神様がいるなんて、信じてないけど。

きりキり-鈴虫編

「行きたいところがあるの」

いつもと同じになるはずだった、学校からの帰り道。

寄り道を言い出したのは、マツからだった。

あたしは弄ってたタブレットから顔を上げて、まじめな顔のマツを見る。

「行きたいとこ?」

どこの本屋だろうと、ここら辺の地図を頭に描く――マツが行きたいところといえば、本屋だ。

あたしは自分ではほとんど本を読まないのに、いっしょに帰るマツが行きたいというのに付き合っていたら、ちょっとした本屋通になってしまった。

ツウだ。知ってるっていうレベルじゃない。

だってマツときたら、わかりやすい、街中の大型書店に寄るだけじゃない。

あたしはすっかりツブれてるもんだと思ってた店とか、本屋だとも思わずに通り過ぎていた店とか――

新刊だけでなく、中古本を扱う店にも行くし、なにをどうしてここに本屋があると気がついたのか、ちょっと問い質したい脇道なんかにも入って行く。

つまり、ほんとにツウなのはマツなんだけど、付き合っているうちにあたしまでツウになった。あくまでも、場所だけだけど。

ほんとのツウであるマツだと、欲しい本によって行く店を変えるというワザまで繰り出す。あたしはさすがにそこまでは、覚えきれない。

そのあたしに、マツは微妙に口ごもりながら告げた。

「神社、なんだけど」

ちょっとデンパなマツだとわかっていても、さすがにあたしはきょとんとした。目をぱちくりして、まじまじとマツを眺める。

「珍しいじゃん………マツがそんなこと言い出すなんて」

「………そう?」

言ったあたしに、マツは戸惑ったように首を傾げる。親指をくちびるに当てて、思い返すような顔になった。

「………そんなこと、ないでしょうだって、本屋さんにはよく――」

「だからさ、本屋以外。マツって基本、買い食いもしないし。あたしがおなか空いたって言うと付き合ってくれるし、休みたいって言ったら公園に行くけど、マツからは本屋以外って、言い出さないじゃん」

