リビングで行われていたきょうだいの議論は紛糾し、なかなか決着がつかなかった。

ン・レン・タインの-前編-

「がっくんがいくら甘いものがニガテって言っても、普段あれだけらぶらぶあっちっちしてて、『それはない』ってほうが、おかしいでしょ?!」

陽だまりがぽかぽかと暖かいリビングの窓辺の床に、きょうだいは年長組と年少組とで相対して座っていた。

しかし議論に興奮したミクは、腰を浮かせて片膝を立て、がくぽに迫る。

その隣にいるリンも、座ったままであるものの、やはり不満そうにがくぽをねめつけた。

「そぉよあれだけお約束ネタをやっておいて、これはやらないなんて、そっちのほうがおかしいもんねえ、おにぃちゃん!」

「ええっとぉ………ゴカイしてるみたいなんだけど…」

話を振られたおにぃちゃん――カイトのほうは、複雑な笑みを浮かべて、かわいい妹を見返した。

「別におにぃちゃんたちは、お約束ネタが好きだとか、やりたいとかいうんじゃなくって…………」

「そうだ。愛しさのあまりに行動した結果が、『お約束』だったというだけだ」

妹たちを「悪魔」と呼び習わして恐れているがくぽは、腰が引け気味だ。微妙に、並んで座るカイトの後ろに隠れている。

普段のがくぽは、恋人であるカイトを守ろうと逸って前に出がちだが、現在、相手にしているのは妹たちだ。

彼女たちに対するなら、どう考えても、自分よりもカイトのほうが強い。

らぶらぶあっちっちぶりを遺憾なく発揮して意見を合わせた兄たちに、しかし妹たちはめげなかった。

むしろいきりたって、手を伸ばす。

ミクとリンは、きょうだいたちの間に置かれて議論の的となっていた、チョコレート味のホイップクリームの袋を掴むと、並んで座る兄たちへと突きつけた。

「「せっかくっ!!コイビトなんだから!!クリームに塗れたバレンタインを過ごさずにどう過ごす?!!」」

――つまり議論の題材は、がくぽとカイトのバレンタインデーの過ごし方だ。

妹たちはこの季節になると出回る、ケーキデコレーション用のチョコレート味のホイップクリームを買ってきた。

これで、お約束ネタである「クリーム塗れ:バレンタインバージョン」をやれ、と――迫る相手が兄二人なのだが、そこはツッコんでいるときりがないのが、この家だ。

対するがくぽとカイトは、そんなお膳立てされた「お約束」をやって堪るかと、抗戦。

いや、カイトのほうは、食べ物で遊ぶってどうなのしかももしかしてそれって、すっごくえっちじゃないというところで抵抗している。

恋人に触れられることは好きだが、ちょっとばかり過剰気味になる自分の「えっちさ」には抵抗があるのが、カイトだ。

対してがくぽのほうは、妹たちがお膳立てしたものにうかうかと乗ったが最後、先に見えるのが、弄ばれて嬲られる地獄だと、頑強に信じているために。

――仲良しに見えて、ほんのり意見に食い違いがある二人だが、それもそれ。

抗戦で一致していることに変わりはない。

ちなみにレンもいることはいるのだが、彼は議論が始まってからずっと、リンと背中合わせに座り、きょうだい四人に背を向けた状態で耳を塞いでうずくまっていた。

同じ男であるレンは、兄二人が「そういう」関係であることに、未だに微妙な気持ちを持っている。

そしてなにより、お年頃の少年だ。

そういうあけすけな話を、姉妹とするのには激しい抵抗がある。

もちろん兄二人にしても、姉妹とこういうあけすけな話をするのは苦手だ。

しかし振ってくるのだから、仕方がない。

往々にして、姉妹のほうが兄弟より配慮というものに欠ける――それゆえの、覆ることのない家庭内ヒエラルキーだ。

「そもそもどうしてバレンタインに、クリームに塗れる必要がある?!チョコレートを贈れば、十分であろう?!」

大変もっともながくぽの切り返しだったが、妹たちには通じない。

「「見たいから!!」」

とても素直に、己らの欲求を叩きつけた。

――「理屈じゃない」のが、オンナノコの行動原理だ。それゆえに、理屈屋のオトコノコは頻繁に力負けする。

しかしがくぽは引くことなく、叫び返した。

「見せるか!!そんなに愛らしいカイトを、いくら貴殿らといえど、見せるわけがないであろう!」

「じゃあ見せなくてもいいから!」

「ふたりっきりでしてくれていいから!!」

「貴殿らが覗かない保証がどこにある?!」

「保証はないけど、見ないから!!」

「保証しないけど、『リンたち』は見ないから!!」

「ということは、カメラでも仕掛ける気であろうが!!」

「あー…………がくぽー………」

――議論は紛糾していたが、大分、方向性がずれてきた。

カイトは困って、救い主を探してリビングを見回した。

妹たちが無茶なことを言い出すと、ほどほどのところでいつも、助けてくれる相手がいる――はず、なのだが。

「♪」

「…………?」

リビングの定位置である、一人掛けソファにいつものように座った姉――絶対的家長にして調停者であるメイコの耳には、紛糾するきょうだいの議論がさっぱり届いていないようだった。

