「あー………あんぱん○ん食いたい」

ぼそっと言うと、俺の頭を教科書置きにしている達樹はぴくりと揺れた。

リンドン堕落方程式

「購買で買って来い」

冷たく言って、また黙々と教科書を読む。

つか、俺の頭って達樹さんにとってなんなの。確かに自分の机に懐かずに、達樹さんの机に懐いてる俺が悪いっちゃ悪いんだけどもさ。

でも、溺愛するコイビトにこの扱いとか。ほんっと達樹の愛って甘さが足らないというかなんというか。

それなのに、考えることは甘い。

昼休み終了間際の購買に、食い物が残っているわけがない。ここをどこだと心得る。破滅的食欲魔人が集いし、その名も高校ですよ。

というか。

「達樹、あんぱん○んって、購買で売ってるもん?」

「あ?」

訊くと、物凄く胡乱そうな声を上げた。

ひょいと教科書を持ち上げて、顔を覗きこんで来る。声と違うことない、心底胡乱そうな表情。

いやでも、達樹が言ったよね購買で買って来いって。

「あんぱんだろう?」

「違うって。あんぱん○ん」

訊かれて言い返すと、達樹は難しい顔で宙を睨んだ。

ていうかやっぱり甘いな、達樹。

たとえあんぱんであっても、昼休み終了以下略だっての。

しばらくして、達樹はこめかみを軽く叩きながら、口を開いた。

「かにみそじゃ駄目なのか」

「は?!!」

ちょっと待て、達樹の脳みそん中で、いったいどんな撹拌が起こった?!

あんぱん○んからどう飛んで、かにみそ?!

衝撃に、思わずがばりと身を起こす。

「達樹、頭痛い?」

恐る恐る訊くと、達樹は眉をひそめた。

「おまえと話してると、頻繁に痛い」

おうじーざす。そこまで気合い入れて、俺と会話してくれてんのか。いつもながら溺愛ぶりが半端ないな、達樹!

とはいえ、愛しいコイビトを苦しめるのも本意じゃない。

「俺と話すときに、そんなに気合い入れなくてもいいよ」

「じゃあすべて聞き流す方向で」

いつもながら、達樹の思考は極端だ。

俺は指を三本、立てて見せた。

「達樹、世の中には右か左かじゃなくて、真ん中っていう第三の選択肢があるんだよ」

「断る」

「断る?!!」

なにを断るの?!まさか、真ん中っていう考え方を?!

でもそもそも「真ん中」って、国語の辞書にも載ってる、ちゃんとした言葉なのに。

達樹さんはあれか、ボナパルトなのか。辞書の該当ページ開いてペンで黒く塗り潰した挙句、

「余の辞書に不可能の文字はない」

とか言っちゃうタイプなのか。

つうかよく考えたら、持ってる辞書持ってる辞書、全部確認して地道に塗り潰していったとしたら、ちょっと労力の割きどころを間違えてるよね、ボナパルト。

そんな無意味なことに手間を掛けるから、睡眠時間が三時間くらいになるんだよ。

「てか達樹さん、なんでかにみそなのさ」

気を取り直して訊いた俺に、達樹は難しい顔で首を傾げた。

「脳みそが食いたいんだろう?」

「のぉみそ?!!」

なにその殺伐とした結論?!

目を見張る俺から視線を逸らし、宙を睨んだ達樹が、立てた人差し指をくるくると回す。

「あんぱん○んが食いたいって、要するに、やつの頭が食いたいってことだろう。頭の中身は普通に考えて、脳みそだ。つまり、脳みそが食いたい」

「ちょ………?!」

「手近なところにやつがいない以上、代替案で妥協するのも人間というものだ。だから日本で食べられていて、手近なところで済ませられる脳みそ=かにみそ」

「た………達樹さ…………っ」

あんぱん○んからの、まさかの飛躍。

言いたいことは山ほどあるんだけど、とりあえず。

「かにみそって、カニの脳みそじゃなくて、内臓のことだよ、達樹………っ」

息も絶え絶えに言うと、達樹はきょとんと瞳を見張った。

「そうなのか?」

「見た目味噌っぽいから『みそ』って言ってるだけで、実際は内臓」

「へえ……」

俺の言葉に珍しくも素直に驚いてから、達樹は納得したように頷いた。

「さすがに食い意地が張っているだけある」

それは褒めてないよね!

