ラ・トラ・ト

桐子に悪意はない。ただ彼女は、スペシャリストなのだ。プロフェッショナルと言い換えてもいい。とにかく、互いの関係性や感情といったものに左右されず、仕事は『仕事』としてこなす。

というわけで、

「今日も桐子、仕事カンペキ………」

紙袋を開け、中身を取り出した一樹は思わずつぶやいた。緊張に強張りきっていた体から、勝手に力が抜けていく。取り出した中身がぽとりと、床に落ちた。

「くっ…もしかしてこれには、精気を吸い取る呪いが……?!そういえば桐子これ、ふーみんの店で買ったとか言ってたしっ……!」

自室の床にごろんと転がった一樹は呻き、瞼を落とした。

ふぅううと、深いため息がくちびるからこぼれる。次の瞬間にはぱっと目を開くと、ぎゅっと眇め、天井を睨んだ。

「んなわけあるかっつーの」

――とても見事かつ反論の余地もない、寂しいひとりノリツッコミである。

自分でも自覚がある一樹は、さらにもごもごぶつぶつと口の中で言い訳を続けた。

誰へかわからない言い訳を紡ぎながら、一度は床に放った中身――桐子に頼み、頼まれた桐子がふーみんこと、甲斐史虎が営むすてきヘン雑貨のお店で買い求めてきたという下着をつまみ上げる。

ぶらんぶらん、頭上にかざした。

「うーーーん………」

例えばそれが、単なる普通に普通の下着であったとしても、床に転がって頭上にぶらぶらさせている図というのは、少々キているものがある。

しかして今のように、その下着の柄がさらに正気を疑うような奇態な柄であると、もはやシュールだ。笑いたくもないのに、うっかり顔が緩む。泣いているのだか、笑っているのだか判別つき難い、微妙な笑みに。

そして感想は、やはりこの一言に尽きる。

「桐子ほんっと、仕事カンペキ………」

一樹がうら若き乙女である桐子に頼んだのは、男物の下着の用意だ。一樹だとて、そんなものの用意を頼みたくはなかった。ましてや、使用用途が使用用途だ。

『なえなえ変柄おぱんつ大作戦』

うっかり意気が挫かれ、なえなえしおしおになってしまうような趣味の悪さを極めた下着を一樹が身に着け、ぎんぎんぎらぎらヤる気に満ちたトオルと対峙すると。

この場合、一樹の義兄であるトオルのぎんぎんぎらぎらなヤる気の行方と、意味と、そして対峙する場所とかシチュエーションだ――

桐子に頼むのは、それこそ胃が痛むことだった。

しかして対するはトオルだ。生半なことで、あの魔王に勝てるものだろうかいや勝てない。

反語が一分の隙もなく、躊躇もなく極まったことで、一樹は桐子に泣きついた。

大体にして、今回のこの仕事(?)を振った若菜だ。使えないといったらなかった。

仮にも幼馴染みであり、一樹などよりよほど長く付き合ってきたくせに、

――いやぁ、はははは。トオルがどうやったら戦意喪失するかわかんない。はははは。

と、軽く流した。

もろもろ重なって、一樹はちょっと、腹が立った。ちょっと、若菜のことを恨んで呪った。

ので、桐子に協力を頼むと同時に、武村恭一郎にも電話した。

諸々細かい策謀は端折るが、おそらく今日――

若菜が飲みに行った店には、恭一郎の担当編集者が待ち構えているはずだ。ワカコちゃん大好きな、すてき明るいカレシが。

「なーむー」

軽く目を閉じて若菜の健闘と健康、そして幸福的なものを祈念し、一樹は諦めて現実に立ち向かう覚悟を固めた。

くり返すが、桐子の仕事は完璧だった。

文句のつけようがない。仕入れた場所が甲斐の店であったにしても、これだけのものを掘り出せるのは、やはり彼女だからだろう。

霊感がまったくなく、こと勘働きに関して言うなら余程に一樹のほうが優れているはずだが、それでもおそらく、これは桐子だから見つけられた代物で、手に入れられたブツだ。

道具は完璧だ。

今回の作戦のキモとなる下着の、変柄具合だ。見た瞬間、別に漲っていたり、そんなつもりでもない一樹ですら、がっくりと脱力した。精気を吸い取るなにかが憑いているのではないかと、一瞬本気で疑ったレベルだ。