にまにまと笑いながら、膝に置いたチョコレートの箱を眺めている。

マスターにでもあげるのを楽しみにしているのかと思ったカイトだが、すぐに違うと自分の考えを否定した。

メイコの膝に置かれた箱は、すでに蓋が開かれている。

つまり、あげるものではなく、貰い物――

日本においては、女性から男性に贈るのが一般的なバレンタインに、女性であるメイコが貰って歓ぶ相手といったら。

「あっ、めーちゃんマスターからチョコもらったんだぁ!!」

「ふぇ?!」

「ん?」

よほどチョコレートに熱中していたのだろう。カイトの叫んだエウレカに、メイコはぎょっとした顔を上げた。

がくぽのほうも議論を一度中断して、メイコを見る。

周囲の反応に構わず、カイトはぺたぺたと床を這って、メイコの前に行った――正直なところ、この議論にすでに飽きていたというのもある。

ソファに座るメイコの膝元に行くと、カイトはにこにことうれしそうに笑いながら覗きこんだ。

「ふんふん…へえ、『大吟醸チョコ』?!お酒チョコなんだぁ。しかも日本酒なんて、マスター、わかってるね!」

「ん、んなっ、ぅ、ぅぁあっ」

「ふひゃっよかったね、めーちゃん!」

「ぅ、ぅうううっ、ぁうぁうぁうっ!!」

カイトは純粋に祝福しているのだが、されているほうが問題だった。

赤くしたり青くしたりと忙しなく顔色を変え、メイコは意味不明な呻き声を漏らす。

がくぽはそっと眉をひそめ、カイトとメイコを見比べた。

妹たちも呆れる「どツンデレ」が、メイコだ。いくら本当のことで、それがどんなにかうれしいことだったとしても――いや、本当のことで、うれしければうれしいだけ。

「ぅうううっ、ぅるひゃいわよっ、かいちょっうらまやしーにゃら、あんたもいっこたべなひゃいっっ!!」

「んぐっ?!!」

どちらのほうが恥ずかしいかわからないほどに噛みまくって叫び、メイコは箱から取り出した一粒をカイトの口に突っ込んだ。

抵抗する間もなかったカイトは、素直にお酒チョコを口の中に受け入れる。

「ひぃいっっ?!!」

「ぁわわわっ!!」

「?」

悲鳴を上げたのが、なぜかひどくおとなしくしていた妹たちだった。

いや、大人しくしていた理由は明白だ。彼女たちは「かしこい妹」だった。

マスターからチョコを貰った姉をからかえば、結果はわかっている。

惨敗だ。

だから、触れないように――

しかし堪えきれずに結局、ミクとリンは悲鳴を上げた。別に、自分たちにはなにもされていないのにだ。

きょとんとして見たがくぽを見ることなく、手を取り合ってお互いに縋った妹たちは、激しい非難の目を姉に向けた。

「めーちゃんっっ!!なんてことしてくれてんのっ!!」

「どツンデレでも、やっていいことと悪いことがあるんだよーっ!!」

「だれがどツンデレよ?!」

震え上がった妹たちからの非難に叫び返し、メイコは顔を真っ赤にしたまま、ふんっと鼻を鳴らしてそっぽを向いた。

「なによ、バレンタインよ?!あたしだって女なんだし、カイトは男なんだし、きょうだいでもチョコレートを上げたっておかしいことないでしょ!」

言っていることは合っている。

合っているが、妹たちが問題にしたいのは、そこではなかった。

カイトに食べさせたのが――

「そうだよねえ。おかしいことなんてないよねえ、メイコ…?」

「へ?」

突っ込まれた以上はチョコレートを噛み砕いて飲みこんだカイトが、そこでにっこりと笑って口を挟んだ。

が。

ぎょっとして見たメイコに、カイトはにっこりと笑っている。

いつもと同じ――

「じゃない?!だれこれ?!!」

震撼して叫んだメイコに構わず、カイトは楽しそうに腰を浮かせる。メイコに身を寄せると、その顎を撫でた。

「ひぅっ?!」

「最近は義理だけでなくて、友チョコも一般的だもん。メイコから俺にチョコくれたって、おかしいことなんてないじゃん妹たちは、なにを騒いでいるんだろうねえ…?」

