「どぅぉりゃぁあああああっ!!!」

「甘いっ!!ばかの一つ覚えと言うんじゃ、そういうのをっ!!」

「んぎゃあっ!」

エーラクレィスの

飛びかかって来たシグナルを、コードはあっさりと避け、のみならず頭を掴んで容赦なく床に叩きつける。

べちゃりと潰れたシグナルに、さらに容赦なく足を振り下ろし――

「んっがっ!!」

寸前で体を反して踵の難から逃れたシグナルは、そのまま身軽に跳ね起きる。滑らかな動きでターンを決めると、その足を勢いを殺すことなくコードの腹に。

「だから、読んでおるわっ、この未熟者っ!!」

「っだぁあっ!!」

飛んで来た足首を掴んだコードは、遠心力を利用してシグナルの体を放り投げる。

「――おかしいな。どうしてコードに負けるんだ?」

データ採取中のモニタ画面と、バトルコロシアムと化している<ORACLE>内部の一空間とを見比べ、オラクルは不思議そうに首を傾げた。

「あん?」

傍らに控えていた守護者が、落ちたつぶやきを拾い上げ、オラクルの肩に顎を乗せる。

コロシアムで戦う師弟に視線を遣ってから、モニタ画面に抽出されたデータを観た。

「ほら、このときの動きとか………軌道と速度が、不自然なんだよ。だからといって、シグナルがわざと外しているとか、手加減しているわけでもない。とても自然に、不自然なんだ」

「おまえの言葉も、とても自然に不自然だよな」

モニタのデータを指差しつつ説明したオラクルに、オラトリオはため息とともに混ぜっ返す。

「オラトリオ」

「ああ待てまてまて。歴戦の勇者たるおにーさんが、ちょっと分析中だから、後で」

「…………」

癇癪を起こしかけたオラクルだが、真剣にモニタに見入るオラトリオの言葉に、ぐむっと言葉を呑みこんだ。

しばしの沈黙――

「ぶぎゅるっっ!!」

「まっっったく、情けないぞ、シグナル!!こんな態では、俺様のみならず、貴様に一度は預けた細雪まで、恥だっっ!!俺様の細雪に恥を掻かせるとは、どういう了見だ貴様っ!!」

「んぎゃぁあああっ!!!」

シグナルは何度目になるかわからない、床との熱烈な抱擁を強要され、情けない悲鳴を轟かせた。

彼をサポートするためにいるはずの師匠、コードの鍛え方は、まったくもって情けも容赦もない。本気で殺す気かと、たまに戦慄する。

もちろん、細雪が抜かれていない時点で、殺意がないことは明白なのだが――

「しっしょーぉ。ししょーぉんっ」

「っええい、気の抜けた呼び方をするなっ、ぴよっこ!!」

床との抱擁から離れられなくなっているシグナルにさらなる説教をくり出そうとしたコードだったが、背後から呼ぶあまりにマヌケな声に苛々として振り返った。

空間を区切って、安全を確保したうえでデータ採取中だったはずのシステム<ORACLE>の片割れが、声に相応しいのへんとした笑顔で下りてきている。

「なにをしに来たっ!!」

「いや、お邪魔なのはわかってるんすけどね。いくらなんでもあんまりにも弟が情けないんで、ちょっと兄らしく、助言なんかを」

「助言?!」

オラトリオの発する言葉に、コードは素直に目を剥く。

助言を与えられるほうの弟の反応は、もっと顕著だった。

懐いていた床から即座に飛び起き、近づいてくる兄から逃れようと後ろへ跳ねる。

「オラトリオからの助言なんか、ぶぎょっっ!!」

跳ね飛んだものの、オラトリオはその着地点を予想して空間を継ぎ接ぎし、先回りしていた。

どこのネット空間でも出来る技ではないが、そもそも今いるのはホーム中のホーム、<ORACLE>だ。多少の卑怯技や裏技には応えてくれる。

そうやって先回りしたオラトリオは、リアルでは有り得ない現象に追いつけないで固まっている弟を、再び床と仲良しに戻した。だけでなく、細腰の上にどっかりと座る。

「乗るなぁああっ!!!僕は座布団じゃないと、何度言ったらっ」

「まあまあまあ、いーからいーから聞きなさいってば、シグナルくん。さもないと、オラクルがなんでどーして攻撃してきて、でんのーさいきょーのおにーさんが倒れそう」

「ぅ、オラクル?!」

床に組み敷かれて歓ぶ性格ではない。どうにかしてオラトリオを跳ね飛ばそうとしていたシグナルだが、その名前には固まった。

シグナルにとって、オラクルはオアシス、心の救いだ。新人への期待からとかく厳しくなりがちな周囲の中で、彼は穏やかにのんびりと接してくれる、数少ない癒しのひとの一人なのだ。

そしてもうひとつ言うと、これは最近うすうすわかってきたことだが、いつでもちゃらんぽらんで真面目にならないのが長兄なのだが、ことオラクルが絡んだときだけは、どんな些細なことにも本気になる。

