サイヤクサイクロンサイクーン

「カイトはぁ、とのの御前では下穿きを身に着けない主義なのでー、今回の企画には参加できませーーーん☆」

がくぽの招集に応じ、座敷に現れた細作――カイトは用件を聞くや、にょるにょるにゃーんと胸を張り、非常に得意そうに断った。

「んっへへーん、ざぁんねぇんでしたぁ、とのぉvvv」

「仕事だが」

「とーのーのー御前でー、カイトはー、下穿きィ、つーけーまーせーんーーー」

「あー………」

カイトはにょるにょる軽く言っていて、一見与しやすそうだ。しかし実のところまったく一切、主張を曲げる気配がない。

これはアレだ、逆に取りつく島がないというやつだと、がくぽは小さくため息をついた。

がくぽは主であり、カイトは仕える一細作に過ぎない。

けれどこうして言い出したら、この細作が決して引くことはないと、がくぽにはこれまでの経験上、重々にわかっていた。

ましてや今回、無理を押してまでどうしても引き受けろと迫るような中身の仕事でもない。

実際のところがくぽ自身も、カイトがこうして断ってくれたことに多少、安堵していた。

今回、がくぽがカイトに振った仕事だ。

『なえなえ変柄おぱんつ大作戦』という。

一部理解不能の単語はあれ、がくぽは一聴した瞬間に企画者の頭の悪さが慮られた。さらに中身を聞けばもう、慮るどころではなく明確に頭が悪かった。救いようがない。

つまり、こうだ――

まずはがくぽの想い人に、おかしな柄ものの下着を穿かせる。平時に見ればおかしなと嗤う程度のものだが、それを閨事の最中、雰囲気が盛り上がったところで、いざと開帳する。

盛り上がっていたところで見たがくぽが、溺愛を注ぐ想い人相手であってもうっかり萎れて項垂れてしまうものか、検証すると――

一から十まですべてにおいて頭が悪すぎ、もはやツッコみようもなく、がくぽは微妙に頭痛を覚えた。

が、諸々事情もあって断りきれず、呼んだ想い人こと、カイトだ。

カイトはがくぽが手ずから育てた細作のひとりではあるが、同時にただ一人の想い人でもある。割り振るのはカイトしかいなかったが、前述の通りだ。

取りつく島もなくきっぱり断られた。

「だいたいにしてぇ、とのぉ!」

がくぽが引く気配を感じたのだろう。カイトはさらに勢いに乗り、ぷくむっと頬を膨らませた。ねこがやるが如くにゅぐにゅぐと、抗議の頭突きをがくぽの腹にがんがんに入れる。

「カイトはぁ、とのがカイトになえなえになるなんて、ぜっっったいにっ赦しませんしぃっ!!」

「はいはいはい、痛いいたいいたい、否、本気で痛いわ、カイト!」

――カイトは確かにがくぽの『ねこ』だが、『猫』ではない。

華奢で小柄とはいえ成人した男でもあるし、しかも細作だ。がんがんに頭を打ちこまれれば、それなりに痛い。

がっしと頭を掴んで止め、がくぽはやれやれとため息をついた。

掴んだ手を撫でる手に変えると、カイトは満足そうににゅふにゅふ笑って、がくぽの膝に頭を落とす。すりすりと甘えて擦りつくさまは、機嫌のいいねこそのものだ。

主相手に暴行を働き、痛めつけたことへの謝罪はない。

反省の色すらもなく、カイトは無邪気に笑って、がくぽに甘え、懐く。

「………ふん」

痛みに引き歪めていたくちびるも知らず綻び、がくぽは傍若無人なねこを撫でる手に、いっそうの熱を込めた。

「んーんん、とーのぉーvvv」

きもちいーですぅとご機嫌な声を上げるカイトからは、ごろごろと鳴らす咽喉までも聞こえる気がする。いくら『ねこ』とはいえ、カイトにもそこまでは出来ないはずだ。

それでも聞こえる気がすると笑い、がくぽはふと気がついて宙を見た。

首を右に左に傾げて己の思いつきを検討してのち、結論が出たのか、頷く。

鳴らないが鳴るように聞こえるカイトの咽喉をくすぐってやりつつ、がくぽは顎を掬って上向かせ、自分と視線を合わせた。

がくぽ自身も覗きこむようにして、口を開く。

「そなたが下穿きを身に着けぬ主義というのは、そも俺も、承知のことだがな。常々疑問だった。いい機会ゆえ、答えよ」

「ふにゃぁ?」

蕩けきったカイトは返事にもならない返事を寄越しながら、問うがくぽを見上げる。咽喉をくすぐる手は止めないまま、がくぽはことりと首を傾げてみせた。

「ぶらぶらして、邪魔だろうことにそなたのように、機敏な動きを求められる身では………」

「にゃ?」

がくぽの問いに、カイトはきょっとんと目を瞠った。そうでなくとも大きな瞳がますます大きく、こぼれそうにも見える。

がくぽの問いの意味を考える間があり、カイトはすっと目を細めた。

「ぁっはぁ!」

破顔する。

再びご機嫌に笑うと、カイトはことんと体を反して仰向けとなり、さらによくがくぽの顔が見えるような姿勢を取った。

そしてその状態でカイトは得意げに、にゃごにゃごにゃんにゃんと胸を張る。

「だいじょーぶですようとのの御前以外では、カイトちゃんと、下穿き着けてますもーん!」

にゃふーと得意満面で主張し、カイトはぴっと人差し指を立てた。

「さっきもちゃんと、言ったじゃないですか。『とのの御前では』って。カイトが下穿き身に着けないのは、とのの御前だけですもん普段はぶらぶらしてないから、お仕事に差し支えは、まったくありませんよぅvvv」

