再開
養い子が吾の陣所である六所神社に連れてきたそれを見て、吾は嘆息した。
「よくもまあ、こんな小汚く…」
頭ふたつみっつも低い養い子におとなしく引かれてきたそれは、吾の慨嘆を、―…そもそも、吾がだれかすらわからないようだ。
子供のように無邪気な瞳が、呆れてため息を吐く吾を不思議そうに見る。
昔馴染みに対してなんたる態度じゃ。
しかしまあ、そんな薄情さもそれらしいといえば、らしい。
応えたのは、養い子のほうだった。
「貴様、無精髭に蓬髪で狐耳尻尾を装着している中年男の時点で、人のことを言える義理はないだろう!」
「…朔よ…」
それが仮にも養親に対する言葉か。
これがあれか、反抗期というやつか?しかし、人間の育児書を紐解くに、養い子が思春期に突入するのはまだ数年先のはずだ。とはいえ、ませている養い子のことだ。他人様より早い可能性は高い。
子供が思春期に入って反抗的になった場合…どう対応するべきと書かれていたか…。
「風呂に入れれば、汚れも落ちる。そうすれば、だれが見ても文句のない美人だ」
「だれが見ても…なあ」
偉そうに言う養い子に、吾は渋面になった。だれがどうやって、これを確と見るというのだ?それも、きれいになったかならぬかわかるほどまでに、くっきりと。
その吾に、養い子はさらに胸を張った。ちっちゃい体が、これ以上なくふんぞり返る。
「とはいえ、だれに見せるつもりもないがな!」
「…」
なんだ、その独占欲。
おとなしく手を引かれたそれは、養い子の宣言を愉しげに聞いている。
いや、だが、吾の経験から言うに、そなた、養い子がなにを言っておるか理解しておらぬよな?!
呆れて物も告げぬ吾を、養い子は自信満々に見上げた。
「蝕、覚えろ。これは『十六夜』。俺の式神だ」
「…よくもまあ、そんなことを堂々と吾に言えたものだなあ、朔よ…」
吾は嘆息した。
もしそれが正気であったなら、吾が養い子には決して手に負えないブツだ。いや、そもそも、養い子に従うことをまず受け入れやせぬだろう。
…せぬよな?……せぬかな…。どうだろう。まずいぞ…自信がない。こやつだしな。案外、わあ、わたしが見えるの?うれしい、なんでもいって?とか言って、諾々と従いそうな予感が…厭だな。物凄くする。うなぎぱいあんちょび味を賭けてもいいぞ。
「いいか、蝕。これは十六夜だぞ。覚えたか」
養い子が、きらりと瞳を光らせる。
吾が養い子ながら、いい育ち方をしたものだと思う。養親を脅して怯みもしない度胸とか、強請って悪びれもしない根性とか。
…もしかして、吾は子育てに失敗していないか?
思いながらも、吾は養い子に逆らいきれない。
「わかったわかった。これは十六夜じゃ。そなたの従臣じゃな」
つくづくと養い子には甘くなってしまうのだ。これが不遜な態度を助長しているとわかっているのだが。
肩を落とす吾に構わず、養い子は満足したように頷き、頼もしそうに見つめてくる新しい式神の手を引いた。
「まずは風呂だ。汚れを落として、新しい着物に着替えろ。気分もすっきりするぞ」
「うん、朔。ありがとう、うれしい」
銀鈴振るような、と喩えられた美声が、とことんまで甘く養い子に応える。吾は幾分か複雑な気持ちに陥った。
そなたが、そんな甘い声で囀ることは、もうないと思っていたのにな。
「上下!参じよ!」
「あーいあいっ!」
「(―_―)!!」
養い子が鋭く発した気に元気いっぱいに返事して、そっくり同じ姿の半獣の禿が二匹、廊下を駆けてくる。
上弦と下弦、吾の眷属だ。養い子にとっては、下僕であり、兄弟のようなものだ。
「来たわよっ、参じたわよっ、驚異のコンマ以下応答、これぞ眷属の誇り!あら、これは」