微妙にずれたところで主張するマツに、あたしは軽く言い返す。

マツが行きたいと言ったら、本屋だ。それ以外の場所なんて、これまで言い出されたことはない。

ましてや、神社なんて。

滅多にそういうことを言い出さないマツが言い出すってことは、それほど行きたい場所ってこと。

神社だっていうし、まあ、なにかの願掛けがあるんだろうけど――誰か好きなひとが出来て、その成就とか。

思い浮かんだ可能性を握りつぶして、あたしは戸惑っているマツに笑いかけた。

最初に示されたほうへと、足を向ける。

「つまり、よっぽど行きたいってことでしょいーよ、付き合ったげる。今日は別に、用事もないしさー」

あたしがついて行かなかったら、マツはひとりで行くかもしれない。

ひとりで行ってお祈りして、そこにいるかいないかわかんない神様がうっかりいて、真面目でいい子のマツの願いだからと、叶えてあげて――

堪えても荒くなりがちな歩みに、ちょっと遅れてマツはついて来た。

すぐに立場は逆転して、マツが先導する形になる。

なにしろ、あたしは場所を知らない。行きたいのはマツで、そのうえどうもそれは、有名どころではないらしい。

マツは迷いもない足取りで、まるで迷路みたいな住宅街に踏み込んでいく。

この住宅街を抜けた先に――と思うけれど、抜けるのかどうか、それすらわからないほどに道は入り組んでいた。

目立つマンションなんかがあるでもなく、古かったり新しかったりの差だけの一軒家が、ひたすらに続く。

途中でさすがにへばりかけたあたしの手を、マツは掴んで引っ張った。

そんなことだって、滅多にはしない。

だからやっぱり、マツはよっぽど――でも、登下校もほとんどいっしょで、クラスだっていっしょで、マツが誰か、頻繁に目をやっていたオトコなんていただろうか。

考えに沈みながらついて行ったあたしに、マツはようやく立ち止まった。

ひとりじゃ絶対に帰れない。そこまで入りこんだ場所に、いきなり神社があった。

戸建てと同じ並びだ。ふつーの家に混ざって、門の代わりに鳥居が立って、鬱蒼と木が茂る『庭』がある。

見通せるくらいの奥に、小さなちいさな社が見えた。

「………ここ」

見ればわかるけど、言ったマツにあたしは反論しなかった。鳥居の前で立ち止まり、思わずため息をこぼす。

マツの本屋巡りについて行ってても、思うけど――

「マツってほんと……なんか、穴場っていうのそういうスポット見っけるの、得意だよねえ」

「………そうなの?」

なぜかびっくりしたように言うマツだけど、ここは絶対に穴場だ。あんまりいい意味にはなんないけど。

「私も初めてなんだけど………」

しばらく辺りを見回していたマツは、ぽつんとつぶやいた。

あたしはますます、呆れる。

あんな、迷路みたいな住宅街を、それも夕暮れ時で暗い中、ずんずんずかずか歩いて行って――

「それで迷いもなく、来られたわけ?」

「………そうね」

「やっぱり、よっぽどだわ」

結論は、それしかない。

誰だろう、そこまでさせる相手は――

心当たりを探すけど、ろくなのがいない。

周囲にろくなオトコがいないっていうのもあるけど、相手がマツとなると、あたしの理想はうなぎ登りになる。

その高い理想に合致するようなオトコの心当たりが、まったくない。

内心では焦りながら、あたしは誤魔化すために神社へと足を踏み入れ、殊更に明るい声を上げた。

「まあ、マツがいっしょに来て欲しいっていうのも、わかる。これは一人じゃ怖いわぁユーレイってより、変質者が出そうだもん!」

「………そう、なの?」

後ろからついて来て、あたしの言葉に慌てて横に並んだマツの声は、まったく予想もしていなかったってふうだった。

これが、マツ。

デンパ入ってるだけでなく、警戒心が低くて、純粋で――悪く言えば、おこちゃま。

神社といえば、神様がいるところだ。そんなところに潜む変質者がいるわけないだなんて、あたしからすると、よくもそんなに楽観的になれるって感じ。

世の中を――人間を知らないにも、程がある。

いくらたくさん本を読んでて頭が良くっても、だからあたしはマツが心配だ。あたしが気をつけてあげなきゃ、きっとヘンなオトコに引っかかって、いいように弄ばれるに違いない。

イイオトコとヘンナオトコの見分け方が載ってるような本を、マツが買ってるのって見たことないし。

「そんな罰当たりなこと、あるのかって思ってるでしょ、マツ。そーいうこと気にしないから、変質者は変質者って言うのだからヤツらは、メーワクなんじゃん!」

「そう、なの………」

さらに言い聞かせようとしたあたしだけど、すでに社の前だ。とにかく狭い。

暗がりで遠目に見ても思ったけど、近くで見るとますますぼろい神社だった。ついでに小さい。

そもそも神様がいるかどうかはともかく、ここにはカンペキいない。いるとしたら、どんな貧乏神だって感じ。

なのに、置いてある賽銭箱だけは、妙に新しくて白く――社の状態から比べると、大きい。

マツはすぐに財布を取り出すと、小銭をつまんで、そのちぐはぐな賽銭箱に投げ入れた。ぱんぱんと柏手を打って、頭を下げる。

真剣な横顔――あたしの胸は、嫌な感じに波打つ。

誰だ、誰だ――マツに、こんな隠れスポットにまで来させるようなヤツ。こんなとこにいるなんて、ロクな神様な気がしないけど、だとしても――

「………んで、ここ、なんの神様祀ってるとこなの?」

お祈りがひと段落ついたと見たところで声をかけたあたしに、マツはあっさりと答えた。

「弁財天」

「べん………?」

そもそもあたしは、そんなに神様に詳しくない。名前だけ言われても、なんの神様なのかさっぱりわからない。

戸惑っていると、マツは楽しそうに笑ってあたしを見た。

「弁財天。芸術を司る、女神様」

もう一度、今度はゆっくりとくり返して言われる。

とはいえ、やっぱりなんだと、すぐに思い浮かばない。

「なんか、聞いたことあるような……」

知らないとはっきり言うのも、悔しい。そんな見栄とかプライドとか、マツ相手には意味がないのに。

あたしの強がりに、マツはますます楽しそうに笑う。夕暮れは濃くなって、あたりはどんどん闇に包まれていくのに、その笑顔だけは眩しく、輝いて見えた。

「七福神の神様のひとりよ。七福神には女神さまがひとり、いるでしょうもともとは、吉祥天が七福神の紅一点だったんだけど、弁財天のほうが縁起がいいって、取って代わったの」

