透け感が涼しげなサテンに、ざっくり編んだニット。

ぴたっと回しつける保冷剤入りのタイプに、それからそれから――

こんなにもいっぱい、夏物のストールは出回っているというのに。

「どおっしても、俺がストールするの、ダメなのぉ?!」

カタログを片手に、カイトは情けなく叫んだ。

モイライの宣託

夏の暑い最中にも、クールビズ真っ向逆行のかっちりスーツ。寒さ凍える冬にも、もろ肌出しのキャミソールワンピース。

衣装の季節感のなさが、たびたび問題視される芸能業界に身を置くカイトたちだが、彼ら自身はそれなりに衣替えをしている。

彼らが率先して衣替えをすることが、すなわち個人所有で芸能活動にまでは至っていないボーカロイド――一般家庭で、ごく普通の暮らしを送っている彼らの衣替えによる、新作衣装の販促となるからだ。

各地で梅雨明け宣言が相次ぎ、列島が今年も酷暑の夏へと突入する中、カイトたちもまた、夏物衣装へと衣替えを果たした――が。

正直なところ、この家で大きく変化するのは、カイトとがくぽだけだ。

姉妹たちは常から夏向きの薄着で、末の弟も同じく夏向き。

冬向きの恰好で、夏場になると肩身が狭いのは、長袖に首回りまで覆っているカイトとがくぽの二人。

初年だけは、勝手が掴めなかったマスターによって衣替えを見送られたがくぽだったが、翌年からは、首から全身を覆うボディスーツを脱がされ、羽織袴も生地を薄手のものに替えることで、決着した。

対してカイトはというと、こちらはデフォルトの服を夏バージョンアレンジ、袖なしコートにしたものが出回っている。

いつもは閉じている首回りも、開いた立て襟で肌がすっきり曝け出され、見た目にも涼しい。

そのうえで、トレードマークであるマフラー。

「だってほら、今年だってストールの新作、五本も出てるのにっ!!基本の青だけじゃなくて、カラーバリエも豊富でっ!」

リビングに決然と立ったカイトは、向かい合って立つ三姉妹――メイコ、ミク、リンに、今夏のロイド新作ファッションカタログを突きつけて、主張する。

対する姉妹のお答えは、無情なものだった。

「「「きゃっかっ!!」」」

「ひぅんっ!」

声を揃えて、言い切ってくださった。

瞬間的に怯んだカイトだったが、すぐにまた、姉妹へと身を乗り出す。彼女たちの威圧に負けぬよう、ぎゅううっとカタログを握りしめた。

「に、人間だって人間だって、夏場にストール巻くじゃんっ今や夏のストールは、ファッションとして当たり前だよ?!」

至極当然、当たり前のことを叫んだカイトだったが、姉妹たちが小揺るぎとてすることはなかった。

声を揃えて、ひとこと、叫ぶ。

「「「きゃっっっかっ!!!」」」

取りつく島もないとは、このことだ。

「ひ、ひぅうんっ、ひぐひぐっ」

縋る縁も見いだせずに手詰まりとなったカイトは、情けなくべそを掻いた。

衣替えを済ませたカイトだが、彼にはマフラーならぬストールの着用が認められなかった。

マスターの意向ではない。

一見、厳重に体を覆ってしまって暑苦しい見た目のロイドだが、その専用の服には、機械部品から発される熱を緩和するための冷却材が仕込まれている。

それゆえに、着ていると暑いのではなく、脱ぐと暑い。

だが、見た目もまた、暑い。

――という、さまざまよんどころない事情によって、袖なし首すっきりの夏物衣装に衣替えしてもらうわけだが、もちろん、マフラーにもストールにも、冷却材が仕込まれている。

