結界の中に踏み込んでくるものの気配を感じ、吾は布団の中で目を開いた。
そっと身を起こす。
さんたくらうずかみんぐ
「んにゃ………しょく………?」
傍らに眠る上弦が、小さな手で着物を掴んだ。吾はその手を取り、布団に戻してやる。
「よしよし。なんでもないゆえ、寝ておれ」
「(-.-)zZz」
「よしよし」
布団を出ると、両脇に眠っていた上下にきちんと上掛けを掛け直してやる。
「さてもさて」
放り出していた半纏を羽織ると、首を捻りひねり、廊下に出た。
侵入者は『ワルイモノ』ではない。
ないが、今は丑三つ時だ。このような刻限に忍んでくる理由が不明だ。
廊下で、気配を探る。
「ふむ…」
吾はぶらりと足を運び、養い子の寝間へと向かう。考えるまでもなく、そこ以外に用事がある相手とも思えない。
養い子の寝間の前で待っていると、こそりと廊下を歩いてくる影。
影はそのまま、養い子の寝間の障子へと手を掛けた。
「斯様な刻限に何用じゃ。ここが吾の領域とわかっていて忍ぶとは、鹿曜寺のは吾に喧嘩でも売りたいのか、黒点」
「っ!」
声を掛けると、影――吾の住まう六所神社と、街を挟んで対に立つ山にある鹿曜寺の守護尊、旱の眷属たる黒…て………ん?
「えーと、ああその…………黒点?黒点よな、ぬし?」
暗闇であっても、吾の目はつまびらかに事を捉える。
その捉えた目に映ったのは、闇に溶けこむ射干玉の髪と瞳持つおなご――旱の眷属たる、黒点、のはず、だが。
「夜分遅くに失礼仕ります、六所の御方。ご慧眼の通り、鹿曜寺が日女の眷属、黒点に御座います」
うむ、このかたっ苦しい話し方は間違いなく黒点、だ、が。
「なんぞ、随分と面妖な形をしておるな?」
吾が眷属の上下は未だ生まれたばかりの新米だが、黒点は眷属として長い。すでに姿は大人のもので、半人半獣ではなく、耳と尻尾がある以外はれきとした人の形だ。
ちなみに鹿なので、きつねの吾らほどに尻尾は主張しない。耳も淑やかそのものだ。
だが淑やかなのは耳だけでなく、身形もだ。いつもはかっちりした黒曜の着物を着こなしている。
それが今日は、洋風の着物へと替え、しかも上着も下穿きもやたらと裾丈が短い。
太ももも際どいところまで見えているが、へそも腕も丸出しだ。
そのうえ、黒曜ばかりを好むこれがどうしたことか、紅白の鮮やかな色合いを身に纏っているときた。
頭にも同色の烏帽子を被っていて、見たこともない派手さだ。
廊下に畏まって膝をついた黒点は、ごく真面目に頭を下げた。
「本日の身は、さんたくらうずに御座いますれば。彼の者の正装にて罷り越しまして御座います」
「さんたくらうず?」
何者じゃ、それは?
面妖に面妖が重なったが、とりあえず。
「寒うないか」
「お気遣い痛み入りますが、身も眷属の端くれ。この程度、耐え忍んで見せます」
つまりは寒いのだな。どう考えても、夏場の服装だしの。
吾は羽織って来た半纏を、黒点の肩に掛けた。
「六所の…」
「吾が話す間だけでも着ておれ。それでな、黒点。ぬしは結局、斯様な刻限になにをしておる」
断りの言葉を遮って訊くと、黒点はわずかに身を正した。
「本日の身は日女さまのご下命により、さんたくらうずと成りまして、朔坊へとくりすますぷれぜんとを届けに参上した次第」
「…」
吾は思わず、旱の住まう山のほうを見る。
元は山の主であった旱は、今は寺の守護尊などをしている。
「くりすますぷれぜんと…」
つぶやいた吾に、黒点は頷いた。
「日女さまは仰せになりました。『六所のとこのぼんくらは、どうせ世の機微に疎く、朔坊に童べらしい愉しみも与えてやらぬぢゃろう。此処は妾がひと肌脱ぐところぢゃ』と」
「言いそうだのう…」
ぼんくら扱いには今さら腹が立たないのだが…。
「して、なにを持ったのだ?」
機微に疎いという点では、旱とて大して変わらぬ。いや、自身で思っているより遥かに世間知らずだ。
なにしろ『日女』だ。
場合によってはここで食い止めぬと、養い子に悲劇だ。ぼんくらでも、その程度の親心はある。
問いに、黒点は後ろに置いていた大きな布袋を引きずり出した。
「日女さまがお手ずから編まれました、靴下に御座います」
「靴下……………に、しては、やけに袋が大きうないか?」
「さんたくらうずの正装に御座いますれば」
そう言われると、さんたくらうずが何者か知らぬ身は、黙るしかない。
まあ、靴下なら目くじら立てる必要もなかろう。気配を探る限り、己の髪を編みこんだわけでもなさそうだ。
「では…」
「んにゃ………うるさいよ…………朔起きちゃう…………」
「十六夜?!」
黒点へと了承の言葉を伝えようとしたところに、養い子の寝間から十六夜が出てきた。
眠い目をこすりこすり………えーと、いや、待て。ほんとうに待て。真実待て。
なにゆえにそなた、養い子の寝間から、寝惚け眼で出てくるのだ?!
「これは十六夜さま、良き所に!」
「んにゃ?」
寝惚け眼の十六夜の前に、黒点は袋の中身を取り出して広げた。
「是非にも、この中にお入り下さいませ!」
「いや、一寸待て、黒点!ぬし、中身は確か、靴下とか…!!」
「靴下に御座います!」
黒点は自信たっぷりに頷く。
確かにそうだ。見たところ、形は靴下だ。形は。
だが!
「吾が養い子は、それほど巨体ではないぞ?!」
黒点が廊下に広げた手編みの靴下は、幼い養い子どころか、この中でいちばん体格の良い吾の体ですら、すっぽりと収まる大きさだ。
叫ぶ吾に、黒点は落ち着いて頷いた。
「古来より、さんたくらうずのぷれぜんとは、靴下に入れるが相場と聞き及びまして御座います。ゆえに!」
黒点は、がばりと靴下の口を開いた。
「ささ、十六夜さま!お入り下さいませ、朔坊のために!」
「朔のため………………」
つぶやいて、寝惚け眼のままの十六夜は、おとなしく靴下の中へ――
「って、現地調達も甚だしいわ!一寸待たんか己ら!!」
「蝕、『煩い』」
「むがっ!!」
十六夜はいつになく寝惚けているせいで、力が無節操らしい。
吾は放たれた言霊に縛られて、話すどころか身動きすらも取れない状態になった。
「では、いざ!」
「~~~っっっ!!」
もがく吾の前で、さんたくらうずはぷれぜんとを抱えて、養い子の寝間へと入って行った。