だって、神様なんていないのだから。

きりキり-松虫編

「こっち」

「え………ああ、うん」

手を取って引っ張ると、スズはぱちぱちと目を瞬かせた。

特に振り払われることもないまま――私はスズの手を掴み、連行するように先へ先へと向かう。

連行。

そうかもしれない。

途中でスズが飽きて、もしくはなにかに気がついて、行くのは嫌だと言い出さないように――言い出しても、強引に連れて行くように。

いつもと同じ、学校からの帰り道。

いつもと同じ、スズと並んで歩く。

いつもと違ったのは、私が行きたいところがあると告げたこと。

「珍しいじゃん………マツがそんなこと言い出すなんて」

「………そう?」

きょとんとしたスズに、私はどぎまぎとした。後ろ暗いからだ。

私は企んでいる。スズにとっては、まったく意味のないことだけど。

なんとか誤魔化さないといけないと、私は懸命にこれまでの帰り道を思い返した。

「………そんなこと、ないでしょうだって、本屋さんにはよく――」

「だからさ、本屋以外。マツって基本、買い食いもしないし。あたしがおなか空いたって言うと付き合ってくれるし、休みたいって言ったら公園に行くけど、マツからは本屋以外って、言い出さないじゃん」

「………………そう、だった?」

眉をひそめた私に、スズは軽く頷いた。

「そーなんですよ、マツさんおかげであたしなんか、自分では本読まないっつーのに、ここら近辺の本屋の場所にすっげぇ詳しくなったし」

「……………」

どうしよう。

私はひどく焦って、痛いほどに波打つ心臓を持て余す。

どうすれば、スズは付いて来てくれるだろう。私一人で行ったところで、意味のない場所なのだ。

スズと二人で――二人きりで行くから、意味がある場所。

けれどスズには、深く考えがあっての指摘ではなかったらしい。

言葉を失って無為に立ち尽くすだけの私ににっこり笑うと、指し示した方へと歩き出した。

「つまり、よっぽど行きたいってことでしょいーよ、付き合ったげる。今日は別に、用事もないしさー」

――一瞬どうかと焦ったけれど、結局、思う通りに運んだということ。

そうとはいえ、私は微妙に釈然としない気持ちで、先へと行くスズの背中を見つめる。

「よっぽど、行きたいっていう、わけじゃ………」

弁解で言い訳で、そして嘘だ。往生際が悪いにも程がある。

私は行きたい。

とてもとても行きたい。

スズと二人で。

なにひとつとして意味はないけれど、己の滑稽さにもはや、泣くことも笑うことも出来ないけれど。

「………ここ」

「ここ………はぁあ……」

手を引っ張って歩いて、しばらく。

ようやくたどり着いたと示した私に、スズは呆れ返ったようなため息をこぼした。

ここまで来ると私もそう焦らないので、掴んでいたスズの手を放す。

スズは立ち止まって辺りを見回して、首を振った。

「マツってほんと……なんか、穴場っていうのそういうスポット見っけるの、得意だよねえ」

「………そうなの?」

私もスズに倣って、周囲を見回す。

住宅街だ。

区画整理や都市計画に基づいて出来た新しい住宅街ではなく、古い家と新しい家とが混在している。目印になりそうな大きなマンションがあるでもなし、続くのは古いか新しいかの差の一戸建て。

よくあることだけど、こういった町並みはいざ足を踏み入れると道が複雑に交差して、天然の迷路と化している。地元の人でなければ、確かにそうそう――

時間から考えても人気のなさはかなりのもので、スズの言うようにここが『穴場スポット』である可能性は高い。

「私も初めてなんだけど………」

いつもの通学路からは、かなり外れた場所だ。知り合いが住んでいるわけでもないから、なおさら来ない。

ぽつりとこぼすと、スズはさらに呆れたように私を見た。

「それで迷いもなく、来られたわけ?」

「………そうね」

「やっぱり、よっぽどだわ」

言うと、スズは足を踏み出した。

まだ立ち止まっている私を、笑顔で振り返る。

「まあ、マツがいっしょに来て欲しいっていうのも、わかる。これは一人じゃ怖いわぁユーレイってより、変質者が出そうだもん!」

「………そう、なの?」

まったく考えていなかった可能性に、私は慌ててスズの後を追った。いつもよりも心持ち距離を詰めてつぶやいた私に、スズの笑顔は盛大に呆れを含む。

「あー、マツはやっぱり、ユーレイの心配しかしてないんだダメじゃんあのね、こういうヤブとか鬱蒼と木が生えてて、人気のないとこってのは、変質者のたまり場なのじょしこーせーが夕方に一人で来るとか、あり得ないから!」

