクルが失望しきるよりずっと前には、会いに行ける。

会いに行って、抱きしめて、キスをして、この腕の中で存分に泣かせて。

「待ってろよ、オラクル」

短いメールを、ひとつ。

<ORACLE>に送ると、オラトリオはブースを飛び出した。

猶予はない。

すべて世の中は「予定外」で成り立っていて、どう反省し、学習し、新たに対策を練り直しても、何度でも裏切られる。

裏切られ、叩きのめされ、おまえは未熟だと突きつけられる。

完璧に組んだ予定になど、意味はない――いつでも「予定外」に潰されて、踏みにじられて、嘲笑われる。

けれど、その「予定外」と常に闘い、勝利してきたのが、オラトリオだ。

どんな予定外が起ころうとも、勝利する。

すべては、<ORACLE>――<オラクル>、箱庭で叡智の光を掲げる、管理人のために。

傷ついても、傷つけられても微笑み、オラトリオのすべてを受け入れて赦す、ただひとりの彼のために。

これから先、長い道を共に歩んでいくと決めた。

だから。

「笑え、オラクル」

念じる。

メールを受け取って、笑え。

願いが叶えられる、その期待に笑え。

そして、自分が行ったなら、存分に泣け。

自分の前でだけ、自分の腕の中でだけ――

兆す、感情の名を、まだ、知らない。

END