「…………そういうものなのか?」

朝の食卓でつぶやいた俺に、母親が胡乱な目を向ける。

ツッコミを入れたのは、テレビにだ。しかも話題が話題だった。

これこれこうでと説明すると面倒なことになるので、俺は朝食を掻きこむことに専念し、母親の視線を無視した。

朝は忙しい。高校生の俺に限らず、その面倒を見る母親もだ。

誤魔化したことを特にツッコまれることもなく時間は流れ、俺もまた忙しさに瞬間的に疑問を忘れ――

「たーつきくーんっいーっしょに、がっこー、いーこーぉっ!」

六月誓言宣う戦国

「どこの田舎の小学生だおまえはっっ!!」

住んでいるのは、マンションだ。都心の一級地、とかなんとかではないが、集合住宅に違いはない。

玄関前で大声を上げるのは、もれなく迷惑。たとえ朝の通勤通学時間帯であっても、迷惑は迷惑。

しかも小学生がやるならともかく、高校生。

これが、集合住宅に住んだことがない無知さゆえというならともかく、俺と聡が住んでいるのは同じマンションだ。それも、三階と四階の距離。

「俺のみならずおまえも怒られるのに、どうして懲りないっ?!」

靴をつっかけながら扉を開いて叫ぶと、詐欺師まがいの笑顔で待っていた聡は、しらっと肩を竦めた。

「これに関しては学習能力が全損中だからだけど」

「ドックに帰れ!!」

「帰れ?!行けじゃないんだ?!!」

むしろどうして行けで済むと思うんだこいつは。ドックはこいつの家、いわば生まれ故郷。

…………そうか、そこでどうしようもない改造を受けたから、こうなのか。

「無駄か………」

「なんか勝手に結論したちょ、達樹さん、あのね達樹さんは俺に関してちょっと諦め良すぎるっていうか俺を愛していることだけは譲らないのに、どうして他のとこでは簡単に譲っちゃうの?!」

「さけ……」

玄関は出たものの、まだ共用廊下だ。叫ぶと迷惑。

重ねて言うが、朝だろうと、大抵の人が起きている通勤通学時間帯だろうと、迷惑は迷惑。

叫ぶ聡を制止しようとして、俺は思い出した。

そうだ、朝観たテレビ――

「おまえ、体重いくつだ」

「はえ?」

さすがに話題転換が唐突過ぎたらしい。

どんなことでもとりあえず即応する聡が、きょとんとして黙った。

「たいじゅう?」

「体重だ。体の重さ。自重。もしくは機体の――」

「達樹たつきたつき、俺の体ちゃんと肉製。機械部品使ってないから」

「そうか」

ネジがすべて飛んでいるはずなのに動き続けているから不思議だったが、機械部品をそもそも使っていなかったのか。

だとすると、こいつの言動のまずい点の起因はネジが飛んでいることではなく。

「宇宙人であっても、肉は肉か」

「うん。食用に向くかどうかの違いっていうか、俺の体重なんでいきなりそんなもの」

珍しくも、戸惑いが続いている。

体重を訊くのは、そんなにおかしいことなのか?

たとえば俺が聡に訊かれた場合――………………………すんなりとは答えないな。やはり。意図がわからない。怪し過ぎる。なにをされるかわからん。

しかしそれはあくまでも相手が聡だからであって、俺に対してそういう危惧があるわけがない。

どうしてこんなに、躊躇うんだ?

マンションのエントランスを出て道を歩きながら、俺はちょっと遅れてついてくる聡を振り返る。

歩いてはいるのだが、なにやらいじいじと、いじけていた。

「おい?」

「そんで俺のほうが重いとデブとかなんとか言うんだよねでもいいか、達樹俺の体重は脂肪じゃなくて筋肉運動によって鍛え上げむきむきしたマッスル筋肉によるものでぶよぶよした脂肪ゆえのものじゃないんだからデブとは言わないんだよ!」

