「しかしこのまま達樹さんに負けっぱなしでいいものかいいや、いくないこのまんまだと俺の存在意義とかなんかそこらへんの根幹的なものに関わってくる!」

狭い部屋の中を熊のようにうろうろしながら、聡はぶつぶつとつぶやいている。

構わず自分の机に向かって問題集を解いていた俺だが、いい加減呆れて小さくため息をこぼした。

構成

朝いちばんで俺の家に来て上がりこみ、それから聡はほとんどずっと、この状態だ。春休みをどう使おうとも個人の自由だが、それにしても無為だ。

そうまで深刻になることだとは思えない。ものの中身はたかが、エイプリルフールの嘘だ。

確かに俺は聡のついた嘘に驚かず、反対に聡は俺のついた嘘に驚いた。俺が勝ったと言えるかもしれないが――『嘘』だ。

本来的に嘘というのは忌まれる、悪いもののはずで、それで勝ったからといって誇れるようなものでもない。むしろ萎縮すべきだ。己の中の悪の種に。

そもそも、なにをして勝った負けたと決めるのか。相手が驚いたか驚かないかか?

なにか非常に、勝負の中身が曖昧だと――

「ん?」

ふと俺はペンを止め、ひとつの問題を睨みつけた。答えがわからないわけではない。そうではなく――

「あ、達樹さん。それ答え、ファシズム的社会主義の台頭」

俺が問題に行き詰まったと見たのか、背後からひょいと覗き込んだ聡が勝手に答える。俺は即座に断じた。

「嘘だな」

「うん嘘。本当はファシズム的社会主義の敗北。あと達樹、その前の問題さ、プラスして『第一次』ってつけといたほうが、点良くなるよ」

「………」

聡はあっさりしたものだ。きちんと正答を投げ、さらにはすでに解いていた答えにまで余計な注釈をつけて、俺から離れる。

「あーくっそー………どうした俺の脳みそ……なんで今日ここに来て、いきなり停滞期に入ってるんだ………」

そしてくり返される、うろうろぶつぶつ。

俺は言われた問題を見返し、眉をひそめた。まったき正解だ。前問の答えは『産業革命』で、俺が間違えていたわけではないが、万全を期すなら聡の言うとおりに『第一次』とつけておいたほうがいい。

だからつまり、これが聡だ。すっかり失念していたが、これが聡だった。

「なにかビッグでグレートでジャイアントな嘘………あああ、人間追い込まれると、普段の実力がテンパーセントも発揮できないとか」

追い込まれたのか、聡は怪しいカタカナ語を混ぜた実に頭の悪い日本語使いになっている。

さっきは呆れた俺だが、今度は少しばかり同情した。事情が飲み込めているからだ。問題の深刻さに共鳴まではしなくとも、理解は及んだと言おうか。

となれば恋人甲斐に、協力してやらないでもない。

だからといってわざと驚いてやるとか、騙されてやるとかするわけではない。そんなことをしたら命に関わる。あまりに危険だ。

そうではなく、追い込まれたせいで聡が見落としていることを教えてやるのだ。この場合、それで十分なはずだ。

「おい」

「達樹さん、窓の外にUFO!」

振り返って呼んだ俺に、聡は慌てて窓の外を指差した。が。

「……いくらなんでも自分が追い込まれ過ぎだと、思わないか」

「はづかしいです穴があったら地球裏まで貫通させたい勢いで、自分がはづかしいであります!!」

もちろん俺は振り返らず、窓の外を確認することもない。しかもそこはかとなく抱いていた同情心も萎えるほどに、呆れた。

指摘してやった俺に、聡も頭を抱えて叫ぶ。珍しくも多少、本気で恥ずかしいらしく、耳が赤い。ついでに微妙に涙声だ。

俺はため息をつくと、机から離れた。床にしゃがみ込んで頭を抱えている聡の前に行くと、合わせてしゃがむ。

覗き込めばやはり、聡は涙目だった。ずびびっと情けなく、洟まで啜られる。

「おばかも極まれりだな」

「ぅぇえん、達樹さぁあん………っ」

呆れて言いつつ、俺は情けないベソ掻き顔を上げた聡のくちびるに軽く、くちびるを押し当てた。下くちびるを少しだけ噛んで離れると、笑う。

「そうまで深刻になることなんか、ないだろうわざわざ改めて嘘なんかつかなくても――おまえはそもそも、存在それ自体が、嘘なんだから」

「なるほど納得っ!!って、達樹さんっ?!」

瞬間的に非常に納得した聡だが、すぐに愕然と瞳を見張った。

俺は構わず立ち上がり、勉強机に戻る。

そう、失念していたが、そもそも聡は存在それ自体がいい加減と嘘と虚妄の塊だ。いい加減と嘘と虚妄に服を着せたら、聡になる。

存在意義に関わるとまで叫んでいたが、まあ、存在意義に関わると言えなくもない。他人ならば大袈裟なと笑い飛ばしていいが、聡ならば大事だ。

しかし反って言うなら、そこまで深刻になることでもない。

ビッグでグレートで――あとなんだったか………まあともかく、そんな嘘をわざわざ改めて考えなくても、存在していること自体がいい加減で嘘で虚妄の体現なのだ。

これ以上に巨大な嘘もないのだから、いつも通りに泰然かつ悠然と存在していればいい。

「た、達樹さん達樹さん達樹さん?!ねえちょっと達樹さんどういう意味?!今のそれどういう意味なの?!答えと理由如何によっては、俺のレゾンデートルとかアイデンティティとかなんかそういう横文字的な根幹に関わってくるんですけど!!」

懲りることなく聡が叫んでいたが、俺は構うことなく問題集に戻った。

今日が終われば、聡も落ち着く。うるさいことこのうえないが、今日だけの我慢だ。

まあ、もちろん――

明日になったら明日になったで、新しいネタで大騒ぎするのが、聡というものだが。