しかしどう精査してもなんの気配もしないし、力も感じない。

これはただただひとえに、絵柄の持つ力である。

「アートの力って、すごいよな、たまに」

――ツッコミ不在のボケを天然でかまし、一樹は床に胡坐を掻いて座った。床に広げたぱんつを睨み、ぬぬぬと考えこむ。

道具は完璧だ。文句のつけようがない。成功は、一樹の勝利は約束されたようなものだ。

道具だけを見れば。

「問題は、俺、なんだよ、なー……」

とほほと、自覚あることをつぶやいて、一樹は苦笑いをこぼした。

例えば、だ。

どんなに威力のある攻撃だったとしても、事前にそれが来ることがわかっているかいないかで、効果は雲泥の差となるだろう。

いくら鳩尾にパンチを叩きこんでも、覚悟を決めて腹筋を固められていたら、気絶させることは難しい。

逆に、まったく油断しきってだらだらに緩んでいる腹になら、一発KO出来る可能性は飛躍的に上がる。それが六つだの八つだの二十だ三十だに筋肉分割しているほど、がちむちに鍛えていたとしても、だ。

そこで一樹だ。嘘がヘタだった。

トオル曰く、重要なことになればなるほど逆に隠すが、どうでもいいことになればなるほど、まったく隠せなくなる、と。

これは多少、苦い経験や思い出もあって、一樹にもコメントし難い。

が、そこはとりあえずして検討するに、自分でも自覚はある。どうでもいい嘘ほど、どうでもいいのですぐにバレる。だってバレたところで、どうでもいいものなどどうでもいいからだ。

そのうえで、今回の作戦だ。

とてもどうでもいい。

もう、心の底から死ぬほど、どうでもいい。

「……っても、なー……負けるのは、やっぱムカつく」

特に、トオルだ。好きか嫌いか聞かれたなら好きだと答えるし、――まあ、好きだ。体を開かれても、赦すほどには。

赦すがしかし、トオルだ。魔王だ。

「身が持たない……」

がっくりと、一樹はつぶやいた。

あちらも一応気は使っているらしいが、所詮トオルだ。常人より余程に限度が――

一樹も抵抗はするが、なんだかんだでいつも、流される。トオルが上手だということもあるし、一樹が弱いということもあるし、複合的にすべてだということもあるが、そろそろ本気で対策を考えないとまずい。

なにがまずいといって――

「………あー、ええと。うん。みがもたないし」

――なんとことここに至って初めて、動機があまり明確ではなかったことに気がついた。

道理でこれまで、なんだかんだで先延ばしして、真面目に考えて来なかったわけだ。

まずいような気はするが、ではいったいなにがまずいのかと、詳細を聞かれたときにぱっと思い浮かぶ懸念がなかった。

吃驚した。なかった。

「いやでも困るきっと困る困るので、今回のこれを、いい機会に!!」

拳を握って立ち上がり、一樹は勢い任せにズボンを脱いだ。下着も脱いだ。桐子に用意してもらった、変柄下着に着替えた。

「うっ、たちあがれな……っ」

アレが自分の股間にと思うとうっかり脱力して床に膝をついたが、一樹はなんとか気力を掻き集め、再び立ち上がった。

ズボンも穿いて隠すと、部屋から出る。向かう先は、台所だ。

「よしっ!!」

気合いも十分に、冷蔵庫の扉を開いた。

とにかく、隠しごとが得意ではない一樹だ。どうでもよければどうでもいいほど、なにか良からぬことを企んでいると、隠しごとがあると、バレバレになる。

そのうえ陰陽師なだけあって、トオルの勘の鋭さは天下一品だ。感応力では一樹のほうが優れるが、トオルはこと、『一樹の隠しごと』となると、滅法強かった。

まるで隠せない。

これを誤魔化し、うまく時間を稼ぐ方法といえば、メシだ。食事だ。食い物だ。

諸々魔王クラスであるトオルだが、特に食欲は凄まじい。おかげで鼻先にメシをぶら下げてやれば、大抵のことは誤魔化せる。所詮は一時凌ぎでしかないが、今回の場合、一時が凌げればいい。

一時的に凌いで、油断のうちに漲らせて有耶無耶にズボンを脱がせ、下着を見せれば――

「なっ、なんでこんな……っ」

なんだって自分が相手をベッドに連れこむ算段を考える羽目にと、一樹は冷蔵庫の扉を開け放したままがっくり項垂れた。

こういうと少々気まずいものもあるが、一樹は常に、流れに流されるだけだ。トオルが手を伸ばし、抱え込み、押し倒されて――

つまり体位の話だけでなく、受け身なのだ。

トオルが手を伸べてくれなければ、どうしたらいいのかわからない。手を伸べてくれなくなったら、どうすればいいのか。

「え。それはヤだ……っ」

「なにがだ」

「ひぃやっ?!」

開け放しの冷蔵庫から沁みる冷気のせいだけでなく、ぶるりと震えたところで、唐突に声が上がった。トオルだ。

「ととと、とぉゆっ?!いっ、いつからっ?!」

「成程」

慌ててばたんと冷蔵庫を閉め、裏返りかけの上ずった声で訊いた一樹に、トオルはこくりと頷いた。

「なにか企んでいるな」

「な、なにぃっ?!」

――いや、『なにぃ?』ではない。これだけわかりやすく動揺しておいて。

だとしても、一瞬で見抜かれた一樹だ。まだ、誤魔化し用のエサをなにも用意していない段階だ。これはまずい。チャンスへの転換方法が見つからない、単純明快にして本当のピンチだ。