「ああ?」

なにをいきなり被害妄想に。

呆れている俺に構わず、聡は拳を握って力説を続ける。

「たとえ身長がおんなじくらいだろうと、運動部男子と文系男子で筋肉の付きが同じわけないんだから、ちょっと俺が重くてもそれはきちんと運動している証で」

「で、いくつだ」

「……………」

どうも終わりがなさそうなので遮って訊くと、聡は黙った。ものすごく根暗な目で見られる。

「ヲトメに体重訊くなんて、達樹さん」

「だれが乙女だ」

「知らないのオトメンって言って、ヲトメ趣味な」

際限がなさそうだ。

ここまで言うのを渋るということは、つまり。

「象と同じだと思えばいいのかそれとも、旅客機」

「んなわけないでしょうがっ!!ろくじゅうぴーキロだよっ!!」

「ふぅん……………ろくじゅうぴーキロ…………」

どさくさで判明した体重に、俺は軽く宙を睨む。鞄を持ちながらも、両手をわずかに上げて振ってみたが、そうまでする必要もなく結論は出ている。

「無理だな」

「なにが?!」

「姫抱っこ」

「はあ?!」

「んそれともこの場合、嫁抱っこというのか?」

「はぁああ?!!」

聡は目を剥いている。

まあ、話題転換も唐突だったが、結論も唐突に聞こえるだろうというのは、理解する。俺はこいつと違って、頭の中で考えただけのことと、口に出して言ったことの区別がついているからな。

「朝観たテレビで、花嫁の結婚式演出夢ランキングというのをやっていて」

「はなよ…………」

「それの一位が、旦那による姫抱っこ嫁抱っこまあ、とにかくそれだったんだ。で、そういうものなのかと思って」

絶対的に乙女ではないが、聡は意外にそういうことを好む。クラスメイトから借りて少女マンガを読んだりして、しばしば「こういうのっていいよね!」と、主人公の少女に共感しているので、確かだ。

普通に少年マンガも読んで、魔王を倒す旅に出ようとすることもあるし、世界征服を企むこともあるし、絶望満ちる世界に新秩序をもたらすメシアとなるとか言い出すこともあるが。

――単に読んでいるものに影響されやすいだけという気がしないでもないが、だとしても男で少女に共感できるというのは、稀有なことだろう。

なのでまあ、頻繁に俺の嫁宣言をしている以上はこいつも、結婚式で旦那である俺に姫抱っこだか嫁抱っこだかされるのが夢だったりするのかと考えたのだが――

「しかし無理だな。身長が変わらない時点でどうかと思っていたが、おまえのほうが重い。たとえ体重が同じであったとしても、俺は筋肉がないからきついし」

「が、がぁあああん?」

「俺より体重がある時点で、筋トレすればどうにかなる問題でもなさそうだ。まあ、どちらにしても――」

一応訊いたが、よくよく考えると俺と聡で結婚式を挙げるのかという、もっと初期段階の問題がある。現状、日本では男同士の法的婚姻が認められていないし、それゆえに男同士の結婚式自体があまり行われない。

まあ俺たちの場合、聡が挙げたいと言えば挙げるしかなくなるが。そこに俺の意思はないな、むしろ。

「そ、そんな、そん…………っ」

「それに、そうか。おまえのほうがよく食べよく眠り、よく運動している。身長にしても筋肉にしても、これからまだまだ………」

言いつつ、ちょっと眉をひそめた。

こいつのほうが体重があるというのはいいが、身長があまり激しく追い越されるのはいやだ。聡に見下ろされるとか、想像するだけで腸が煮えくり返る。好きだ嫌いだの問題じゃない。

嫁抱っこが筋トレで片付かない問題だとしても、俺のほうもある程度の努力はしたほうがいいのかもしれない。

悩んでいると、わなわなと震えていた聡が、だんっと足を踏み鳴らした。

拳を握ると、叫ぶ。

「だ、だいえっとするぅううううううっっ!!!スーパーライトフライ級になるまで、体をぎりぎり引き絞ってやるぅううううう!!!」

――その声は滅多になく悲痛で、そのうえ、これまで聞いたことがないほど、真剣だった。