こっくんと最後のパンを飲みこんだ聡が、ふいっと顔を上げる。振り返って占拠していた俺の机に、さらに身を乗り出した。

「ねえねえ達樹。達樹はしましまとボーダーって、どっちがいい?」

窓際の水玉ちゃん

「……」

反射で口を開きかけて、黙る。

俺は教科書から顔を上げないままに、少しだけ考えた。

「…………おまえはドットと水玉なら、どっちがいいんだ?」

答える前に、訊き返す。

聡は悩むこともなく、手を挙げて即答した。

「俺俺は水玉!!」

「じゃあ俺はボーダー」

「ちっ!!達樹さんは横文字至上主義か」

舌打ちか。

授業はあと一教科で、昼飯の時間となる。

この時間の聡は、主に空腹によって微妙にいつもより気が立っていて、わずかに粗暴になる。

どうしてそんなに腹が減るんだろうな。朝飯を食べて、学校に来て部活の朝練が終わってから朝食その二を食べて、昼飯前のこの時間にはフライング昼飯(*聡がそう言ったのだ)を食べて、………………そのどれも、ほんの少量つまむというのではなくて、かなりしっかりとした量を摂っているというのに。

というか、なんの罠かと思えば、横文字派かどうかのチェックか。いい加減、こいつとの会話は神経をすり減らして疲れることこのうえない。

鬱陶しいという思いを込めながら、視線を上げる。聡がこれくらいでめげたりすることはない。そういう可愛げは、おそらく母親の腹の中ですら持っていなかった。

「なにが横文字至上主義だ」

訊きながら、手を伸ばす。聡の口の端についたパンのカスをつまむと、自分の口の中に入れた。

ん、ふっつーに菓子パン。しかし小麦の甘みは、微妙に空腹感を煽られるような気がする。

聡は、ぶう、とくちびるを尖らせ、机に懐いた。

「だからさー。達樹は『愛してる』と『I love you』と、言われてうれしいのはどっちかなーって」

鳥肌立った。

俺は腕をさすりながら、机に懐く聡を冷たく見下ろす。

「どっちも笑う」

「そうだよね。達樹さんだもんね!」

わかっているなら、どうしてそういう思考の無駄をするんだ。

まだ腕をさすりながら見ていると、聡はくるりと表情を変えて起き上がった。

「まあいーや。とりあえず試してみてよもしかすると真剣に言われたら、どっちかに激しくときめいて、俺に堕ちるかもしんないし!」

「はあ?」

聡に堕ちるってなんだ。これ以上、なにをどう堕ちろと。地獄の果てまで行かなければ地獄に堕ちたとは言わないとか、そういう理屈なのか?

目を眇めて見る俺に構わず、聡は拳を握る。

「俺に堕ちた結果、枯れ枯れ青少年の達樹さんも、もしかすると欲望の泉を発見できるかもしれないし!!」

「……」

そっちか。

なんとなく納得して、俺は椅子の背に凭れた。

「それで?」

「俺の本気を舐めんな、達樹!!」

いや、舐めてはいない。舐めるともれなく間違いなく過たず痛い思いをするのが聡だし。

半眼で見る俺の手を強引に取ると、聡は身を乗り出して、真剣な顔を突きだした。

「達樹さん、あいら……」

「はっっ」

「ぅっわ、すっげえいい笑顔!!最後まで聞きもしないですっげえいい笑顔!!かわいさのあまりに心が抉られる!!」

手を握ったまま、聡は悶絶する。

俺は手を取り戻し、ため息をついた。

「それは結局、かわいいのかかわいくないのか」

「かわいいよ!!めらかわいいよ!!」

別にどうでもいいが。

というか、聡は忘れているのか、単に雑だから気にしないだけなのか……。

教室だ。

授業の合間の、クラスメイトもごっちゃりいる、教室。

そこでいきなり真顔になって愛の言葉をささやかれたとして、感激して「堕ちる」ものか。それも、下心を聞かされたうえで。

――ああ、主に感性が雑過ぎるだけのような気がしてきた。

別にムードやらロマンやらを求めたりはしないが、さすがにこの空気の中で、ときめいて我を忘れたりはしないだろう、どんな阿呆でも。

いや、世の中にはばかっぷるとかいう生き物もいるらしいから、そういった奴らなら耽溺するかもしれないが。

そろそろ次の授業の時間になることに気がついて、俺は新しい教科書を取り出した。

「じゃあ達樹、次!!」

「あ?」

まだ続いていたのか。

教科書を机の上に置かせて再び手を握りこみ、聡は真剣な顔で身を乗り出した。さっきとは違い、今回は微妙に上目遣いだ。

「達樹さん、愛してる」

「………」

「えあれ達樹?」

「………」

「達樹さーん?」

呼ばれてしばらく、返事が出来なかった。その間に、始業を告げるチャイムが鳴る。

俺は空いている手で、聡に握られたほうの腕をさする。

鳥肌。

ものすごい鳥肌。

「……………………………………………ときめいた…………………?」

呆然とつぶやく。

体中、ぞわぞわと鳥肌が治まらない。治まらないのだが――

確実に、こう、なんか、胸のあたりが…………きゅ、としたというか、どきっとしたというか、………………。

呆然としている俺の手を、聡はさらにぎゅっと握る。

「そこは言い切っていいよ、達樹!!つかむしろ言い切ってみてよ!!新しい扉が開けて、いざ甘々らぶらぶ大好きっ子な達樹さんにリニュー!!」

「いやだ」

「そこは言い切らなくていいから!!」

いや、そこは言い切る。

聡は再び舌打ちし、身を乗り出した。

「じゃあもう一回!!達樹、あい」

「安売りするな!」

「んがっ!!」

空いている手で、聡の顔面を叩き飛ばす。

わかっていない奴だな。雑な感性にも程がある!

「ありがたみが薄れる!」

「あ、ありがた………っ」

涙目になっている聡の頭をさらに小突いて、前を向かせる。教師が入って来て、授業の開始を告げようとしていた。

「達樹さ」

未練がましく振り返る聡に、追い払う仕種で手を振る。

「昼飯の時間が延びるぞ」

「そんなことになったら、俺はやつと戦争を始めてやんぜ………!!」

なにか男前な顔で言い切り、聡は噛みつきそうな顔で教壇へと向き直った。無駄なところで消費される男前だ。

聡の後ろ姿を眺めながら、俺は腕をさすった。

握られた手。

真剣な顔。

――達樹さん、愛してる

「っっ!!」

「っあだっっ?!!」

思わず聡の頭に平手を飛ばしてしまい、教室中の視線が集まった。