玄関を開くと、ごくまじめな顔をした聡が入って来た。そしてそのまま、靴を脱ぎもせずに。

「達樹さん、俺は将来、器の小さな男になる」

由縁

「…ああ、今日は四月一日か」

「ええ?!はやっ!!」

大袈裟に仰け反る聡に、俺はため息をつく。なにが「早い」んだか。

「なになになに、やっぱり達樹さんは俺が将来有望過ぎて器が小さい男になるなんてぜったい無理だって信奉でもしてんの?!」

「吹いてんな」

あまりな言いように呆れ果て、平手を飛ばす。聡は素早く仰け反って避け、扉に頭を打ちつけた。

「がはっ!」

「…阿呆」

いい音したな。

後頭部を抱えてうずくまる聡に合わせてしゃがみこみ、顔を覗きこむ。

「壊れる脳細胞もないと思うが、人格がチェンジするくらいのことはしたか」

「なんの期待よ!」

頭を抱えたまま、聡は涙目で吠える。

なんの期待って、まあ、いろいろ思うところはあるが、とりあえずもう少し謙虚さを身につけてもいいんじゃないかとか。

だがそんなことを言えば十中八九、「俺以上に謙虚な人類が存在すると思うの?!」と反論してくることが目に見えているので、主に面倒さで言わない。

「おまえがおまえのままなら、それはそれでいい」

言いたいことをいろいろ端折ってそれだけ告げて、不満に尖るくちびるにキスする。軽く噛んで離れ、立ち上がった。

「え、ちょっと達樹さん。もしかして今のは愛ある発言だったの俺誤解?」

うずくまったまま顔だけ上げた聡が、とんちんかんなことを言っている。どこに愛が感じられたのか、相変わらずこいつの頭は解析不能だ。

「ところで、俺もエイプリルフールを用意しているんだが」

「え、達樹それ、最初に断っちゃだめじゃねエイプリルフールってあくまで突発的に驚かして愉しむもんじゃね?」

眉をひそめる聡を玄関に置いて、俺は自分の部屋へ入る。机の上から『エイプリルフール』を取ると、また玄関へ。

「エイプリルフールだ」

「いや、だから達樹…」

滅多にないことに、聡が口を噤む。

俺の手から『エイプリルフール』を奪い取ると、まじまじと見た。

「エイプリルフールだぞ?」

もう一度念を押す。

聡の顔が徐々に歪み、ムンクの『叫び』をつくり上げた。そのまま、咽喉から木枯らしのような音を響かせ。

「ぃいいいやぁああああああっっっ!!!」

五月蠅い。

思わず文学的に罵りたくなるほどけたたましく、絶叫を轟かせた。

「エイプリルフールなんていやぁあああああっっ!!それこそウソだと言ってぇええええ!!」

「うるせえ!」

耐え切れず、拳を飛ばす。聡は避けもせずにまともに腹に喰らって、再びうずくまった。

しかし、『エイプリルフール』だけはしっかりと握ったままだ。

俺が用意した『エイプリルフール』。

婚姻届。

署名入り。

…っていうか、冷静に考えればわかるよな。現行日本で、婚姻届では同性同士は結婚できないって。

ああでも聡だからな。「ごり押しすればイケるって」とか言いそうだ。物凄く言いそうだ。そして実行しそうだ。ワイドショーもののはた迷惑さ加減だな!

「少しは頭が冷えたか」

「…達樹さん」

うずくまって膝に顔を埋め、聡はぶるぶる震えている。

「あんまり酷すぎる…」

涙声だ。さて、嘘泣きとほんと泣きどっちだ。

俺は肩を竦めると、聡に合わせてしゃがみ込む。髪をつまんで引っ張り、つむじにキスした。

「大学卒業して、就職して初任給出たら、指輪を買ってやる」

「…それもエイプリルフールなんですか…」

なんで敬語だ。

恨みがましい目で見る聡に、俺はにっこり笑った。

「そうして欲しいか?」

「…」

聡は赤い目をぱちぱちと瞬かせ、それからまじめな顔になると、握り潰した婚姻届の皺を丁寧に伸ばした。

「これ貰っていいよね?」

「好きにしろ」

「大事にする」

大事にしてどうする。

首を傾げる俺に、聡はにっこり笑った。

「俺も初任給出たら、お金出す。ふたりでお金合わせて、ペアリング買おうね」

俺は笑って、聡の髪を引っ張った。

「それはエイプリルフールか?」

聡も笑い返して、顔を近づけた。

「俺は弁えてる男だよ。ついていいウソとついちゃいけないウソくらい、ちゃんとわかってるのさ」

…やっぱりこいつは、もう少し謙虚さってもんを身につけたほうがいい。

聡のキスを受けながら、俺はちょっとだけそう考えた。