「…………ばかなことやってるわね」

雑誌に目を落としたまま、メイコはぼそっとつぶやいた。

彼女はいつもの通り、リビングの定位置である一人掛けソファに座っている。

そう、リビングに。

「え私?」

その足元に座って床に譜面を広げ、ペンを片手に唸っていたマスターが顔を上げた。

メイコは肩を竦め、顎をしゃくる。

「あんたのロイドで、あたしの弟たちの話よ」

「え?」

仕事中の癖で、きゅむっと眉をひそめたマスターは示されるままに、『弟たち』がいる三人掛けソファを見た。

概略すると、きゃっきゃうふふ、だ。

「ああ。………まあ、いつものことじゃないかと」

「あたしもあんたもいるのよ」

「いつものことかと」

「…………」

多少、仕事モードから家族モードに切り替わったマスターは、あくまでもしらっとして言う。

メイコのほうが眉をひそめ、他人――というか、『マスター』の存在も気にせず、いちゃいちゃべたべたしている弟たちを見た。

それから、また譜面に目を戻してしまったマスターを。

「…………………耳、か」

いつもはなんだかんだと言って、上の弟を押せ押せきゃあきゃあ言わせている下の弟が、今日は珍しくも死に体だ。

それというのもこれというのも、上の弟が攻めている場所が、耳だから。

上の弟も耳は弱いようだが、下の弟ももれなく、耳は弱点らしい。

きゃあきゃあ言わせているほうすら、きゃあきゃあ言いそうになる弱点が、=耳。

「…………」

メイコは膝に置いていた雑誌を閉じ、ソファの脇に置いた。

可能性がないことは、ない。

まあ、一か八か、試してみる価値はあるだろう。

ひょんと身を屈めると、メイコはぷっくりつやんとしたくちびるを開いた。

「ぁー、んっ」

「ひぃぁあっむぐぐっ?!!」

「…………っっっ」

床に座って譜面とにらめっこしているマスターの耳を、ちょっとぱっくんこしてやった途端の、あられもない悲鳴。

メイコは慌てて、マスターの口を塞いだ。

三人掛けソファの弟たちを窺うが、彼らは彼らの愛人に夢中だ。こちらの様子を気にすることはない。

それもどうだと思いつつ、メイコは口を塞いだままのマスターを睨みつけた。

「ちょっとどういう声を上げてるのよ!」

「え、ちょ、待って、これ今の、私が責められるところですかっ?!!」

――本気で動揺していることが、知れる。

マスターのデフォルトはあろうことか、ですます調しゃべりだ。

それを、『かわいい』メイコのたっての頼みによって、彼女に対してだけ、口調をフランクに崩している。

しかしフランクなしゃべり方に馴染みがないため、仕事モードで余裕がないときや、ひどく動揺したり慌てたりしたときには、メイコに対してもですます調に戻る。

冷静に状態を観察しつつ、メイコはマスターの口から手を離した。

「………つまり、あんた、耳が弱いのね」

「え、………いや、なんというか。大体のひとが、耳は弱点じゃないかと。私に限らず」

「弱点なのね、あんた」

静かにくり返したメイコに、マスターはじりじりと後ろへにじった。メイコかわいいかわいいメイコと、普段は押せ押せしているのがマスターだ。逃げることなど、ない。

微妙に焦っているらしく、後ろへにじる足が頻繁に空を掻く。

「えっと、なんですか、メイコさん私今、ここ最近になく非常に危機感っ。なにかがピンチの予感なのですけれどもっ!」

「くっふふぅっ!!!」

「ひぃっ、かわいいっっ!!!」

おろおろとするマスターに、メイコは怪しい笑い声を上げた。鬨の声にも似ている。

総毛立って、マスターは完全に固まった。

なにかというと、メイコのほうがぎゃふんと言わされ、振り回されている関係だ。

なにをやればこいつはヘコむのかと、抱く愛情とは別のところで日々、探り続けているメイコなのだ。

この機会を、逃すはずもなかった。

メイコは素早くソファから下りると、へっぴり腰で逃げるマスターへ這い寄る。躊躇いもなく伸し掛かると、ご機嫌極まりない笑顔のまま、がっしと肩を掴んだ。

「弱点なのねっ!!」

「ええああええとっ、饅頭怖い的な意味で弱点ですけど、め、メイコさ、ひっ、ぃっ、………っっ!!」

わたわたと力なくもがくマスターに、メイコはにっこりん笑顔を近づけた。

いつもいつも、ナナメ方向の笑いを浮かべていることの多いメイコだ。こうまで、まっすぐ上機嫌な笑顔を浮かべることは、滅多にない。

正直、かわいい。

かわいくて、怖い。

「ぁーっんっ」

「ひぎ………………っっっ!!」

案の定、メイコはぱっくんこと、マスターの耳に咬みつく。

「ん、んん………っ、ふ、ん、んちゅっ、ちゅっ…………」

「っ、っっ、っ!!」

マスターは自分で自分の口を押さえ、じたじたもがく。

メイコとの体格差はそれほどないのだが、人間とロイドだ。基本の膂力が違う。

逃げることも出来ないまま、マスターはご機嫌メイコに耳を嬲られ尽くした。