普段は助言を求めても適当に茶化すのに、オラクルがなにか言うと、なんだかんだと腐しつつも、まともな助言を寄越すのだ。

「………い、一応、聞いてやらないでも、ないっ」

「よしよしよし。いーこだな、シグナルくんは!」

「ぅぐぬぬぬ………っ」

床に敷かれたまま、シグナルは歯噛みした。いーこ扱いも、床に座布団状態も、どちらも悔しい。

悔しいが、それというのもこれというのも、自分が弱いから――

「師匠に対抗する方法なんだけどな?」

「え………………………っええええ?!!って、オラトリオっってめえっっ!!!!」

ごしょごしょごしょと吹きこまれた言葉に、最初は瞳を見開いて呆然としていただけのシグナルだが、すぐにその顔は真っ赤に染まり、怒りに歪んで体が跳ね起きた。

即座にシグナルから離れたオラトリオは、袖に隠していた杖を取り出して臨戦態勢を取りつつも、表情は余裕を保ってウインクなどを飛ばす。

「からかうなっっ!!!」

「本気ほんきほんきっ!!!おにーさんを信じなさいっ!!」

「信じられるかっっ!!!」

「いーから、いっぺんやってみろって!!やってみてから、文句を言えよっ!」

「ふっざけるな、このすちゃらか兄ぃいいいいっっ!!!」

「――珍しくも、本気で怒っとるな」

爪弾き状態となったコードだが、怒るでもなく困惑に表情を曇らせて、首を傾げた。

ひよっこ兄弟が目の前で、予定外のバトル中なのだが、いつものように諌める気にもならない。呆れているというより、先にも言った通り、困惑だ。

普段から、反りが合わない長兄に対して剣突くしているシグナルだが、それにしても今の怒りは激しい。

ほとんど本気で、叩きのめそうとしているように見える――完全なる敵にすら情けをかけようとする、義士が。

「オラクル」

「いや、私は知らないよオラトリオが、勝手に行っちゃったから」

壁一枚挟んでモニタリング中のオラクルは、観察用ウィンドウの場所だけ移動させてコードの傍に行き、同じく首を傾げていた。

「なにを言った?」

「シグナルがコードに負けるのは、おかしいって」

「………」

他の誰かに言われれば即行で叩きのめしている言葉だが、相手はオラクルだ。弟云々以前に、その発言は考えなしに現れるものではなく、データに基づいて厳密に判断されて、突きつけられる。

「ふん」

しばし考え込んだコードだが、長くはない。

不遜に鼻を鳴らすと、これまで抜かずにおいた細雪を手にした。

「コード。私の空間を」

「鞘で叩くだけだ。どうしようもないひよっこ兄弟め、放っておくといつまでもぴよぴよぴよぴよと遊んで、さっぱり収拾がつかん」

固い声のオラクルに軽く応えて、コードはどう見ても本気のバトルに突入している兄弟の間にさらりと割って入った。

動きこそ軽く、気負いもなさげだが、半端ではない戦闘力を持つ二人の間に入るのだ。実際のところ、並みの腕ではできない。

そうやって割って入ったうえで、コードは鞘に納めたままの細雪を振るった。

「んっの、ぴよっこどもがっ!!先に細雪の露となりたいのは、どっちじゃっ!!!」

「んっげ!!」

「ぅおっと!」

鞘を払うことなく振り回した細雪だが、それだけでも圧がある。

シグナルは途端に熱が冷めた顔で引きつり、オラトリオのほうはこれ幸いと飛び退って、空間からすら離脱した。

「っあ、オラトリオっ」

「シグナルっ!!」

「っはいっ!!」

逃げたな、と気を取られたシグナルに、コードの轟雷が落ちる。

即座にびしっと背筋を正した弟子を、コードはぎりりと睨みつけた。

「なにを言われたかは知らんが、そうそう容易く理性を切らせてどうする戦いにおいては、先に理性の切れたほうが負けると、これは古来より一切変わらん事実だぞっ!!」

「で、でも」

「でももかかしもないっ!!」

「はいいっ!!」

コードに逆らう怖さは、骨身に沁みている。

しかもコードはこういったことに関してはオラトリオと違い、嘘や誑かし、誤魔化しといったものを言わない。

代わりに、黙る。

だから言われたなら、それはきちんと聞くべき先人の智慧。

とはいえ――

「ぅ、オラトリオ………あとで………」

「しーぐなーる……」

「はいっ!!」

それでも根深くぶつくさこぼしたシグナルだが、コードにぎろりと睨まれて黙った。なによりその手には今、細雪がある。鞘に入ってはいても、一度は言うことを聞かせたとしても、まずいものはまずい。