「……………カイトっと?」

楽しそうに笑って言うカイトは、がくぽからは背中しか見えない。

なにかしらの異変を感じるものの、どうとははっきり言えないがくぽの背中に、顔色を失くしたミクとリンがしがみついた。

普段から、悪魔と信じて疑う根拠も見出せない妹たちだ。

それがいったい、なにに怯えて――

「ちょ………っ、カイト?!あんた、まさか酔っ払ってるの?!」

まさかだ。

たかだか小さなチョコレート、その一粒に入っていた程度の酒で――

しかしメイコの引きつった叫びに、カイトはちょこりと首を傾げ、ぴ、と人差し指を頬に当てた。

「あったりぃシラフだと思ったら、おーまちがいカイト、酔ってまぁあす☆」

「ひぎぃ………っ」

呻いたのは、がくぽの背後に隠れた妹たちだ。

気がつけば、耳を塞いでいたはずのレンはソファの後ろに退避している。

「なんの……」

過剰としか思えないきょうだいの反応に、戸惑ったがくぽが声を上げたところで、カイトがくるんと振り返った。

にこにこ、上機嫌の――

「な………?!」

カイトのはずだ。そこにいるのは。

入れ替える隙もなかったのだ。

だから間違いなく、カイト――の、はず。

「妹たち!」

「ぅひゃははははぃいっっ、おにぃちゃまっ!!」

「り、リンたちいいこにしてるよぉおっ!!ワルイコトなんかなんにもしてないぃいいっっ!!」

にっこにっこ笑って呼ばれて、いつもはおにぃちゃん大好きっ子でべたべたに甘える妹たちは、震え上がって白旗を振った。

構わず、ぺたぺたと床を這って戻ってきたカイトは、引きつってがくぽに縋りつくミクとリンに、ぴ、と手を差し出す。

「君たちも、オンナノコだよねメイコは、俺にチョコくれたよ君たちは、大好きなおにぃちゃんにチョコレートはないの?」

「…………っ」

「…………っっ」

びびびっと毛を逆立てて架空の尻尾を丸めたミクとリンは、がくぽの背中にしがみついたまま、床に手を伸ばした。

置いてあったチョコレート味のホイップクリームを揃って掴むと、びしっと兄へ突き出す。

「「どうぞ!!!」」

古代の専制君主にでも貢物をするように、平伏して渡した。

「こら、それは……」

「がぁくぽ」

「っ」

戸惑って声を上げたがくぽは、すぐに言葉を飲み込んだ。

――滴る色気が、見える。それが、今のカイトだった。

とろりと蕩けて滴り、全身を呪縛して嬲るような、そんな危険で甘い色気が。

姿だけではない。声からすら、耳から全身を冒そうとするような、毒にも似た色気が――

がくぽは、こくりと唾液を飲みこんだ。

噂に聞いたことがある。

カイト属するKAITOシリーズは、酒を飲むと豹変すると。普段のおっとりとした和み系から、――

しかし聞いたときの酒量が、あからさまに誇張された噂そのものだった。捏造と言い換えてもいい。

だから、信じなかった――まさか、ほんの数滴ほどの酒で「酔っ払う」など、いくらなんでも有り得ないと。

甘かった。

自分たちは、人間ではない。人間ならば、その理屈で通っただろうが、ロイドだ。

プログラムにどう「遊び」を組み込まれているか、すべてはそれに因る。有り得ないことなど、ないというのが本当。

おそるおそると顔を向けたがくぽに、カイトは蠱惑的に微笑みかけ、その顎を撫でた。

「おいで、がくぽ。見られたくないんでしょふたりっきりで、たのしーバレンタイン、過ごそうね?」

「……………………はい」

クリームをかざして言われて、「たのしーバレンタイン」の中身の予想はついても、その返事以外はなかった。

自分がしたいからとか、恋人が望んだからというより――「否」と唱えられる隙がないのが、今のカイトだった。

ひっしと抱き合う妹たちと、ソファと一体化したニンジャ弟、そして固まっている姉に見送られ、がくぽは酔っ払いの恋人に、ドナドナとリビングから連れ出された。