ぱんと拍手を打ち、軽く頭を下げる。

特に神に願いたいことがあるわけでもないので、そこで止まるようなこともない。

あくまで儀礼的な時間で頭を上げて、ふと悪寒に背中を震わせた。

酔天福神と吉祥果実

確認しなくても悪寒の元などわかっていたが、そこは社会的動物の礼儀として、隣に立つ聡を見る。

「………」

――なにか、ひどく必死な感じで、聡が手を組んで頭を下げていた。

「………………」

俺は聡から視線を移し、神のいるという社を見る。

受験だなんだとお参りさせられたものだが、神などというものは存在しないのではないかと思う。そうでなければ、想像を絶するほどに鷹揚だということで、それはそれであまり信仰したい気がしない。

「っし!」

気合いを入れて、聡は顔を上げた。

「達樹さん、おま」

「どうしておまえは神社に入れて、ふっつーにお参りが出来て、そして無事に出られるんだろうな………………」

「なにがあって開口一番がそれなの、達樹さん?!」

なにがあってというか、常々思うことだが。

とりあえず、元日の神社などというものは、街中の小さな場所であっても混むものだ。しかも現在、日付が変わったばかりの深夜なのだが、まったく関係ない人混みぶりだ。

叫ぶ聡を置いて、俺は列から出て外へと歩き出す。

「あのさ、達樹。なんか誤解があるようなんだけど、俺は宇宙人だけど善良さでは地球人に引けを取らない、いやむしろ善良さにおいては聖人も真っ青だからね!」

「地球の善良さの基準と、宇宙の善良さの基準は違うんだな」

「そりゃまあ、地球と宇宙じゃ規模が違うから」

「なるほど…………神の鷹揚さが目を瞑りたいレベルなんじゃないのか。単に宇宙規模なだけなのか………むしろ滅べ」

「淀みない結論ぶりだね!」

聡を善良だと言い切るような基準など、滅んで当然だ。

俺は首を竦めて、マフラーの中に顔を埋めた。しかし寒い。

「あ、寒い、達樹?」

「寒くないとでも言うつもりか」

なったばかりだが、一月だ。そして深夜。

南国でもあるまいし、息は真っ白、手袋をしても手がかじかむ。

そんな深夜に出歩きたいと言い出した聡を軽く呪ったところで、神社の鳥居から出た。

――神の鷹揚さは計り知れない。

そんな理解不能で無意味に壮大な存在とはお近づきになりたくないので、出来れば俺の生活と関わらないところであれこれしていてくれと願う。

理解不能で無意味に壮大な存在なんて、聡ひとりで手いっぱい、おなかいっぱいだ。

「んだったらさ、達樹」

続いて鳥居から出た聡が、にっこりと笑って手を伸ばしてきた。

「手はつなが」

「姫初めと行きませんか!!」

――なぜ敬語だ。

ツッコミは心にしまい、俺は差し出された聡の手を見ていた。

手袋をしていないのだが、聡の手は俺よりずっとあたたかい。俺の手は冬ともなると、氷のように冷え切っているのが常だが。

それはそれとして、ここに二つばかり、選択肢がある。

その一、『姫初め』ってなにと空惚ける。

その二、『姫初め』なんかやるか、と叩き返す。

その一を選んだ場合、『姫初め』とはなんぞや、から講釈が始まり、最終的に問いは初めに帰る。

――そういうわけだから、姫初めしようよ!!

つまり、時間稼ぎにしかならない。

次に、その二を選んだ場合。

――達樹さんはほんとに高校生男子なの?!ここに据え膳がいるのに、あーんまでしてあげてなんで口を開けないなんて言い出すのさ!!