「もう一度、最初から行くぞ。時間を無駄にはできん」

「はいっ…………ぅうう」

恨みがましく宙のウィンドウを睨んだシグナルに、平然と敵前逃亡を図った兄は、ウインクとともに手を振る。

「……………ってったってさあ………」

「行くぞシグナルぼやぼやするなっ!!」

「のっわっ!!」

深く考える暇などない。

先まではシグナルが先制攻撃を放っていたが、今度はコードのほうから向かってきた。

細雪はしまっていても、動きのキレはいい。強いことに変わりはない。

「ぅうう、でもなあ…………あああもう、仕様がないっ!!!」

「っ?!」

考える暇を与えられず、しかもコードからの猛攻に晒されて、シグナルの思考はさらに空転する。

空転したままシグナルは思いきり、一度飛び退ってコードから離れた。しかし逃げたわけではない。

その体がふっと落ちるように沈みこむと、床を蹴ってコードの懐に飛び込んでくる。

「っく?!」

珍しくも呻きつつ、コードはどうにかその攻撃を避けた。

大きく変わった作戦はない。ばかの一つ覚えと、さっきも罵ったままの流れだ。しかしその動きをくり出す体のキレが、与えられる攻撃の重さが、違う。

次にどう来るか、手が読めても反応が追いつかない。

数瞬で勝敗は決して、今度床に倒されたのはコードのほうだった。

跨って体を押さえこむシグナルは勝利に湧くでもなく、ひどく大人びた顔でコードを見下ろしている。

「――なにを吹きこまれた」

「………」

キレて叫ぶことなく、コードは静かにそんな弟子を見上げる。なにがこの動きの変化をもたらしたのか、探ろうとするように、その瞳には炯々とした光が灯った。

しばし沈黙して見合っていたシグナルだが、ややしていつものように気弱に表情を崩し、気まずそうに俯いた。

「ええっと、その……………」

「ああうん、データ通りだ。性能に問題はないね。でも………」

モニタを観ていたオラクルは、ようやく安堵したように頷いた。

とはいえ、疑問は残る。

どうしていきなり、シグナルの動きが変わったのか――

「なにを言ったんだ?」

知の管理人としての興味と好奇心に押されて訊いたオラクルに、傍らに立って同じくモニタを眺めていたオラトリオは、軽く肩を竦めた。

「『倒すんじゃなくて、押し倒すんだって、考えてみろ』って」

「は?」

きょとんとするオラクルを見返すことなく、オラトリオはモニタ内でいくつかのモーションを重ねる。

「あいつが師匠に勝てないのって、苦手意識があるからなんだよ。いや、刷り込みかこのひとには勝てない、このひとには逆らえないっつー。ほんっとーに、ひよこのときから面倒見られてるからな」

それを言うならオラトリオとて同じだが、ひとつだけ、違う点があった。

オラトリオには、オラクルがいた――存在価値のすべてと、位置づけられた。

彼を守るためには、そういった己の思い込みすらも超えなければならない――

「その思い込みを超える瞬間がなんだったら、まあ、ふっつーに戦って『倒す』んでなく――」

「……………つまり、なにか、シグナル………」

「………」

自分の腰に跨り、体を押さえつけている弟子を戦慄きながら見つめ、コードはぴきぴきと引きつった。

「貴様、今、俺様を――」

「か、考え方だけだってば!!い、今ここで、どうのこうのしようとか………あっ」

「っんぅっ、っぁ!」

言い訳を吐いていた途中で、シグナルは青褪めた。対して体の下に組み敷いたコードからは、艶めかしい呻き声がこぼれる。

「しまった、反射で」

「ん………っの、……………なにが、反射で、だぁああ…………っ」

「ぅ、ひぃいっ!」

押さえつけている手が、押し倒したときの反射でつい、コードのプログラムに融けこんでしまった。

すぐに引いたものの、こんなところで、一瞬とはいえ痴態を晒させられたコードは、全身真っ赤に染まり上がって怒りに震えている。

「え、ええっと、ええっと、こ、こー……」

「お取り込み中、すいやせんねー、おふたりさーん」

シグナルがどうにか言い訳を吐き出そうとしたところに、まったく悪びれることもないオラトリオの声が届いた。

はっとして見た二人に、隔てた空間からウィンドウ越しに手を振るオラトリオは、ぱちんとウインクを飛ばす。

「俺らは欲しいデータが取れたんで、引きますわー。この空間はしばらくお貸ししますんで、ふたりっきりで、ごゆっくりどうぞー♪」

「んなっ!!」

「っっ!!」

朗らかに告げて応えを待つことなく、ウィンドウは空間に霞んで消える。

残されたのは、固まるシグナルと、これ以上ない羞恥に染まって戦慄くコード――

「………こ、こー、ど……」

「く…………っふっくっくっくっくっく………」

「ひぎぃっ!!」

組み敷いたままのコードの咽喉から怪しい笑い声が漏れだして、シグナルは涙目となりながら長兄を呪った。

やはり、あれの進言だの助言だのには、ろくなことがない。

オラクル絡みであったとしても、もう二度とは聞くものか――

呪いと反省を同時にやりつつ、シグナルはさらに高速で思考を空転させた。

とりあえず、今この場をどうにか凌がないと、二度とだの次だのが、そもそも存在しない。