「しち………き…………?」

弾む声で説明されても、あたしにはついていけない。さすがに七福神くらいはわかるけど、あたしが知ってるのって要するに、『神様が七人いるから七福神』ってことだけ。

そこに女神が何人いて、入れ替わってどうのこうのと言われても、そもそも女神なんていたっけとか、そういうレベル。

でも同時に、ざわついていた胸が急速に鎮まった。ばかじゃないのと、自分を嗤ってしまう。

神社イコール縁結びなんて、短絡的もいいとこだ。あたしの頭の中が、いかにそれだけでいっぱいかって話。

普通、高校生くらいで神社に行くっていったら、勉強絡みだ。確かほら、あたしだってさすがにソラで名前が言える――スガワラノミチザネとか。

見た目だけじゃなくて、中身も真面目なマツだ。神社に行くって言ったらまず一番に浮かべるべきは、合格祈願だろう。

今はまだ、受験生と言われる学年ではないし、そのうえあたしから見れば神頼みする必要もないくらい、マツは頭がいい。

だからうっかり、ヒヤクしたけど。

自分を嗤ってようやく軽くなった頭が、ふっと思い出した。

「芸術の神様そっか、そういえばそろそろ、写生大会があるって。マツ、写生大会苦手だったよね。鉛筆描きはすっごいきれいなのに、絵具を塗った瞬間に………」

「色鉛筆だったら、ちゃんと色が付けられるわ」

憂慮が反っての興奮からまくしたてたあたしに、マツは珍しくもムキになって言い返してきた。

悪いとは思うけど、あたしは堪え切れずに吹き出してしまう。

あたしとマツとは、中学一年からの付き合いだ。中学のときにはあたしも、美術であっても真面目に授業に出てたから、マツの絵は知っている。

鉛筆での下描きは、びっくりするくらいに上手い。

その鉛筆描きのまま提出して良ければ、絶対になにかの賞は取れる。

でもいざ、色を塗ろうとすると――マツ曰く、絵具はいくら頑張っても加減が掴めないのだとか。

今も主張した通り、だから色『鉛筆』で描いた絵だったら、ほんとにきれいだ。

とはいえ色鉛筆でも赦されるのは、小学校も低学年くらい。さもなければ全然関係ない地理の、白地図。

美術はいつでも絵具で、水彩絵具から油絵具に進んでも、色鉛筆に戻ることはない。

真面目なマツにしたら、それは悔しいだろう――で、たぶん誰かトモダチに聞くかなにかして、神頼み。

追いつめられててかわいそうだけど、かわいい。

すごくかわいくて――うっかりあたしが、変質者になりそうだ。

「いいじゃん、いいじゃん。あたしなんか、鉛筆でも描けないしあー、そっか。したらあたしももしかして、お参りしたほうがいいんだまあ別に、参加する気もなかったけど」

すっかりむくれてしまったマツを誤魔化すように、あたしは財布を取り出して、適当な小銭をつまむと賽銭箱に投げ入れた。なんか、この神社のこの賽銭箱に放り込むのって、サギって感じもするけど。