マスターはロイドを引き受けると決めたときに、そういったロイドの発熱と冷却効果についても一通り、勉強した。

なので彼女としては、カイトがストールをしていることも、がくぽがボディスーツを着ていることも、否やはない。

どちらかというと、着ていてほしい。

年々ひどくなる夏場の暑さと、増えていく仕事量を考えれば、冷却効果はある程度、担保しておきたいからだ。

しかし、姉妹が許さない。

彼女たちもロイドなのだし、諸々の事情はわかっている。

わかっているが、この酷暑の季節、見た目が暑いのは悪だ。

そう言い切る。

そしていくら涼しげな素材に変えたところで、カイトの首回りを覆うストールもまた、見た目が暑苦しいから、絶対に赦さない、と。

他家のカイトは、他家のご教育方針に従っているから、仕方がない。

だが同じく、うちのカイトにはうちの教育方針に従っていただきます、と――『教育者』たるマスターではなく、姉妹たちがそう、強硬に主張して、今年もまた。

「ふぁあんっ、がぁくぽぉおお~っ」

「あー………よしよし………」

カタログ片手にしての、メイコ、ミク、リンの三姉妹との一戦に敗れたカイトは、泣きべそを掻きながらがくぽにしがみつく。

三人掛けソファに座って眺めていたがくぽは、ぴいぴいと泣く恋人を抱き締め、軽く天を仰いだ。

本来ならばがくぽもカイトに味方し、隣に立って姉妹と闘うべきだろう。

姉妹三人と。

――考えるだけで、体が反射的に後ろを向きそうになる。

カイトを守るためなら、どんな悪漢とも闘う覚悟のがくぽだが、姉妹が相手なら話は別だ。

一目散に逃げたい。カイトを抱えて。

がくぽにしても、夏場の恰好には一言申したい。

裸のようだ。

嫌な言い方だが、それがいちばんしっくりくる。

羽織袴は着ているが、体をぴったり覆うスーツを着ていないだけで、まるで裸ででもいるようなのだ。望みもしないのに、露出狂の変質者気分。

思わず頻繁に、きちんと服を着ているかどうか確認してしまって、気疲れが洒落にならない。

もちろん姉妹たちが、聞く耳を持つわけがない――もし裸でうろついてたら、ハサミ持って来てお目汚しするなって言ってあげるから大丈夫だよと、非常にやさしく慰められた。

そういう姉妹と闘うことを考えれば――

「んっ、ぇっ、えっ………ぐすんっ」

「カイト………諦めが肝心なこともあるゆえ、な………?」

「ぅぇえええ、やらぁああ………っ」

「カイト………」

ぎゅうぎゅうとがくぽにしがみつき、カイトは子供のように愚図る。

夏場の衣替え時には、いつでもなにかしら愚図るカイトだが、今年は例年になく激しい。

常ならばすでに諦めて、暑さに朦朧モードに入っているはずだ。

なのに未だに諦められないと、足掻いている。

「往生際悪いわよ、カイトあんたも男なら、潔くとっとと諦めなさい!」

「ボクたち、たとえおにぃちゃんがダッツをお裾分けしてくれても、こればっかりは譲らないんだから!」

「たとえ暑くても、夏は薄着が正義なのっリンたちがこう言うの、おにぃちゃんのためでもあるんだからね!」

「ひぁああん~、ぁあくぽぉお………っ」

「…………ほんっとーに、――すまん…………」

容赦のない姉妹の追撃に、カイトはがくぽの膝の上でびぃびぃと泣く。

がくぽにしても泣いているカイトは可哀想だし、姉妹たちには、そう目くじら立てるな小姑、とでも言ってやりたい。

が、無理だ。

こわい。

言ったあとのことを考えると、怖すぎて咽喉が閊える。

悪漢やら暴漢やらとは、別種にして絶対の恐ろしさを備えて君臨するのが、家庭内における姉妹というものだ。

いくら自分が情けなくても、がくぽにはカイトの譲歩を促すしか、策がない。

「………カイト。その………夏場は俺も、首回りに痕など残さぬよう、気を遣うし、な……あまり、こう、じろじろと見ぬようにも、するし………」

微妙にアレな方向で説得に入ったがくぽに、カイトはさらにきつく、ぎゅううっとしがみついた。ぐりぐりと、痛いほどに肩に頭を擦りつけてくる。

「カイト?」

「ちがぅもん………っちがうんだもん………っ!!そぉじゃないもん………っ!」

「違う?」

訝しい表情になったがくぽに、カイトはぐすんと洟を啜る。

やわらかに後頭部を撫でてくれるがくぽを、擦りついたまま上目で見た。珍しくも、恨めしそうだ。

「………首、ずっと出しっぱなしだったら………………くびゎ、できなぃ…………」

「………っ」

ようやくがくぽに聞こえるほどの声で、カイトはささやく。

その中身に、がくぽは思わず、自分の口を自分で塞いだ。

失念していた。

がくぽが今年のカイトの誕生日に贈ったのは、『首輪』だ。正確には首輪を模した、チョーカーだが。

ちょっとした意趣返しも込めてはいたが、そこにはカイトを自分に繋ぐ、離さないという、がくぽなりの愛の宣誓も込められていた。

その宣誓の一環で、『首輪』に吊るしたワンポイントが、指輪。

がくぽのカイトへの約束を、確かな形として残し与えた、指輪が――

チョーカーだが、首輪だ。

しかも指輪付き。

あまりおおっぴらには、していられない。

だからカイトは、首回りの隠れる服装でいられるときだけ、こっそりと身に着けて、お守りのように持ち歩いていた。

デフォルト服は、首回りがちょうどよく隠れる。そのうえにマフラーをすれば万全で、カイトだけのないしょのお守りが、常に傍にあった。

しかし夏服は、首回りがすっきり開いている。

ストールにしたところで、透け感があったりなんだりで隠れるかというと微妙だが、着け方次第だ。

ないよりは、目立たなくすることも、できるはず。どうしてもという、危急の際にだけでも。

「………そうか」

「ぅん」

「そうか……………」

「ぅん………」

夏服の間中、『首輪』ができないのは、嫌だと。

カイトはそこで、抵抗していたのだ。

理由がわかったがくぽは、未だにぐすんぐすんと洟を啜りながら胸に懐くカイトの後頭部を撫で、軽く天を仰いだ。

迂闊だった。

そこまで考えることなく、贈ってしまった。

指輪のサイズのこともある。チョーカーから外して、指につけておけばいいという話でもない。そんなことをしたら、かえって目立ってしまう指に合わせた、サイズなのだ。

こうまでして大切にしてくれる、その相手に。

夏の間くらい、していなくても気にしないからと言うのは、きっと違う。

情がない。

そうとなれば、がくぽが取るべき道は、ひとつ。

「………仕方ない」

がくぽは殊更にきつくカイトを抱き締めると、体を起こした。

説得によって第2戦が回避されるかどうか、冷えきった瞳で観察していた姉妹たちと厳しく見合う。

逃げたくても心がすでに逃げていても、男ならやらなければいけないときというものが、ある。

がくぽはカイトを抱く腕に力をこめ、その存在感に縋って、姉妹たちとのイクサに起った。