「まあ、なんというか………前提条件の問題ではありますね」

下の子供たちの様子を眺めていたマスターが、猪口を揺らしながらつぶやいた。

「前提条件?」

いつものように一人掛けソファに座らず、床にぺちゃんと腰を落としてマスターに並んでいるメイコは、その言葉に首を傾げた。

ヴァー・ジェンダ

「ええ、そう。前提条件」

頷いて、マスターは猪口を置いた。つまみの並んだローテーブルから、あたりめをひとつ取って示す。

「『世界にふたりきりになる』、その前提条件。ある朝突然、目が覚めたらふたりきりだった――これはすべてにおいて、事態が不明確よ。なにが起こったのか明らかにしないことには、世界そのものに対する不安が大きい。また、いずれは世界にだれかが戻ってくるかもしれない可能性がある。そうなると、いずれだれかがいる可能性と、戻ってくる可能性の双方から、そうそう羽目は外せない。もしくはさっき、がくぽさんやカイトさんが答えたように、親しいひとの安否を確かめるために動かざるを得ない」

「――ああ………」

丁寧に説明されて、メイコは軽く上目遣いとなって考えてから、頷いた。

瞬間的には納得がいかなかったがくぽの答えだったが、そういう前提条件を踏まえると、理解できる。

いみじくも言っていたように、ミクの問い方が悪いのだ。いや、悪いわけではないが、足らなかった。

レンはそこまで深く考えないから求めるように答えたが、もう少し思慮深いがくぽなどは――

「そうね。その条件なら確かに、あたしもおんなじことするわ」

「まず私を探してくれるのね、メイコさん!」

「――だれをいちばんに探すかは、そのときの条件次第だけどね!」

真っ赤になってぷいと横を向き、つれなく吐き捨てたメイコにも、マスターは機嫌よく笑っている。

テーブルからふたつ目のあたりめを取ると、ひとつめと並べてぶらぶらと振った。

「望む答えが欲しいなら、条件を変える、もしくは整える必要があるのよ。どうして世界にふたりきりなのか他人が戻ってくる、存在する余地はないのか――仮定であってもすべてをクリアにし、納得のいく形にすれば、まあ……」

並べて持ったあたりめのひとつにかぶりつき、マスターは残ったあたりめをがくぽへと振った。

先まではメイコとマスターの晩酌に付き合っていたがくぽだが、今はカイトを膝に抱いて、テレビへと体を向けている。

ただしカイトは、テレビを観ていない。

自分でぎゅうっと耳を塞いだうえで、がくぽの羽織に囲われて抱きしめられ、さらにその胸に顔を押しつけて小さくなり、うさぎちゃんよろしくぷるぷるしている。

映画は、アクション大作のように広告されたが実際はホラーだったという、当時の観客を大いに戸惑わせたものだ。

そしてカイトは、たとえ明るく朗らかなファミリーホラーであっても受け付けない、究極の怖がりだった。

怖がりなのだが、観ると主張する。実際は観られない。

こうして庇われつつ、たまに、勇気ではないなにかを振り絞っては画面に顔を向ける。

そのたびに悲鳴を上げて、一瞬でぷるぷるさんに戻る――というのを、映画が終わるまでずっとくり返す。

「がくぽさん条件を変えましょう」

「なんだ?!」

膝の上のカイトをあやすことに懸命で、さっぱり話を聞いていなかったがくぽは、マスターの突然の指定にぎょっと目を見張った。

がくぽの警戒には構うことなく、マスターは口の中のあたりめを飲みこむ。手に持っていたあたりめを、指示棒よろしく、ぴ、と立てた。

「『がくぽさんとカイトさんは、世界にふたりきりで取り残されてしまいました。しかしその内実は明らかで理由がはっきりしていて、ふたりとも納得済みです。もはや今後、家族と会うこともありませんが、それ以外の他人と袖擦り合うこともありません。その状態でもライフラインは生きていますので、暮らすことに不自由は生じません。さまざまなメンテナンスを受けることも可能ですので、稼働限界まで心置きなく生きることができます』。→はい、どうしますか?」

