幾年やら顔を合わせぬでいたかと思えば、触れもなしでふらりと訪ないた旧知の輩の腕の中には、人間の赤子が抱かれていた。
過去騙り
「………なんぞやな、以前よりそなたはぼんくらぢゃが……」
触れもなしで領域を侵せば、それは喧嘩を売っているも同じが神の世界。
しかしながら、赤子を抱いてのへんと立つぼんくら狐を見ると、喧嘩をする気も失せる。なにより、これが喧嘩をしに来たでないこともわかる。
「そうやって赤子を抱いておると、もっとぼんくらに見えるの、六所の」
「そうか」
その言葉で、喧嘩はなし、客として迎えてやろうと示した妾に、ぼんくら狐こと六所の狐神は、見たまま、のへんと答えた。
「で、今日は如何様した」
座敷に迎え入れ、相対して座ると、妾から用件を問うた。
放っておくとこれはのへんとしたままゆえ、妾から訊かねば仕様がないのだ。
問いに、六所のは腕の中の赤子を差し出した。
「先ほど拾ったのじゃがな。吾は雄ゆえ、乳が出ん。乳を遣ってくれ」
「……………」
これだから、オノコというものは――
黙りこむ妾に六所のは、赤子を差し出したまま、のへんと首を傾げた。
「そなた、雌じゃろう?乳の出ぬ年でもあるまい?」
こ・れ・だ・か・らっ!!
オノコというものはっっ!!
妾は眉間に皺を寄せ、赤子を受け取った。
「良う聞け、見たまま捻りもないぼんくら狐が。おなごぢゃったら如何でも乳が出ると思うたら、大間違いぢゃ。おなごはおなごでも、乳が出るのは子を孕んだおなごだけぢゃ。孕みもせぬで、ぴゅうぴゅうぴゅうぴゅう出るか!」
「…………そうなのか?」
「そうぢゃ!!」
叱りつけてやっても、ぼんくらがぼんくらたる由縁で、六所のは小揺るぎもしない。
妾は歯噛みしつつ、腕の中の赤子を見る――やれやれ、これもオノコぢゃ。
しかしまあ、赤子の時分には、オノコにも罪はなかろう。
否、もしやすれば、育て方次第に依っては……。
「ぅう………っぅうーあーっ」
「おお、良し良し………オノコがそう簡単に泣くでないよ、ほら、良し良し……」
腕の中で赤子が愚図りだし、妾はあやしながら、のへんと座る六所のを見た。
「先だって拾ったと言うたが……なにも食わせておらぬのか」
「だから、吾は乳が出んと言うてるだろう。往生したゆえ、そなたを頼ったのだろうが」
「ぼんくらめ」
罵って、妾は片肌を脱いだ。胸を曝け出すと、顔を赤くして喚く赤子の口に乳首を含ませる。
「ん………っんく……っんく………っ」
「やれやれぢゃ………子守り本尊とは呼ばれようが、実際に子をあやすのは幾年ぶりぢゃ」
「しかしまあ、さすがに吾より手慣れておる」
「当たり前ぢゃ、ぼんくらが」
感心したように言うのを、軽く睨む。
それから、胸に顔を戻した。懸命に乳を含む子を眺めると、自然と瞳が細くなる。
「――そなたの所に預けようなぞ、よほど切羽詰まってぢゃろうな。片環が起きていればまた、話は別ぢゃが…」
つぶやき、妾は赤子のぷっくらとした頬を撫でた。
そうそう痩せているでもない。
預けられるまでは、きちんと乳を含ませて貰えていた――ならば、なにも愛情無く、返納したでもなかろう。
なにか、余程の事情有ってのこと――
「アレはまあ、頭の中身が子供ぢゃが、ゆえにか子供の相手が上手ぢゃった」
「………」
黙って答えぬ相手に、妾はわずかに視線を投げた。
「――まだ起きぬか、アレは」
「起きて如何する」
問いに、即答。
のへんとした表情ままに、六所のは胡坐を掻いた自分の膝に頬杖をついた。
「起きても、ヒガサは居らぬ。輪廻からすら外した。永劫に見えること叶わぬのじゃ。吾としては、世界が滅ぶまで寝ていて貰いたい」
「………片環がおらぬで、苦労するはそなたぢゃろうに」
きっぱりとした物言いに、妾は嘆息してつぶやく。
それには肩を竦めただけで、六所のはふと訝しげになって身を乗り出した。
「時に、そなた………先ほど、己は乳が出んようなことを言ってなかったか」
「出ぬよ」
問いに、即答。
いつもいつものへんとしている六所のが、わずかに焦りを刷いた表情になった。
「では今、その赤子はなにを飲んでおる?!」
問いに、妾は胸に抱いた赤子を見た。妾の乳首を含み、懸命に咽喉を鳴らしている。
妾は首を傾げて、なにゆえにか焦る六所のを見た。
「妾の神気ぢゃが」
***
「――というわけで、妾の神気を乳代わりに飲んで育ったために、朔坊は半神半人の身と成りようた」
「そうなの?!」
語りを括った妾に、座敷にきちんと座って聞いていた十六夜は目を丸くする。
妾はこっくり頷き、驚きを隠せない十六夜を真面目に見た。
「ために、朔坊はひとより成長が遅いのぢゃ。神とひとでは、流れる時間が違うゆえ」
「そうだったんだ………!!って、ふ、ふきゃぁああああ?!!」
息を呑んで軽く仰け反った十六夜の耳が、がっしりと掴まれた。
妾の耳も感度が良いが、きつねの耳はより以上。
悲鳴を上げる十六夜を強引に招き寄せてさかしまに覗きこみ、膝に乗せられていた朔坊は叫んだ。
「嘘だっての!!なんでもかんでも信じるな、こなたは!!」