以下略な猛抗議が延々と。

しかしいいか。俺は昼間、大掃除やら正月準備やらで母親にこき使われ、現在、のっぴきならないほどに疲れて眠い。

そこを聡が無理やりに連れ出し、寒さでとりあえず動いているが、出来ればすぐにも寝たい。

議論などしているのは、面倒くさい。

というわけで、俺が選ぶべき選択肢は。

「あ、汁粉」

「えっ、おしるこ?!」

聡の手から顔を上げた俺は、汁粉屋台に視線を流した。

さすがに寒いだけある。小さな屋台は行列が出来ているが、並ぶ価値はある美味さだろう。

「あ、甘酒もあるな…………」

どちらも甘い。甘いが、ついでに言うと、あたたかい。

この寒い中では、格別の味だろう。

「どっちにするか…………」

「え、そんなんカンタンじゃん!」

あっさり話題を逸らされた聡は、俺の手を取るとずんずんと甘酒目指して歩き出した。

「甘酒のほうが行列の流れ早いもん。まずは甘酒買うじゃんんで、それ飲んであったまりながら、おしるこのほうに並ぶんだよ!」

「そんなに汁ばっかり飲むと、トイレに行きたくなるだろうが」

「あー…………」

指摘してやると、聡は軽く天を仰いだ。

それから、明るく笑って俺を見る。

「んじゃ、一個ずつんで、半分こしようよ!」

「………ま、妥当なところだな」

頷いて、俺は聡と共に甘酒の行列に並んだ。

「はい、達樹さん」

「ああ」

買った甘酒を、聡は俺に渡す。手が滑りそうな気がしたので、手袋を外して受け取った。

「…………」

「……っっ」

冷えた手に染みこむ熱さに、俺は思わず吐息をこぼす。

聡がそっぽを向いて、震えた。

「笑うなら素直に笑え。今更だ」

「…………いや、笑うってか………………てか…………っ」

カップに口をつけて啜ってみたが、さすがに熱すぎて大量には含めない。

しばらく手をあたためるのに使うことにして、俺は汁粉の屋台へと向かった。

「達樹さん………やっぱり、姫初めませんか」

だからどうして敬語だ。

ツッコミはやはり心の中にしまい、俺は甘酒を啜る。

とりあえず第三の選択肢である『相手にせずにスルー』を取ってみたが、これも限りがある技だ。

だからといって、議論は面倒だし。

言われるがままに従うのも、業腹だし。

「あのね、『初めて』が姫初めなのもかなりいい感じだと思うんだよねこれぞまさに十重二十重に姫初めどうでしょう、達樹さん?!」

「親父ギャグなのかそれともテレビショッピングか」

堪えきれずにツッコんでしまった。

――まあ、仕方ない。聡の言うことには、ツッコみどころしかない。あまりに心にしまっておくと、スペースがなくなる。

心に余裕を持たせるためには、適宜ツッコミを入れていく必要がある。

「親父ギャグじゃないし、悪徳ショッピングでもないよ善良安心な、郷田聡セール」

「ああ、この世でいちばん信用がならないと評判の」

「いやだな、達樹さん誤解だよ!」

「そうだな、この世でいちばんじゃないな。この世あの世イクヨクルヨすべて含めてもっとも信用がならないと評判なんだったな」

「なんかスケールがでかいような気がするから、頷いてもいい気がしてきた!」

少年よ、大志を抱け、だ。

だがしかし、なんでもかんでもスケールが大きければいいというものではない。小市民的暮らしと夢でも、死の間際に「いい人生だった」と心底から笑えるかどうかが、いちばん重要だ。