「(゜o゜)」
かしましい女言葉で捲し立てる上弦を、吾は素早くつまみ上げた。けたたましく叫ぼうとした口を手のひらで封じる。
「上下。これは十六夜じゃ。朔の新しい式神じゃ。良いな?」
首を振って吾の手から逃れた上弦が、怪訝な声を上げる。
「いじゃよい?あたっ、噛んだわっ、いたいっ」
「ん?」
吾は首を傾げ、渋面になって口を押えた上弦の顎に手をやると、口を開かせる。
「痛むか?ふむ、どれ」
「んー」
突き出された舌を口に含む。わずかに血の味がした。
なんとも器用な不器用だ、これくらいのことで舌を噛むとは。眷属の名が泣く。
「…この環境でグレなかった俺は偉いとつくづく思う」
「なんの話じゃ」
治癒を終えて含んでいた舌を放した吾の口に、上弦は感謝の印として小さく口づけた。そして、元気よく腕から飛び降りる。
まったく腕白な眷属で、吾は気の休まるときがない。
「それで、御用はなにかしら、朔?」
「(・.・)」
問いかけた上弦下弦に、朔はあからさまにいやそうに嘆息してから、新しい式神を前に引き出した。
「十六夜、こいつらは上弦下弦。うちの神社の狛だ。上下、十六夜を風呂に入れろ。ぴかぴかに磨き上げて、だれが見ても文句のない美人に戻せ」
「…だれが見ても?」
吾と同じ疑問を持ったらしい上弦に、朔はやはり胸を張った。
「だれに見せるつもりもないがな!勿体ない!」
勿体ないとかいう問題だろうか。
上弦は半歩引き、それを下弦が引き留めた。うんうんそうよねいやぁよね、というふたりのみに通じる会話ののち、立ち直った上弦が腕まくりする。
「いいわ。十六夜、を洗えばいいのね?お風呂で」
「そう。うちの特製風呂で。ぴっかぴかに」
「やってやろうじゃないの。さ、いらっしゃい、十六夜。ボクたちが腕によりをかけて美人にしてあげるわ」
「(-_-)/~~~ピシー!ピシー!」
「…この場合、下弦はそれで合っているのか…?」
首を傾げる吾に構わず、上弦は戸惑う相手の腕を掴んで風呂場へと引っ張っていく。
下弦がついていこうとして立ち止まり、一寸首を傾げ、吾の元へ走って来た。着物を引かれて、屈む。
「(-.-)」
「ん」
尖らせた口に口づけを落とし、軽く舐める。下弦は納得したように頷き、上弦たちのあとを追っていった。
「…俺がグレないのは、つくづく偉い…」
「だからなんじゃ、さっきから」
嘆息する吾に、養い子もまた嘆息した。
「そっちが言ったんだぞ、蝕。さびしがりが泣いているから、どうにかしてくれと」
なんだか誤魔化されたぞ?
そうは思うが、吾はつくづくと養い子に甘い。
「…どうにかできたそなたが実はいちばん不思議じゃ。まあ、おいおいこれから、というところだがな」
とりあえず、甘やかさずに釘を刺した吾に、養い子は行儀悪く鼻を鳴らした。
ふと気づき、吾は上弦下弦の去ったかなたを見やる。
「そなたも風呂へ入って寝る時間じゃろう。童べが遅くまで起きていてはならん。共に風呂に入って来い」
その吾へ、養い子は偉そうに胸を張った。
「ばっかじゃねえの?!十六夜と風呂になんか入ってみろ?!めくるめくアナザーワールドが展開されちゃって、聖泉も白濁すんぞ!!」
「…そなた、風呂でなにするつもりぞ…」
というか、吾の朋になにするつもりだ。
そんなこと赦しはせぬよな、と思いたいが、あれのことだ。わあ、わたしのことさわれるの?すごいね、もっとさわって?とか言ってあれよこれよとばかりに異世界探訪しそうな気がする。うに味きゃらめるを賭けてもいい。
吾はがっくりと肩を落として、悪びれもしない養い子を見つめた。こんな童べの分際で…。
嗚呼、子育てって、難しいもんだのう…。