せっかくテストも終わって、あとは夏休みを待つだけだっていう時期に。
達樹は相変わらず、休み時間にも教科書を読み耽っている。
深海魚の水揚げ風景
「達樹さん、一言いいか」
「あ?」
後ろの席を振り返り、俺は目を据わらせた。
胡乱そうに顔を上げた達樹を、しっかりと見つめる。
「プール部は滅びよ!!」
拳を握って吠えた俺に、達樹は窓の外を見た。快晴だ。暑い。
「ないものは滅びようがないと思うが、おまえがそういうことを斟酌するとも思えない。そして世界もこれだけ広ければ、プール部が存在している可能性もないこともないだろう。ということを勘案のうえで、おまえの呪いが成就するように祈ることだけはしてやるから、これ以上あほなことを叫ぶな」
「長々と罵られた気がするけど、気のせいだよね?!」
だって呪いが成就するようにお祈りしてくれるって言ったし。
なんだ、全部含めて考えるとつまり、→応援された!!
「じゃあ今すぐプール部を滅ぼしてくる」
「おすわり!!」
「わんっ!」
椅子から立ち上がったところで「命令」されて、つい反射で座ってしまった。
いやしかし達樹さん?!俺はほんとは犬じゃないからね?!わかってくれてるよね、ほんとは?!
しかも座ったところで、向う脛を蹴っ飛ばされた。
油断しているところへの、この攻撃の躊躇いのなさ。淀みない一連の流れっぷりが、ハンパない。
「痛いよ!」
「聞け」
抗議すると、達樹は据わった目で俺を見た。
「おまえが滅ぼそうとしているのはプール部じゃない。水泳部だ」
「なに言ってんの、達樹!俺はやつらを誇り高き水泳部だなんて認めないよ!!他校にプールを借りに行ってる現状に抗議もしない疑問も持たない、そんな惰弱な輩に水泳部を名乗る資格はない!!っだ!!」
叫んだところで、また向う脛を蹴っ飛ばされた。
手と違って、机の下の足だ。動きが見えないから、避けられない。
「だから痛いって!」
「避けられないのか…………」
達樹はなにか、妙に感慨深そうにつぶやいた。
確かにね、俺はいっつも、達樹の攻撃の70%は避けてるから。
待て、なんだこのデンジャラスコイビト。
「涼みたいなら、外で水道の水を浴びて来ればいいだろう」
「シャワー室あんのに、外の水場をチョイスする達樹ってさすがだよ………」
なんか疑いようもなく、達樹さんがデンジャラス極めてる気がしてきた。
俺は足を引き気味にして椅子に座り直し、達樹と向き合った。
「まあそれはそれとして、プール部はいつか必ず滅ぼすんだけど」
「まずプール部を探せ。さもなくば自設して自壊しろ」
「考慮に入れとく」
適当に頷いて、俺は身を乗り出した。
「俺はいっこだけ、気がついたことがある」
「ひとつだけか?」
「今んとこ」
たぶん、いっこ。
いやしかし、そう訊かれると、意外に自信って揺らぐもんだな。
ちょっと考えて確かめてから、俺は改めて達樹を見た。
「学校の授業でプールに入っても、まったく無意味じゃね?」
「……………………なにが無意味だ?」
身を乗り出す俺から、達樹はいやそうに体を引く。
引かれた分は詰めて、俺は拳を握った。
「だって授業中だよ?教師にアレやれのコレやれの言われて忙しくてさ、水着姿の達樹さんをじっくりと堪能する、いたっ!」
ちょっと足を引いたくらいじゃ、意味なかった。
向う脛を蹴っ飛ばされるのも三回目になると、そろそろ涙目入って来る。
「そういう話はいい」
冷たく言われて、俺は一度は引いた体を再び乗り出した。
「いくないでしょうが、高校生男子!つうわけで達樹、今度俺と二人で、市民プールに」
「監視員に怒られるから行かない」
さくっとすぱっと、迷いも躊躇いもなく切り捨てられた。
いやしかし、いやだな達樹ったら。意外や意外と、そういうこと考えたりもするもんなのか。
夏、青空、プール、そしてコイビトの水着姿。
なにしろ達樹は俺のことを溺愛しているからね………………さすがに衆目があってもムラムラきちゃって、いちゃいちゃべたべたと……………あはんうふんいやん?!!
「たたたた達樹!!」
「ねえよっ!!」
「だっっ!!」
今度はいつも通りの脳天チョップだったのに、興奮して見境を失くしていたせいで避けられなかった。
そうでなくても暑さで脳細胞腐りかけなのに、さらに壊れるとか。
「なにを考えたにしろ、違う。なにを想定したか知らんが、まったく的外れだ。どうせろくなことを考えたわけじゃないだろうが、それはない」
「わかんないわかんない言いながら、すっごい勢いで否定を重ねるね、達樹!!」
震撼して叫んだ俺に、達樹は教科書に目を遣りつつ、しらっと答えた。
「おまえのことだからな」
「信頼されてるな、俺!」
なんかもうね、どうしてこう、達樹は俺のことをダメな感じに溺愛してんだろ。
まあとりあえず。
「大丈夫だよ、達樹。いくら俺だって、衆人環視の中、そんなはぢめてなのに」
「おまえの溺れブームは去ったのか?」
「ん?」
おぼれぶーむ?
きょとんとして達樹を見ると、顔をしかめて睨み返された。
「覚えている限り、中学の三年間、おまえはプールでいかに溺れるかを追求することに熱心だったろう。プールの授業中、溺れる練習をするおまえしか記憶にないが、俺は」
「ああ。やだな、達樹」
思い当たって、俺は笑った。ぷらぷらと手を振る。
「三年間じゃないよ。二年間。三年になったらプールの授業中は、スクールカウンセラと面談させられてたから」
「………」
達樹は渋面で眉間を揉んだ。小さくちいさく、ため息をこぼす。
「で…………………カウンセリングの効果は?」
「効果?」
なにを言っているのかよくわからないけれど、俺は親指をびしっと立てた。
「今のブームは、ドザエモン!!」
「ネコ型ロボットの被り物でもしていろ、おまえはっっ!!」
「いだっ!!」
亜光速でくり出された平手を避けられず、俺は頭を叩き飛ばされた。
つかね、達樹さん!
確かに某国民的アイドルのネコ型ロボットと一字違いかもしれないけど、この時期に被り物はない!
今の時期に被り物なんかしたら、涼しいの対極で汗だっくだっくに。
「………………あ、でもなんか、やつの被り物は浮力がありそうな気が」
ボディまるっこい→人間入れると、隙間出来る→その隙間に空気が入っていれば、間違いなく浮く。
ような気がする。
検討しだした俺に、戦慄いていた達樹さんが、教科書を飛ばしてきた。
「おまえとはぜっっっっっったいに、プールになんざ行かねえからなっ、このちょんまげはげっ!!」