「そ……んな、ことは……」

明るいスズの声を聞きながら、私はもう一度、周囲を見回す。

神社だ。

神主も常駐していない、近所の人が交代で面倒を見ているのだろう――小さく、打ち捨てられたような社。

けれど、神社だ。

きちんと鳥居もあって、お賽銭箱もある。どういうわけか、お賽銭箱だけが妙に新しいのだけど。

幽霊が出るかどうかはともかくとして、賽銭泥棒ではなく、ここに変質者が――

「そんな罰当たりなこと、あるのかって思ってるでしょ、マツ」

「………」

スズはふふんと鼻を鳴らし、ちょっとだけ得意そうに胸を張った。

「そーいうこと気にしないから、変質者は変質者って言うのだからヤツらは、メーワクなんじゃん!」

「そう、なの………」

言われると、ひどく納得する。だから、『変質』者――普通じゃないんだと。

私は気圧されつつもスズから顔を逸らし、たどり着いた社に向き直った。

神社にお参りするときのお作法は、なにかいろいろあったような気がしたけれど――

ここでそれを一からやるのも、なにか違う。そもそも、覚えていない。

私は鞄からお財布を取り出して、五円玉をつまんだ。お財布を鞄の中にしまってから、白木のお賽銭箱に五円玉を落とす。

ぱんぱんと高く手を打って、頭を下げた。

「………んで、ここ、なんの神様祀ってるとこなの?」

お賽銭を放り込むこともなく、きょろきょろとあたりを見回していただけのスズに訊かれて、私は小さく吐息をこぼす。

くちびるが、自然と笑みを刷いた。

「弁財天」

「べん………?」

「弁財天。芸術を司る、女神様」

もう一度くり返すと、スズは困ったように頭を掻いた。

「なんか、聞いたことあるような……」

「七福神の神様のひとりよ。七福神には女神さまがひとり、いるでしょうもともとは、吉祥天が七福神の紅一点だったんだけど、弁財天のほうが縁起がいいって、取って代わったの」

「しち………き…………?」

ついて来られないスズに、私は笑う。

良かった。

知らない。

笑う私に釣られて微妙な笑みをこぼしつつ、スズは軽く天を仰いだ。それからはたと思い出した顔で、私を見る。

「芸術の神様そっか、そういえばそろそろ、写生大会があるって」

「………」

「マツ、写生大会苦手だったよね。鉛筆描きはすっごいきれいなのに、絵具を塗った瞬間に………」

「色鉛筆だったら、ちゃんと色が付けられるわ」

意味のない強がりを吐いた私に、スズは明るく笑った。

「いいじゃん、いいじゃん。あたしなんか、鉛筆でも描けないしあー、そっか。したらあたしももしかして、お参りしたほうがいいんだまあ別に、参加する気もなかったけど」

笑いながら、スズは財布を取り出して小銭をつまみ、お賽銭箱に放り込む。ぱんぱんと手を打ち合わせ、軽く頭を下げた。

「………」

夕暮れに、私はスズの顔の陰影を見る。

きれいにお化粧されていても、薄暗いここではわからない。

ただ、伏せられたまつ毛や、結ばれたくちびるや――いつもとは違う、茶化していた口調からは想像もつかない神妙な、横顔。

見て、焼き付ける。

形にして残しておけないものが、あるから――

「ま、写生大会には出ないけど、芸術の神様なんでしょしかも女神だし、メイクとかネイルとか」

「縁切りの場所でもあるのよ」

お祈りを終わらせたスズの言葉に被せるように、私は微笑んで言った。スズはぎょっとした顔で、私を見る。

私は心から微笑んで、そんなスズを見返した。

「女神様でしょうカップルで来ると、嫉妬して、縁を切ってしまうんですって」

「マツ」

なにかしら動揺しているスズから顔を逸らし、私は歩き出した。

神様なんて、いない。

こんなことに、なんの意味もない。

私は自分のあまりの滑稽さに、泣くことも笑うことも出来なくなる。

数歩先へ行ってから社の前に立ち尽くすスズを振り返り、私は暗がりに声を弾ませた。

「スズは、いろいろな男の人と付き合うでしょうもしもこれから、別れたいけれど上手くいかないことがあったら、そのひとといっしょにここに来たらいいわ。縁切りスポットだなんて、言わなければいいのよ。さっき私が言ったみたいに、芸術の神様だって」

「………マツ」

用意してきた言葉をすらすらと吐く私に、スズはゆっくりと歩み寄って来る。

近くに来たスズの笑顔は、複雑に歪んでいた。

「……びっくりした。あたしと縁切るために、ここまで連れてきたのかと思って。――まあ、マツから見るとちょっと、あたしのオトコの趣味って、アレだよね。心配させてる?」

「………」

私はスズを見つめるだけで、言葉に出来ない。

心配なんてしていない――しているのは、嫉妬だ。

スズに気安く触れる男の人に、きっとスズの体を開いている男の人に。

神様なんて、絶対にいない。

どれだけ祈っても、スズの傍には男の人がいる。私の想いを届けようもなく。

どれだけ祈っても、スズが私を選んでくれる日は来ない。

神様なんていないから、すべてが無為なこと。

黙って答えない私に、スズは軽く後頭部を掻いた。

「ありがと。困ったときは、使わせてもらう。まあ、道がフクザツだし……次まで覚えてられる自信がないけど」

「………そうね」

私は笑う。

来たりしたら、それこそ嫉妬で狂うかもしれない。

「あのさ、マツ」

軽い足取りで歩き出した私の背に、スズが躊躇いがちな声を上げた。

「……念のために、訊くけどさ。これであたしとマツの縁が切れたりとかって」

「どうして?」

弾むように歩きながら、私はスカートを閃かせて振り返る。ほんのわずかな距離でもう、暗がりに顔が見えないスズへと、それでも笑った。

「私とスズは、恋人じゃないわ。女同士。友達よ。どんな関係があるっていうの?」