とりあえずポーズとして、あたしは柏手を打って瞼を伏せ、頭を下げる。

顔を上げると、なにか言われるより先にマツへと笑いかけ、畳みかけた。

「ま、写生大会には出ないけど、芸術の神様なんでしょしかも女神だし、メイクとかネイルとか」

「縁切りの場所でもあるのよ」

――たぶん、心臓が止まった。

マツは笑顔だった。とても無邪気な。さっき、祀られている神様を説明したときと同じ、持っている知識を話せることがうれしいという。

雑学博士に、ありがちな。

けれど、その言葉の意味はさすがにあたしにもわかる。

言葉を失うあたしにも、マツの笑みは無邪気に弾んだままだった。

「女神様でしょうカップルで来ると、嫉妬して、縁を切ってしまうんですって」

「マツ」

言うと、マツは弾む声そのままの弾む足取りで、歩き出す。元来た道へ、もう用は済んだと。

あたしは咄嗟には、動けない。

カップル――女神様でしょうカップルで来ると、嫉妬して――カップル、カップルってなんだ――嫉妬して、縁を切ってしまう――カップル、コイビト同士。

頭の中では言葉がぐるぐると駆け巡って、吐きそうだ。とてもじゃないけど、歩けない。

あたしがついて来ないのに気がついたのか、マツは途中でくるりと振り返った。

いつも声の小さなマツにしては珍しく、ちょっとだけ大きく張り上げる。

「スズは、いろいろな男の人と付き合うでしょうもしもこれから、別れたいけれど上手くいかないことがあったら、そのひとといっしょにここに来たらいいわ。縁切りスポットだなんて、言わなければいいのよ。さっき私が言ったみたいに、芸術の神様だって」

言うマツの顔を、沈みかけの夕日が最後の力を振り絞るように照らし出していて、浮かべる笑みを輝かせた。

陰影のせいか、着ているものは野暮ったい制服なのに、まるで女神みたいに――

「………マツ」

ようやく動くようになった足でなんとか傍に行って、あたしは懸命に笑った。

「……びっくりした。あたしと縁切るために、ここまで連れてきたのかと思って」

あたしの言葉に、マツこそびっくりしたように、眉がぴくんと跳ねた。わかってる、あたしが考え過ぎたんだ。

マツがなにか言うより先にと、あたしは口早に言葉を続けた。

「――まあ、マツから見るとちょっと、あたしのオトコの趣味って、アレだよね。心配させてる?」

マツは真面目だからなおのこととは思うけど、ご同類で括られるナカマから見ても、あたしのオトコの趣味はあんまり、良くないらしい。

そのうちヤ印に捕まって、おミズ漬けにされるよとは、冗談めかしながらも半ば本気で言われる。

写生大会なんて、口実だ。

芸術の神様っていうのも、タテマエ。

マツはきっと、ここに縁切りスポットがあるよって、あたしに教えたかった。

神様を信じてるかって言われると、微妙だ。信じたいときは信じるし、信じたくないときには信じない。

デンパって言っても、マツも本当はそうなんだと思う――けど、神頼みしたくなるくらい、追いつめた。たぶん、あたしが。

それだけ、心配かけた。心配かけてる。

心配、してくれてる。

ほとんど痛いくらいに疼く下半身を抱えながら、あたしはマツに笑いかける。

「ありがと。困ったときは、使わせてもらう。まあ、道がフクザツだし……次まで覚えてられる自信がないけど」

言うと、一瞬だけ瞳を見開いたマツは、今初めて気がついたという顔で周囲を見回した。

やっぱり、ヌケてる。

だとしても、心配してくれた。その価値が下がることなんて、ない。

「………そうね」

マツは結局、仕方がなさそうに笑って、またくるりとターンし、歩き出した。

用は済んだ――その足取りは、踊るように軽い。

ついて行こうと足を踏み出しかけて、あたしは自分の足が鉛みたいに重いことに気がついた。

神様を、信じてるなんて言わない。信じたいときに信じて、信じたくないときには信じない。

言葉にはしても、心の奥底に不安がある。

たぶんあたしは本当は、神様がいると、信じてる。

「あのさ、マツ。……念のために、訊くけどさ。これであたしとマツの縁が切れたりとかって」

ばかだと思いつつも訊いたあたしに、鳥居の下に着いたマツはきれいなターンを決めて振り返った。

足取りだけでなく、明るく弾む声が呆れたように言う。

「どうして私とスズは、恋人じゃないわ。女同士。友達よ。どんな関係があるっていうの?」

沈みかけの夕日に浮かぶその笑顔は無邪気で純粋で、ひどく幼かった。