「でなにを企んで……」

「ぅぐっ!」

やれやれと腕を組んで訊いたトオルに、一樹は呻いた。扉を閉めた冷蔵庫にびたんと張りつき、すでに逃げ腰だ。

だが、『いいこ』の一樹に神が味方したか、悪魔が惚れこんだのか――その頃には、トオルにも異変が起きていた。

「……?」

詰問を最後まで言い切ることができず、鼻の頭に皺を寄せる。目元を引きつらせ、嫌悪も露わに宙を睨むと、ぐるりと部屋を見回した。

「ヤツの気配がする」

「はえ?」

ぼそりとつぶやかれた言葉は、恐慌状態の一樹には咄嗟に聞き取れなかった。トオルは構わず、なにかの痕跡を辿るように部屋に視線を這わせ、冷蔵庫に貼りつく一樹に戻った。

「そこか!」

「ぇえええっ?!ってちょ、いきなっ、んぎゃぁあああっ?!」

色気も素っ気もない悲鳴を上げる一樹を軽々押さえこみ、トオルは手慣れたしぐさでズボンに手を掛けた。

とはいえ色気も素っ気もないのは、こちらもだ。まるで暴れる幼児の着替えをするがごとくの手つきで一樹のズボンを脱がせたトオルは、露わになった下着に、さらにきつく眉をひそめた。

「ちょ、ちょっとなにし、トオル?!ったぃっ……!」

じたじたとしながらズボンを引きずり上げようとする一樹の手を掴むと捻り上げ、トオルはひたひたとした冷気をこぼした。凍って動けなくなる義弟を眺め、くちびるを開く。

「どこで手に入れた?」

「ぅ………っ?!」

「コレだ。どこで手に入れた?」

静かに静かに問いを落とされ、一樹はぐびりと咽喉を鳴らし、唾液を呑みこんだ。

まさかと思う。

まさかと、思う、が――

「ぇと」

「一樹」

氷のような声で促され、一樹はとうとう観念した。きゅっと身を縮めると、恐る恐ると背後のトオルを振り返る。

お仕置きの尻叩き刑待ちの幼児がごとき様相で、一樹は答えた。

「………ふーみんの」

店で買ったと、桐子が申しておりました。

――という、一樹の説明が最後まで聞かれることはなかった。名前が出た瞬間に、トオルがキレたからだ。

いや、動きとしてはむしろ、静かなものだった。

一樹の解放も丁寧で、そっと床に下ろすと離れて立ち上がる。

胸ポケットから煙草を取り出して咥えると、トオルは火を点けて一服した。

「ぇと、ええと、その、とお……」

「俺の一樹に」

「ひぅっ?!」

ごはんたべると懲りずに誤魔化しをやろうとした一樹に、トオルは口から抜き出した煙草をぐしゃりと潰し、怨嗟を吐き出した。

「俺の一樹に、触りやがったな、あのクソホモヤロウ……!」

「は?!さわ、さ、さわってない触ってないしなに言って、ぅっ?!」

なんの誤解をしたのかと慌てて立ち上がった一樹を、トオルはぎろりと睨んだ。

あまりの威力に立ち竦んだ一樹に、ゆっくりと口を開く。

「ヤツのとこで買った下着なんだろうつまり、ヤツが触ったも同然だ。俺の一樹に、俺の一樹の大事なところに!!」

「恥ずかしい言い方すんなてか、どういうヘリクツ捏ねたんだよ?!」

「HAHAHA」

叫んだ一樹に、トオルは一転し、笑顔となった。それはもう、烏枢沙摩明王に邪気を抜かれたとき以来の、爽やかで無邪気で、明るい笑みだった。

なにかとても大事なものが、飛んだ。おそらくネジとか箍とか、そういった。

じりりと後退さった一樹に、トオルはその笑みで手を伸ばした。

「消毒。しような、一樹おにぃちゃんが、丹念に入念に、全身隈なく気を入れて消毒してやるからなだいじょうぶ、しんぱいするなー。ちっともいたくなんかないぞぉすっっっごくきもちいいからなー!」