「カイト」

呼ばれて、少しびっくりする。びっくりしてから、なんだか急に恥ずかしくなる。

「はい」

返す返事が、妙に堅苦しい。

ぴん、と背筋まで伸ばして。

Sweetie Pie

自分の家で、お馴染みのリビングだ。そんな余所行きの態度、どこまでもおかしい。

――おかしいのは、百も承知、なのだけど。

どぎまぎしながら見上げた、隣に座るがくぽは、妙な顔でそんなカイトを見返した。

「…」

「…」

無言で見合う。間に漂う、微妙な緊張感。

まあ、そうだ。

名前を呼んだだけでこうまで緊張されたら、なんの気なしだったのに、悪いことでもしたように感じるだろう。

ふつうにしなきゃ。

そうは思う。

いつもどおり、いつもどおり。

言い聞かせもする。

だけど、いざ呼ばれると。

――カイト

一歩、近づいた、距離。

いや、きっと、一歩よりずっとずっと近づいた、距離。

確かには見えないそれが、形にして差し出されたように感じられて。

「………あー、その。………」

なにか言いかけて、がくぽはやっぱり黙ってしまう。

困ったように眉をひそめて、首を傾げた。

「………不快、か?」

「ほえ?」

唐突な言葉に、思考が追いつかない。

不快、って、なにが。

きょとんと見つめるカイトに、がくぽは視線を泳がせる。

「だから、つまり――俺がお主を、カイト、と呼び捨てにするのは………」

「っ」

びっくりして、後ろに倒れかけた。ソファの背が支えてくれなければ、正直に倒れていただろう。

不快って、不快だなんて、そんな!

「やだ!!」

高速で体を起こして、叫んだ。がくぽが花色の瞳を見張る。

「やだやだやだ!!」

駄々っ子のように叫んで、カイトはそんながくぽに抱きついた。ぎゅうぎゅう締め上げる。

「前に戻しちゃやだいまのまんま、『カイト』って呼んで!」

「…」

呼ばれる。

カイト、と。

大事な宝物を、くるみこむみたいに。

あたためられて溶ける、砂糖の気持ちがわかるような、やわらかな声音。

くすぐったくて、どぎまぎして、とても普通には出来ない。

その想いは、つまり。

「いやなんじゃないよ、恥ずかしいだけだもんすっごく照れちゃうだけだから!」

素直に吐露すると、強張っていたがくぽの体がほどける。しがみつく体にそろそろと腕が回されて、抱きしめられた。

大事にだいじに、宝物みたいに。

がくぽは全身で、カイトを大事にしてくれるから。

「ちゃんと馴れるようにするから……緊張しちゃわないようにがんばるから」

「いい」

ごめんなさいを言い募ると、穏やかながらも、きっぱりと拒絶された。

思わず顔を上げると、照れくさそうな、怒ったような、妙な笑顔のがくぽと目が合った。

「………いい、馴れぬで。ずっと照れておれ」

「……がくぽ」

呆れた怒った?

泣きそうに歪むカイトの額に、がくぽは軽いキスを落とした。

「名前を呼ばれるだけで震えるほど、俺のことを好きなままでいろ。名前を呼ばれるだけで目を回すほど、俺のことを愛したままでおれ。――いつまでもいつまでも」

「…」

ささやかれた言葉に、瞳を見張る。

見つめていると、瞼にキスが落ちてきた。

「厭か?」

「ううん」

反射で首を振る。

いやなわけがない。ずっとずっと好きでいろというなら――

「ふひゃ」

笑ってしまった。

なんて偉そうに、命令してくれるのだろう。

なんて偉そうで、弱気な祈り。

笑いながら、がくぽに頬をすり寄せる。がくぽも笑って、ますます強くカイトを抱きしめてくれた。

大事に、だいじに。

呼ぶ、名前が。

いつまでもいつまでも、やわらかでくるみこむようにやさしいなら。

決して馴れることもなく、このこころは甘く蕩け続けるだろう。

きっとずっと、震えて痺れる。

「がくぽ」

呼んで見上げたカイトに、がくぽは笑みの形のくちびるを寄せた。