平日の真っ昼間。
ごく普通の学校の、ありきたりな社会科準備室に降臨したのは――…………………
「達樹さんっ!いちゃいちゃしようっ!!」
…………………………………一言で言えば、バカだ。
単調茶飯事に捧ぐ愛舞
次の時間の授業のために、俺は社会科準備室に資料を取りに来たところだ。
聡がついてきたのは、聡の勝手だ。係でもなし、本来、用はない。
で、人気のない準備室に入り、俺が資料を探し始めたところで扉を閉め――
「………いくつか訊きたいんだが」
「ひとつじゃないんだね!いいとも、すべて答えよう!!」
「訊きたくなくなったな…………」
妙に頼もしげな声で言う聡から一度顔を逸らし、俺は小さくため息をつく。
とはいえ、これをこのまま放置もしておけまい。なにしろ聡は、唯一の出入り口である扉の前に陣取っている。
退かさないことには、準備室から出ることが出来ない。出られなければ――
どう足掻いても変わらない結論に諦め、俺は聡へと顔を戻す。聡は先と変わらぬ格好で、扉の前に立ちはだかっていた。
運動部に所属もしていて、よく鍛えているからなのかどうか。器用だと、うっかり感心してしまう。
俺は重い舌を繰り、先へと進むためにツッコんだ。
「その格好は、なんの格好なんだ?」
聡は扉を閉めたうえで、単にその前に立ちはだかっただけではない。妙としか言いようのないポーズを取っていた。
片足立ちになったうえで、両腕を頭上高くに広げ――確か鶴かなにかの鳥類が、威嚇だか求愛だかのときに、羽を広げて、こんなポーズを取ったような。
とにかく、普通の人間が日常暮らしていて、そうそう取るポーズではない。
特に異世界でもないここ、普通の学校の社会科準備室などというところで見ると、バカの一言しか出てこなくなる。
いや、バカなのは元々、わかっているんだが。
一応、長時間ではないが短時間でもないこの時間、ずっと揺らぎもせずに片足立ちしていられる、その筋力バランスだけは褒めてやってもいい。
俺は聡に甘い。
訊いた俺に、聡はポーズを崩すこともなく、さくっと自分を確認した。
こくんと頷く。
「達樹が『いちゃいちゃしよう!』って答えてくれたら、すぐにがばっとイけるように、待機姿勢」
「がばっと」
「がばっと!」
「…………………」
俺が今、社会科準備室になにをしに来たと思っているのか、こいつは。
次の授業の準備だ。つまり、まだすべての授業が終わっていない。終わっていないのに、「いい」と答えた途端に「がばっと」来ていたら、授業はどうなる。
…………いや、問題は「がばっと」の中身か。
まったくポーズを崩すことのない聡を、俺は目を眇めて見た。
「ちなみに『いちゃいちゃする』ってのは、具体的にどういう行為を差している?」
ひと口にそう言ったところで、含まれる意味は雑多だ。なにからなにまで、どこからどこまで。
場合によっては、社会科準備室で授業の合間に可能かもしれないし、教室に帰るまでの道程で可能かもしれない。
聡の待機姿勢と、「がばっと」という擬音を合わせて考えるだに、不可能という結論しか出てくる気がしないが。
聡はまたも、こくんと頷いた。かっと叫ぶ。
「いちゃいちゃしているなら、なんでもいい!」
「なんでも…………」
「なんでもいい!いいからいちゃいちゃしよう、達樹!してくださいお願いします!!」
「頼むなら頼むらしい格好を取れ!」
――ついツッコんだが、おそらくわりとどうでもいいことのはずだ。
とはいえバカとしか思えない、鶴の威嚇ポーズのままお願いしますと言われたら、とりあえずツッコまずにはおれまい。
対応が間違っていなかったことを確認しつつ、俺は少しだけ考えた。
ざっと社会科準備室を見渡し、目的の資料を見つける。
「まあ、そうだな………なんでもいいなら、放課後、いっしょに紅茶を飲みに行くか……」
「は?紅茶?」
棚から資料を取り出しつつ言った俺に、聡は訝しげな声を上げた。
「放課後じゃ遅いのか」
訊いた俺に、聡はわずかに腕を落とした格好で、首を傾げる。
「いや、確実にいちゃいちゃしてくれるってんなら、放課後までくらい待つけど、なんで紅茶…………ん?こうちゃ?」
ふと気がついた顔になった聡は、天井を睨んだ。
「こうちゃ?こうちゃ………紅茶。ティー。ブラックティー。発祥イギリス…………イギリスのお茶…………………いぎり」
そこまでつぶやいて、聡は姿勢を崩すと、がっくりと床に膝をついた。のみならず、べたんと手もつく。四つん這いだ。
社会科準備室は、それほどこまめに掃除をしていない。床は埃だらけで、あまりきれいとは言えない。
しかし構うことなく、聡は四つん這い状態でさめざめする。
「紅茶………イギリスのお茶………略してイ茶とか…………っ!まさか達樹が、そんなダジャレで攻めてくるとは思わなかった………!いつからそんな子に、いつからそんな」
まあ、概ね合ってはいるんだが、肝心なところを見落とされている。
仕方なく、俺は聡の前に腰を落とした。
「おい」
呼んでも反応しないだろうと思ったので、声を掛けながらいっしょに前髪を掴んで、顔を上げさせる。
「いだっ!!んっ?!」
悲鳴を上げたくちびるに、軽くキス。
下くちびるをかふっと噛んで離れ、俺は前髪を掴んで持ち上げたままの聡をじっと見た。
「自販機とかコンビニで、ペットボトルの紅茶を買って飲もうと言っているわけじゃない。ちゃんとした喫茶店に行って、飲もうと言っている」
「は?なにが違うって………そりゃ、味はちょっとアレだけど値段はたっかいし」
「帰りに、二人で、喫茶店に寄って、紅茶を飲もうと、誘っている」
「…………」
一言ひとこと、区切って言ってやると、聡は黙りこんだ。
ややしてきょとんと開いていた聡の目がくしゅっと細くなり、満面の笑みとなる。
「デート?!デートしてくれるってこと?!単にいっしょに帰るだけじゃなくて、デート?!」
「鈍いわ」
「った!」
俺は前髪を離しついでに聡の額を軽く弾いて、立ち上がった。
聡が床に崩れたおかげで有耶無耶のうちに開けた扉の前に行き、ノブに手を掛ける。開く前に、聡を振り返った。
「カノジョらしく扱ってやるから、大人しくしろよ」
「うんっ!!」
言った俺に、聡の大変いいお返事。
聞いて外に出つつ俺は、きっと無理だろうなと思っていた。
大人しくする聡など、これまで見たことがない。これからも見るような気がしない。
たぶん、久しぶりの「デート」にはしゃいで騒いで、それはそれはもう、迷惑なことだろう。
けれど、いい。
たまにはそうやって羽目を外していちゃいちゃすることだって、恋人には必要なことだ。
――たぶん。