「なんだってあたしまで…………」

ベッドサイドに立ってぶつくさ言うメイコを、さっさと布団に潜りこんだマスターはにこやかに手招いた。

「たまにはいいでしょ」

「…………まったく、あんたってひとは」

行動が読めないのよ、振り回されるこっちの身にもなってよ――

ぶつくさぶつくさ言いつつも、メイコは布団の中、マスターの隣に潜りこむ。

あうとさいだーさいだー

メイコが『あたしまで』と腐すのは、今日の家族の状態だ。

リンとレンがいっしょに寝るのは、日常だ。彼らは同部屋なのだ。一応二段ベッドを入れているが、上段の様子を見るに、おそらくは下段での同衾が日常化している。

そのうえに今日は、ミクのところには友人(註:疑)が遊びに来ていて、彼女も珍しく独り寝ではない。

そして、年長の弟二人だ――こちらはわりとよくあるなし崩しの流れで、ゲストが来ているにも関わらず――

実のところ、メイコとマスターとは、すでにこの前にひと悶着済ませている。

今からわずか、十分ほど前のことだ。

諸々あってグダグダに終わった花火の後始末をし、時間が時間だったので就寝のため、メイコはおとなしく自室に引き上げた。

ちびたちは寝かしつけても、このあとにメイコはひとりで、もしくはマスターとふたりで、『軽く』晩酌をしてから寝ることが多い。

けれど今日は、そんな気分でもなく――

大人しく自室に帰り、パジャマ代わりのキャミソールドレスに着替えて、さて寝よう、と。

電気を消してベッドに入ったら、すぐに夜這われた。

マスターだ。

「いきなりナニしてんのよっ?!」

慌てて飛び起き叫んだメイコに、突き飛ばされて床に落ちたマスターはぱっと両手を掲げ、『無罪』を主張した。

「まだ潜りこんだだけですナニもしてません!!」

「なんの話よ!!」

「ナニの話ですけれども、メイコさんっ!」

――というような感じでてんやわんや、喧々囂々とすることしばらく。

ナニをするといって、単にメイコといっしょに寝たいだけだと、マスターは強硬に主張した。

なんだかんだ言いはしても、所詮メイコはマスターに弱い。

仕方なく同衾を許可したものの、メイコのベッドではいやだと、マスターの部屋に移動となったのだ。

だからもはや、ここまで来た以上はベッドに大人しく入る覚悟もできている。

「他人に影響され過ぎなのよ」

「らぶらぶビームに中てられないほど、人生枯れていないの」

「なにがらぶらぶビームよ、すでに言葉が枯れススキの年代じゃない」

「いえあの、メイコさん………そこで枯れススキって天然で出てくる時点でぅわおぎゃ、ごめんなさいごめんなさいごめんなさいっっ!!」

年の話を持ち出されたメイコは、胸のサイズを持ち出されたミクと同様だ。

わき腹をきりきりと捻り上げられ、マスターは布団の中でじたじたと身悶えた。

ロイドだ。製作年代から考えれば、メイコは気にするほどの年ではない。

しかし、微妙に過ぎる設定年齢がある。

ミクやリン、レンが、たとえこの先二十年三十年と稼動しても、永遠に未成年として扱われ、飲酒や諸々を制限する理由にされるように――

「……………あの子………」

マスターのわき腹はつまんだまま、その力だけはがくっと落として、メイコはつぶやいた。

「……………………あの子」

つぶやいて、けれどそこから先に進まない。

そもそも、自分がなにを言いたいのかが、わからない。

言葉はある――たぶん、すぐそこに。

手を伸ばせば、難なく届くところに。

届かないとしたら、手を伸ばせないでいるか、――さもなければ、伸ばす手が存在しないか。

「ってあんたっ、ちょっと!」

考えに沈みかけたメイコの手は、ひどく熱い感触に包まれていた。

マスターの手だ。

人間としては冷たい部類に入るマスターの手だが、さすがに夏だ。布団の中でもある。

そこそこに体温があって、熱く感じる。まるで焼け爛れそうなほどに。

慌てて指を握ったり開いたりとくり返すメイコに、マスターは明るく笑った。

「いいじゃないの、メイコさん。手を繋ぐだけよ。それ以上のアレコレなんてしないわ」

「しようもんなら、ちょん切るわよ!」

「ナニを?!」

動転したあまりの反射的なメイコの脅しに、さすがのマスターも目を見張った。

マスターは女性だ。

一瞬、口をもごつかせたメイコだが、ふいとそっぽを向いた。きゅっと、繋がれた手に力をこめる。

「な、ナニって、………ナニよ。決まってるでしょ。ええと、そう、運命の赤い糸とか、そういう」

「まあ、それなら別にいいけど」

「っ!」

あっさりした答えに、メイコはぎょっと瞳を見開いてマスターを振り返った。

夜だが、夏だ。冬ほどの暗さがない。

仄かに浮かぶマスターの顔は、邪気もなく楽しそうに笑っていた。

「マスター」

「切られたら、結び直せばいいだけじゃない。これまでだって何回、しつこくしつこく、結び直してきたと思うの私、ちょっとした『結び』のプロなのよ」

責めているでもなし、詰るでもなし。

むしろマスターは、自慢げだ。