と、俺は考える。

「じゃあそういうことで」

「いやいやいや、達樹さん?!なんも解決してないし、結論出てないからね!」

ああうるさい。

どうしようかと軽く首を巡らせたところで、汁粉の順番が来た。

食い意地の塊の聡は、とりあえず汁粉を買うほうに集中する。

「んで、達樹さん。戻るけど」

「三歩進んで二歩戻る意味はなんだ。それなら着実に一歩一歩進んだほうが、堅実で無駄がないだろう」

「そうは言うけど」

ほかほかと湯気の立つ、かなり熱いはずの汁粉だ。しかし聡は平然と餅を掬い、口に入れる。

「無駄の積み重ねが人生の醍醐味だよ。エジソンだって言ってんじゃん。一の成功の影には、九十九の失敗があるって」

どうして口の中を火傷しないものか。やはり宇宙人というものは、口の構造からして違うのか。

聡の体構造に少しばかり興味を惹かれつつ、俺は神社の敷地の外れを指差した。

「というありがたい教訓を知るおまえに、今年最初の勝負だ」

「はぇしょうぶって、おみくじ?」

俺が指差した先には、ちらほらと人の影がある神籤売り場があった。

きょとんとする聡に、俺は甘酒のおかげで大分あたたまった手を立てる。

「俺とおまえで、それぞれ神籤を引く。その結果次第で、姫初めをするかどうか決める」

「いやそこは、無条件で」

「もしおまえが、俺よりいい結果の籤を引き当てたら」

なにか言いかける聡を無視し、俺は指をひとつ立てた。

「そんな幸先のいいおまえに免じて、おとなしく姫初めに応じよう」

「んじゃあ」

「さらにもしも、おまえが俺より悪い結果の籤を引き当てたら、正月早々に哀れなおまえに恋人甲斐に正しく慰める意味で、姫初めを行おう」

「っっ!!」

訝しげだった聡の顔が、暗闇にすらぱっと輝いた。火花が散るがごとしだ。

「外れ籤なし?!!まさかの!!正月早々俺のラッキーが使い果たされようとしている?!!」

「おまえのラッキーがそんなに少ないわけがないだろう」

叫んだ聡にツッコんで、俺は三本目の指を立てた。

「だがもしも、おまえと俺の引いた籤が同じだったら、そのときは神も恐れをなす相思相愛ぶりに満足して、おとなしくおうち帰って寝る。……どうする?」

訊かずともわかっていたが、一応訊いた。

案の定。

「おんなじおみくじ引く確率がどれだけのもんだと思ってんの、達樹さん俺はやるよ!!やって正々堂々、処女そうっいだっ!!」

「叫ぶな、駄馬がっ!!」

興奮ままに叫ぶ聡の頭を引っぱたき、俺はさっさと神籤売り場に歩く。

ふたりそれぞれ、百円払うと、もっともオーソドックスなタイプの神籤を買った。

「………………だいきち!!」

興奮し、聡は叫ぶ。俺へと、開いた神籤を突きつけた。

間接的な明かりにも浮かぶ文字は、確かに『大吉』だ。

俺は頷いて、聡へと神籤を閃かせた。

「奇遇だな。俺も大吉だ」

「っまさかのぉおっ?!!」

聡の声はすでに絶叫のレベルだった。気持ちはわかるが、うるさい。

「神も恐れをなしたか。まったく照れるものだな」

「いやいやいや、達樹さんっ?!!」

まともに相手をすると約束を反故にするとかなんとかいう話になるので、俺はさっさと歩きだす。

ひとつ、種明かしをすれば、俺たちが引いた神籤は、通称「大吉神籤」と呼ばれている。

名前の通り、大吉オンリー。

しかし書いてある中身をよくよく読むとみんな違って、しかも大吉ではない。だが結果は「大吉」。

――大枠だけ言えば、必ず大吉。

知っているひとは知っているから、もしかしたら引く前に、聡がこのトリックに気がつく可能性もあった。

そうなれば、普通の神籤を引くことになって――

「まあ、神は滅びなくてもいいことにしよう」

「そんな、神公認になったくらいで、鷹揚過ぎるよ、達樹さんんんっっ!!」

未だ叫ぶ聡を放り、俺は木の枝に神籤を括る。

なんだかんだと言いはしても、基本的に独力頼みで神を本当にはアテにしない聡だ。

一部神頼み好きの間では有名なこの話も、耳に入っていないのだから。

「ぅわぁああああっ、らいねんこそみてろぉおおおおっっ!!」

現在、正月元日、午前零時半を少し過ぎたところ――