ぴっぴっぴと人差し指を振りながら、説明してくれる。なにかの師のようだ。説明している内容はアレだが。

とはいえ説かれたところで、納得がいくものでもない。

がくぽはわずかに眉をひそめ、さらにまじまじとカイトを見た。

「俺の前でだけなにゆえだ準備万端の主張か」

「もっちろんですぅ、とのぉvvvカイトはとのの御前ではぁ、なぁんにもカクシゴトなんてありませんよっていう、ちゅーせー心の顕れですぅう!」

「成程」

頷いたがくぽだが、カイトの主張を全面的に容れたわけではなかった。

カイトががくぽを大切に思い、主として仕える意志に疑いはない。全身全霊を懸けて愛おしみ、すべてを捧げてくれていることも、重々に身に染みている。

時としてがくぽはカイトを思い、恋うるあまりに暴走するが、カイトが懸けるがくぽへの思いはさらに深い。

むしろ深刻だ。

思いが深過ぎて、肝心のがくぽに手を掛けることすら厭わないからだ。

そのカイトの主張する『カクシゴトがない』だの、『忠誠心の顕れ』だの――

軽薄にも過ぎて、信用すべき縁がまったくない。

ないので、がくぽはさっくりと問いを重ねた。

「本音は」

「………」

重ねる問いに、カイトはにゅふにゅふにゃーんと笑う。相変わらず、笑っている。笑っているが、笑う顔には翳りが生まれ、気配が闇に堕ちた。ことに日が翳ったわけでもなく、夕入りしたわけでもないというのに、座敷に冷気の靄が漂う。

これはねこのはずだが、なんの妖物だと内心呆れるがくぽに構わず、カイトは滴るような笑みで口を開いた。

「きッたないから舐めンなしゃぶンなって、いッくら言っても聞きやがらないで、下穿きごとカイトのこと、なめなめちゅっちゅvvvしたがる、困ったちゃんなとのが、いるからですぅ」

口調は軽い。むしろいつもの通りだ。声も同じだ。しかし漂う気配が、白い靄が座敷を包んでいるわけで、その発生源はどこかというと、――なのだが。

冷気ゆえではなく、指摘されたことにがくぽはぴくりと揺らいで、一切の動きを止めた。対してカイトはびしりと、額に青筋を浮かべる。それでも笑みは保持しているが、さすがにご機嫌なとは、表し難い。

くちびるだけ笑ませたその状態で、カイトはねこの上げる威嚇音がごとく、きしゃあと吐き出した。

「すぐに病みつく分際で、毎日洗濯したもンだろうが、下穿きしゃぶンな」

「ふっ………」

くちびるから漏れる息すら、座敷の冷気に中てられて白い。

がくぽは素知らぬ風情で笑って、視線はじりりと焦げつくように睨みつけるカイトから、亜光速で目を逸らした。

そのカイトが、目を逸らすなと顎を捉まえる寸前で、がくぽは軽く仰け反る。反動をつけて、前のめりになった。

「っぷしっ!!」

「にゃい゛っ?!」

――備えもないところで、急激かつ厳しい冷気に晒されたのだ。

当然の帰結としてくしゃみをこぼしたがくぽに、カイトは据えていた目をまん丸くした。

驚かされたねこよろしく、びーんと緊張に体を強張らせ、次の瞬間には飛び起きる。その顔が、隠しようもなく本気で青い。ただしこちらは、己が発生源の冷気に中てられたわけでは、もちろんなく。

「とっ、とのっ、とのぉおおっ!!にゃ、にゃぁあああっ!!はんてんっ?!おふっ、おふとんっ!!かいまきぃっっ!!行火、行火と、火鉢に、ゆたぽんと、あと、あとあとあとっ……!」

「否……いくらなんでも、今の今で、そこまででは……。今ならまだ、そなたを抱いておけば十分、十二ぶっ」

――ぐしぐしと洟を啜りつつ主張したがくぽだが、狂乱するカイトの耳には届かなかった。しかもなお悪いことに、最後まで言い切ることすらできなかった。

「っぷしっぷしゅっ!!」

「ぃやぁあああああっっ!!いち、いちだいじぃっいちだいじぃいいっっ!!」

あっという間に冷気を霧散させた細作は死にそうな悲鳴を上げると、トドメとばかりにくしゃみを連発した主のため、布団に行火にと求め、慌てて座敷を飛び出して行った。

この後――

屋敷に残っていた細作衆が総動員され、ちょっとした大騒ぎとなった。

これについて家臣団から上がった苦情をがくぽもさすがに無視しきれず、強制的に入れられた床の中でさらに、反省文を認める羽目となった。

しかし行火代わりにともに布団に入り、ぬくぬくしていた元凶たる『ねこ』は、まったく一文も『ごめんなさい』を書くことはなく、書くよう求められることもなく、――

がくぽは扱いの不公平さについて少しばかりこぼしたものの、誰も取り合ってくれないだろうこともまた、よくわかっていた。

そして事実、その通りだったという。