「せめて、伊達に食い意地が張ってないって言って!」

「なにか違うのか?」

「大違いだよ!」

なんというか、俺的語感が。

俺は内臓まで出そうな深いため息を吐くと、机に頬杖をついた。斜めに達樹を見る。

「それにしても、かにみそはないでしょ、かにみそは。そんな金を、俺が持ってると思うの?」

「スーパーで売ってるだろう、カニなら」

「カニはね俺にそんな金があると思うの、達樹?!」

スーパーで売ってるのは、主に足だ。しかもバイトもしてないで小遣い暮らしの高校生からすれば、あんなちみっとなのに、ばかみたいに高い。とても手が出る代物じゃない。

もう一回訊いた俺に、達樹はため息をついた。

「そもそもなんで、あんぱん○んが食いたいんだ?」

訊かれて、俺はちょっと身を引いた。もじもじと両手の指を揉み合わせる。

「だってさー………一口食べるだけで、勇気りんりん、元気百倍になるって言うじゃん」

「ああ、ドーピングか」

「ど………っ?!!」

ドーピング?!

いくらなんでも!!

えっとなに、達樹さんには夢もへったくれもないのまさかあんぱん○んをドーピング扱いとか、もしかしてあのアニメにいやな思い出でもあって、なんか深刻にトラウマってたりするのか。

それともあんぱん○んよりばいきん○ん派だっていうのえ、あんな舌の青いやつがいいって言うわけあいつ舌青いんだよ、達樹さん!!

言いたいことは山ほどあれど、衝撃過ぎていっこも言葉にならない。

俺はがっくり項垂れて、再び机に懐いた。

その俺の頭に、達樹は再び、教科書を置く。

…………だから、どういう扱いなの、達樹さん。あなたのステキコイビトの聡くんは、本台じゃありませんよー?

「ドーピングなんかしなくたって、おまえはいつでも無駄に勇気りんりんで、元気万倍だろう」

「ムダって余計」

「無謀に」

「悪化した!!」

俺はますます机に懐き、瞼を閉じてため息。

「俺だってねー………俺だってねぇええ…………おまじないとか、なにかすんごい力を持っただれかに頼りたくなるときだってあるんだよ………」

なんでもいい。

だれでもいいから、勇気を下さい。

背中を押してください――的な。

たまにはおせんちにもなる。しょぼくれたり、おなか空いたり。

んで、そういう弱ってるときに、ふと、「あんぱん○んなら、なんとかしてくれるかも!」とか、ヒーローに頼りたくなったって、仕方ないでしょ?

目を閉じて机に懐いて、沈黙数秒。

やべ。眠くなってきた。

そうでなくても昼飯食ったばかりで、しかも午後だから、教室はいい感じにあったかい。

目なんか閉じたら、確実に寝る。全力で寝る。

達樹の机に懐いたまんま寝ると、間違いなく、授業が始まったときに頭を床に落とされるけど。

「まぁいい………?!」

睡魔に身を任せようとしたところで、俺はばちっと目を開けた。

開けるだけでなく、がばりと身を起こす。デコを押さえた。

「た、達樹?!」

「元気出たか?」

きまじめに訊かれて、俺は唖然とした。

睡魔の手を取りかけた俺のデコに、達樹はキスした。教室でべたついたりいちゃついたりするの、絶対に嫌がるのに。

そんな、睡魔にすら渡したくないって、達樹さんはどんだけ俺のことを愛しちゃってんのよ。

ではなく!!

「出たてか、目ぇばっちり覚めた!」

「寝てたのか!」

「寝かけてたんだよ!」

「このふうてん!!」

男ってツライよね?!!

達樹さんの語彙って、時々すごいな。

まあ、それはそれとして。

「そうだよね。あんぱん○んになんか頼んなくても、俺には達樹がいるよね!」

元気いっぱいに叫んだ俺に対して、達樹は疲れ切った、深いふかいため息。

「そうだよな………おまえがそう簡単にへこむわけがないよな…………わかってたよな、俺………」

達樹さんの元気も、あんぱん○んとおんなじで、分けると減る方式なのか。

そんなわけないやな。

「そんなこともないよ。俺だって、たまには本気でへこむよ」

「ああそうかそうか」

おざなりに言って、達樹は机の上に教科書を置いた。文章を目で辿りながら、どうでも良さそうに口を開く。

「それで、そもそもどうしてそんな、勇気が欲しいだの、元気が欲しいだの言いだしたんだ?」

「んえああ」

言ってなかったっけ。

俺は頷いた。

「春木にオーソドックスかつ基本中の基本である、黒板消しのイタズラを仕掛けてやろうと思ったんだけどさ。ちょっと、引っかかったときの反応が本気で予測つけらんなくて、どうしようかと思ってたんだよ」

なにしろ、電波受信塔がないと会話が成り立たないと言われている担任だ。

反応が予測不能過ぎて怖い。

とはいえ予測不能で怖いからって躊躇うなんて、あんまりにもチキン過ぎる。予測のつけられるイタズラをすることに、いったいなんの意味がある。

でも怖い。

でも………。

てなとこでぐるぐるして、へこんでた。

「でも達樹のおかげで元気百倍だし!」

俺は拳を握り、にっこり笑って達樹を見た。

「いっちょ、んがっ!!」

「この一千万年阿呆!!」

やったるぜ、と言い切る前に、脳天にチョップが落ちた。