「は?」

前提条件を上げながら、マスターはその一その二と指を立てて数える代わりに、テーブルからあたりめを拾って立てていく。

結局手には、最初のものと合わせて五本のあたりめが立った。

そうやって懇切丁寧に説明されたものの、がくぽは瞬間的には訳が分からないと顔をしかめる。

いくらなんでもそんな、あまりにご都合主義な――

しかし特に、悩みこむわけでもない。所詮お遊びで、仮定の話に過ぎないからだ。

がくぽは胸に埋まるカイトの頭に顎を乗せると、宙を睨んだ。恋人を抱く腕に、わずかに力が込められる。

「――ならば、生きられるぎりぎりまで、カイトとふたりで暮らすだろう。いくら理由が明確でも、寂しいと言うことはあろうが………その寂しさも埋まるほどに、俺がカイトを愛そう」

「はい勝訴」

「はいはい」

あたりめを放りだして猪口を掲げたマスターに、メイコは呆れたように頷いて、自分の猪口をかちりと合わせてやった。

それでも、くいっと中身を空けてから、べっと舌を出す。

「でも、そこまで条件を絞らなきゃいけないんじゃ、ロマンもへったくれもないわ。どうせ仮定の話なのに」

つまらないと腐すメイコに、マスターはあっさりと肩を竦めた。

「まあ、そこの受け取り方はひとそれぞれね。どうせお遊びとはいえ、世の中のお遊びの大半に、厳密なルールが存在することも確かよ。ポーカーしかり、ルーレットしかり。たかがお遊び、されどお遊び、ね」

「はいはい」

お遊びはお遊びでも、喩えで出されたものはすべて、賭け事でよく使われるものだ。

うんざりしたように天を仰いでから、メイコは顔は上に向けたまま、視線だけマスターに流した。

「で、あんたはどうするの?」

「………私どちらの条件で?」

動じることもなく微笑んだマスターに問い返され、メイコは顔を戻すと肩を竦めた。

「参考までに、どっちも聞きたいわ。条件が変わることであんたの対処がどう変わるのか、興味があるもの」

「愛ね、メイコさん。私のことをより深く知りたいとい」

「それで?」

放っておくといつまでも本題に入らないので、メイコは強引に話をぶった切って促す。

マスターは猪口を口に当てると、ほんのりと笑った。

「初めの話なら、まず、メイコさんを探すわ」

「はいはい」

わかっていた答えだがひどく安堵して、メイコは自分も猪口に口を付けた。

マスターは猪口をテーブルに置くと、そこに頬杖をつく。くちびるが、不可思議な笑みに歪んだ。

「メイコさんが見つかったあとは、どっちでもおんなじね。どうしようとも」

「……そうなの?」

どういうことだと、猪口を口から離して見つめたメイコに、マスターは瞳を細めた。

「ええ。それからあとはどう条件を変えても、あんまり変わらないわ。→『私は嘘を考える』」

「………ウソ?」

訝しげになったメイコにも、マスターのくちびるは笑んだままだ。臆することもなくまっすぐにメイコを見返して、頷いた。

「嘘を考えて、嘘を吐き続けるわ。状況が変われば変わったものに合わせて、ずっとずっと。生涯嘘を吐き続ける。あなたに、メイコさん」

「………」

言葉もなく見つめるメイコにきっぱりと言い切って、マスターは眠そうに瞼を下ろした。頬杖をついていた体が、テーブルへと凭れかかる。

「そんな歪ツな世界でも、あなたがしあわせで、疑問もなく笑っているように。家族がいないことも、世界にふたりきりであることも、なにもかも――私は全力で嘘を考えて、吐き続けるの。だれよりも愛しているあなたに、だれよりも大事なメイコさんに――私は生涯、嘘を吐き続けるのよ」

瞼は落ちても、くちびるは笑んでいる。

そのまま、マスターはもごもごとくちびるを動かし続けた。

「――嘘に嘘を重ねて、もはやなにが真実か、どれが真実で嘘か。自分でもわからなくなって、嘘が真実になって………それでも、私は嘘を吐くの。いつまでもいつまでも、あなたに嘘を………」

つぶやきは後ろに行けばいくほど小さく消えていき、それでもメイコの耳には、最後までひどくはっきりと聞こえた。

「嘘の上に立つ偽りのしあわせと、心からの愛をあなたに上げるわ、メイコさん」