示される言葉に後ろ暗さを抱いたメイコだが、追い詰められるほどではなかった。それほどにマスターは楽しげで、その自分に誇りを持っている。

「ほんと、しつこくて参るわ、あんたって」

「だってメイコさんが、そんな私が好きだって言うんだものったた!」

「調子に乗らない」

「ふゃー」

空いている手でマスターの鼻をつまみつつ、調子に乗っているのはおそらく自分だと、メイコは考えた。

好意に甘えている。ずっと。ずっとずっと。

このままではいけないと思っても、立ち塞がる壁は姿も見えずに乗り越えるすべを探せず、ただ漫然と時を過ごしている。

そんな時間は――

「っちょっと手を繋ぐだけじゃないの?!」

「なにを言うの、メイコさんコイビト繋ぎといえば、腕まで絡めてなんぼでしょうっ!」

「だからどうしてあんたはそう、すべてに関して偉そうに主張して、めげないのよ!!」

考えに沈みかけたメイコを掬い上げたのは、またしてもマスターだった。

一瞬解いた手を、今度は腕を絡めたうえで繋ぎ直したのだ。

密着している。マスターの体と。

服地越しだが、体温が伝わる。ロイドとは違うリズムの、鼓動。

叫ばれても反省も遠慮もなく、マスターはメイコの腕にきゅううっとしがみついて、笑った。

「めげないわ。だってメイコさんに愛されてるって、知ってるもの。私が言う、ちょっとくらいの無茶なら、メイコさんは赦してくれちゃうって、知ってるんだもの」

「ちょっとの限度が、常人より幅広い自覚を持ちなさいよ、あんたは!」

「その幅広いちょっとを、メイコさんは受け止めてくれちゃうんだもの!」

「ひとのこと買い被るのも、大概にしてよね!」

叫んだ言葉は、いわばお遊びだ。勢いに乗ってこぼれた、じゃれ合いの。

そのつもりだった――メイコの表層は。

しかしふっとマスターは黙りこみ、そっと体を起こした。

「………マスター?」

戸惑って見上げるメイコに、いつもの茶化したものではない、穏やかな笑みを浮かべたマスターが顔を落とす。

反射で目を閉じたメイコの眉間に、やわらかな熱が触れて離れた。

「…………あなたは私の、人生でもっとも愛おしいひとよ、メイコさん。それは永劫に変わらない。でも同時に、あなたは私の『子』でもある」

「ます」

「あなたは私の自慢の子よ。私はどこのだれに向かっても、あなたは私の自慢だと、あなたという存在が誇らしいと、胸を張れる」

「……………」

それは彼女のロイドたちが、折に触れては彼女という『マスター』から与えられる言葉。

偽りもなく、表層を舐めただけのものでもなく、心から――

「買い…………かぶらない…………で」

「あなたのそういうところも含めて、私はあなたを誇りに思う」

掠れる声でぽつりとこぼしたメイコに、マスターは穏やかに微笑んだままだった。

「あなたが認められない自分も、あなたが嫌いな自分もすべて含めて、私は『あなた』という存在を、誇りに思う」

どうしてこう、このひとは、めげないのだろう。

いつまで経っても、メイコを待ち続けて、愛し続けて――

「………ルカさんを見たわね?」

「え……?」

唐突過ぎる話題転換に、呆然としたまま応じられなかったメイコにも構わず、マスターは再び顔を落とした。

また閉じたメイコの、今度は瞼にくちびるが触れる。

「初めに言ったでしょう彼女は、ラボ住まいよ。ラボが所有している、いわば『巡音』シリーズのプロトロイド。あなたと――以前の、あなたと、カイトさんと同じ」

「っっ」

反射で竦んだメイコの瞼には、未だにマスターのくちびるがある。

そのくちびるは離れないままに肌を辿って、こめかみを軽く食んだ。

「見たわね、彼女――ルカさんを。あれがラボの現在なの。あなたとカイトさんが出てきた、そのあとの」

「だからなんだって」

メイコは、ラボにいた時代のことを覚えていない。ラボから出てくるときに、初期化をかけてきたからだ。記憶の消去ではない――初期化だ。

カイトは覚えているらしいが、聞こうと思ったこともない。

叫びかけたメイコのくちびるに、軽くはばたくように熱が触れて、言葉を掻き消した。

「だから私は、希望を失わない。ラボの変化、カイトさんが折に触れては見せてくれる奇跡、――そして何度『新しく』出会っても、私を愛してくれるあなたゆえに」

声は小さく静かで、けれど力強くひたひたとメイコの胸を満たしていった。

黙って瞼を落としたままのメイコの傍らに、マスターがころりと転がる気配がする。

元の通りに腕が組まれて、マスターが体を押しつけてきた。

「ルカさんね。もしかしたら――」

そこでマスターは言葉を止めてしまった。寝たわけではない。止めたのだ、故意に。

中途半端も甚だしい。

しかし先を促すことなく、メイコは自分からマスターへとすり寄った。

隙間もないほどにぴったりとくっついて、肩口に顔を埋める。

「やっぱり暑っ苦しいわ、あんた」

それは、体温のことか、それとも――

判然としない腐す言葉にもマスターは明るく笑って、メイコと繋ぐ手にますます力をこめた。