「え?だって………」
ふたつの字を見くらべて、俺はきゅっと眉をひそめた。
朔はちっちゃいけど、とっても頭がいい。だからときどき、俺にはすっごくむつかしいことをいうことが、あるんだけど――
それにしても、今回はあんまりにも。
うしうまつのゝ
「おんなじでしょ?なにが違うの?!」
「いや、十六夜、あのな………」
むつかし過ぎて、ちょっと泣きべそな俺に、となりに座る朔はかりかりと頭を掻いた。
その手がすぐ俺に伸びて、頭の上でへちゃんと寝ちゃった耳を、かりかりと掻いてくれる。
ん、きもちいぃ………じゃあもう、どうでもいっかぁ……………
「落ち着いたな?ならばもう一度よく見ろ、十六夜。同じじゃないだろうが」
「えええ………っ」
もういいやと放り出そうとしたけど、朔にいわれて、俺は仕方なく、並べたふたつの字をもう一度、見くらべた。
『牛』と『午』。
――だから、なにが違うの?!
よくわからないことが多いのが、人間の世界だ。
で、やっぱりよくわからないんだけど、今年は『うま年』なんだっていう。
「干支の漢字は、どれも簡単だ。覚えるにも容易い。こなたには、ちょうどいいだろう」
朔はそういった。
今のところ、ひらがなカタカナと、ちょっぴりの漢字の読み書きが精いっぱいの俺だ。これでもたくさん、勉強はしたんだけど。
だって式神として、いつかはちゃんと、朔のお役に立ちたい。
おうちのおそうじとかだけじゃなくて、朔のお仕事も、お手伝いしたい!
――んだけど、朔のお仕事は、むつかしい漢字がいっぱいある本を、読めないといけない。ううん、むつかしい漢字しか、ない本を。
何度か読もうとしたけど、目が回って頭がぐるぐるごしゃん!って、こんがらがっただけで終わった。
で、そんな俺に朔は今日、お仕事とも関係があるっていう、……えーっと、えと、…………うん、そう!
『えと』とかいう、十二匹のケモノの漢字を、教えてくれた。俺でもすぐに覚えられるくらい、カンタンなのばっかりだからって。
朔がいつもお勉強に使ってる座敷で、机の前にふたりで並んで座って――
その中には俺がもう覚えてた漢字もいくつかあって、そのうちのひとつが、『牛=うし』。
けど朔は、なんでかそれを『うま』っていった。
もちろん朔はウソをついたりしないし、なにより俺の主だ。
主が『うし』を『うま』だっていうなら、それは『うま』。
でも朔は、俺に無理やり意見を強いることはない。まだちっちゃいけど、すっごくやさしくって思いやりのある、すてきな主なんだから!
今日もどうしても、『うし』が『うま』だって、いい張ったりしなかった。
十二匹のケモノの漢字を書いたのとは別の紙を出すと、漢字をふたつ書いてくれて――
それが、『牛』と『午』。
で、かたっぽが『うし』で、もうかたっぽが『うま』。
って。
だから、おんなじでしょ?!なにが違うの?!
「さぁくぅう~っ…………っっ」
「よしよし………こなたは見かけは繊細で美麗だが、さすがに神で、性格は大雑把でがさつよな………」
「ぅ~っ!」
どうやって見ても違いがわからなくて、泣きべそを掻いてずびずびと洟を啜り出した俺に、朔はまた手を伸ばす。
びるびると震える耳をかりかり掻いてくれて………ふゃん、きもちぃ………じゃあもういいやー………
「じゃなくてっ!」
とろとろに蕩けそうになったとこで、今度は自分から自分を奮い立たせた。
俺は朔のお役に立つ、ちゃんとした式神になるんだったら!
しっかり背筋を伸ばして、股に隠れかけてたしっぽもぴんと立てた俺に、朔もうれしそうに笑った。
「うむ、その意気や良し、十六夜!ちなみに俺はこなたの、見かけが超級ものに繊細で美麗なのに、頭脳と性格がわりとかなり残念に、おおらかで緩いところも、ものすごくかわいいぞ!」
「うんっ!」
なんかよくわかんないけど、たぶんいっぱい褒められてる!
さらにめらめらとやる気をみなぎらせた俺に、朔はふたつの字をとんとんと指差した。
「いいか、十六夜。こっちの『牛』には――そうだな。『角』があって、こっちの『午』には、『角』がないだろう?つまり………あー……アレだ。牛頭と馬頭を思い出してみろ、地獄の門番の。『うし』の牛頭には『角』があるが、『うま』の馬頭には『角』がないだろう?漢字も同じだ。とりあえず」
「つの………」
朔にいわれてもう一回よく見ると、確かにふたつの漢字は、角のあるなしが違う。
俺はもうひとつ、うしにくのひとと、うまにくのひとのことを思い出した。
うん、そうだ。
うしにくのひとの頭には角があったけど、うまにくのひとの頭には、角がなかった!
そっか!まったくおんなじに見える『牛=うし』と『午=うま』の違いって、角があるかないか――
「……………つの?」
そこまで考えて、俺ははたと首を捻った。
なんか、ずいぶん違うひとに見えた、うしにくのひとと、うまにくのひとだけど、――違いって、角があるかないか、だけ?
つまりうしにくのひとから角をとって、うまにくのひとの頭に角を置いたら、『牛→午』の『午→牛』で、うしにくのひとがうまにくのひとで、うまにくのひとがうしにくのひとっていう…こ……と………?
「待て、十六夜。こなたがなにを考えているか、口に出す前からおおよそわかるんだが、そ」
「「ばばぁあんっ!あけおめことよろっ、六所のちっこいままの!地獄の門番牛頭馬頭、うま年に浮かれ燥いで、お年始に参☆上っ!」」
朔がなにかいいかけたとこで、座敷のふすまが勢いよく開いた。
現れたのは、腰みのいっちょにキンニクもりもりばっつんのますらを――頭はうしとうまの。
「ぁ」
「言いたいことは山ほどあるが」
二匹の頭にじじっと見入りつつ腰を浮かせた俺の横で、朔はぎゅいぎゅいと眉間を揉んだ。
「今年も貴様らは、惨状の気配を見逃さんな………この被虐趣味の食肉どもが!」