売りの逆襲

ひとつ屋根の下、どれだけ長く共に暮らそうとも、妹の考えることなどさっぱりわからない。

「つまり、どういうことだ」

ある意味で事象ははっきりしていたが、がくぽは敢えて問うた。事実がここにあることと、それに対して理解が及ぶこととは、まったく別だからだ。

――という学習をがくぽに入念に刷りこんだ(*註:意図してのことではない)妹、ミクは、下の兄からの問いに威風堂々、がっと拳を握り、力強く答えた。

「カゴを持ったオトコって、もしかしてカワイイ?!との疑惑が生じたので、兄で実証実験中です!」

――さらに追記するなら、事実がここにあることとそれに対して理解が及ぶことはまったく別であるが、加えて、説明を受けてもその意図が判明することが少ないのが、妹というイキモノである。

「意味不明も極まる……っ!」

案の定で、ミクの言葉が一から十――いや、九割五分程度まで理解不能で、がくぽは呻いた。

わずかに理解できたことといえば、要するに、いつも通りなにかを思いついた妹に即行でオモチャとされたのだろうという、その程度のことだ。

なにを思いついた挙句のどういう結論から取ったこの行動なのか、肝心の部分はさっぱりわからない。

つまり、仕事から帰ったミクが即行でリビングに飛びこんで来るや、コイビトといちゃついていたがくぽを捕まえ、立たせ、説明も一切なしにカゴを渡して持たせて悦に入るという――しかもそのカゴの中には、家中から掻き集めたと思しき貰いもののポケットティッシュが、これでもかと入れられていた――、この一連のすべてが。

そして兄も妹を理解出来ないが、妹のほうも兄の情感などさっぱり加味してくれないものだ。

ミクはアタマの堅い兄の様子にふっふんと鼻を鳴らしてさらに悦に入り、これ見よがしに嘲笑った。

「だからさあ、がっくん今日のお仕事帰りに、ボク、街中で見たんだよ。カゴ……籐籠っていうのなんかそういうカゴ持ったオトコ。たぶん、年はがっくんより1歳、2歳若いくらいなんじゃないかな………。で、そのカゴ持ったオトコノコのこと、ボクちょっと、『カワイイ』と思ったんだよちょっとだけど思っちゃったんだよねオトコでカゴ持って花売ってるヤツをかわいいと思うとか、ショックじゃない?!」

まくし立てながら、ミクは己の衝撃度を指折り数え、がくぽに突きつける。

早口であるということ以上に中身に一切まったく理解が及ばないのだが、要するにミクだ。常から己の『トップアイドル』であることに並々ならぬ自信と自負と矜持とを持ち、掲げる少女だ。

他人のことを『かわいい』と思うなど、それも街中ですれ違っただけの素人を『かわいい』と感じるなど、余程のショックなのだろう。

それで、――どうしてがくぽが立たされた挙句に籠を持たされたのかが、やはり理解不能の極致であるのだが。

「花……か」

わりと律儀に渡された籠を持って立ったまま、がくぽは眉をひそめてミクを見た。

彼女の発言は概ね理解不能であるし、理解出来るとも思えないし、したいとも積極的には思わないわけだが、妹ではある。

いくら普段、悪魔認定して恐れ、遠巻きにしようとも、ミクは妹だ。そしてがくぽは兄だ。

彼女の情操教育的なものに、兄として思うことがないわけではない。

「『花売り』の、男を見たのか」

微妙に引っかかった単語を念押しすると、ミクはとてもあっさり頷いた。

「うん。ポケティ配ってた」

「………」

「カゴんなかに、ティッシュいっぱい入っててね。カゴ入りティッシュって、花が入ってるんなら珍しくもないけど、つまりそういうタイプのカゴだったってことなんだけど、ティッシュだよ、ティッシュポケットティッシュ、もさっとカゴに入れて、配ってんの手にいくつも持ってるとかならともかく、カゴ入り花じゃなくてティッシュ物珍しさで思わず、近寄っちゃうじゃん挙句『かわいい?!』とか、アイデンティティの危機に瀕するし!!」

がくぽの心境を一言に表すなら、こうだ。

とてもどうでもいい――

疲労と諦念を急速に積み上げていく兄の様子に気がつくこともなく、興奮したままのミクはがっがと拳を握る。なにかへのファイティングポーズを取りつつ、きっとしてがくぽを見上げた。

「んでさ、思ったわけ。だから、『カゴ持ったら、オトコっていうのはかわいく見えるものなのか?』って。はたまた、たまたまあのオトコノコがかわいかっただけで、全オトコがかわいく見えるわけではないのか?!」

学究の徒然として至極まじめに謳い上げ、ミクはこっくんと頷いた。ぐっと握る拳を、頭上高く誇らかに掲げる。

「というわけで、実証実験はじめました!」

「貴殿は時季外れの冷やし中華も始めれば良い!」

まったく淀みなく結論に辿りつこうがと言わんばかりのミクに叫び返し、がくぽはちらりと背後に視線をやった。

そこには、先までがくぽが最愛の恋人――カイトといちゃついていた、三人掛けのソファがある。

カイトは『妹害』を避けられたため、しかもミクから『ちょっと借りるだけ!』と言われてがくぽと離されたため、未だにちょこなんとソファに座ったままだ。妹から『返却』されるコイビトの『お帰り』を、とてもいい子に待っている。

とはいえ、目の前だ。つむじ風のごとき勢いの兄妹のやり取りを、きょときょっとんと眺めているわけだが。

カイトは低スペックであること以上に、そもそもの基幹性格がもろもろおっとりと出来ている。

思うに、これだけの勢いで進む事態は、もはや追いかけることも端から諦めるレベル。

良くても、断片だけを『たまたま拾えた』程度。

ゆえにカイトは、がくぽよりさらに、今なにが起こっているのか、理解できていないはずだ。

そんなおっとりほやんとしたところも、理解出来ないままにきょときょとしながら兄妹のやり取りを眺めている姿も、すべてがすべて、文句なく愛らしい――

そうだ。

愛らしいのだ。

加えて言うなら、カイトが愛らしい――『かわいい』ということに関して、『兄』にはカライ評価の『妹』も、まったく異論がなかったはずだ。

「そんなことなら、カイトにやらせれば良かったであろうが。文句なく……」

「だからこそ、がっくんなんでしょ!」

ぶつくさとこぼすがくぽの言葉を遮り、ミクはきっぱりと言い放った。

「おにぃちゃんがやったら=カワイイのなんて、ハナっからわかりきってることじゃんそれじゃあ、ぜんっぜん実験になんないし、疑惑はまったく晴れないんだよやる意味ないボクは目の保養だのココロの滋養だのをしたいわけじゃないんだから!」

「ぐぅ」

たとえどんなに悪魔であり、理解不能の意味不明生物であったとしても、今の妹の主張はあまりに正論過ぎた。

ミクがやりたかったのは、『もしかして~なのか?』という、疑惑に対する検証だ。

初めから疑いようもなく、絶対的にそうだと結論の出ている相手でやっても、まったく意味はない。

反論も出来ず、さりとて敗北の言葉を告げるのも忍びない。

とりあえず『ぐう』の音をこぼしたがくぽに、ミクはふっふんと鼻を鳴らし、肩をそびやかした。

「対してがっくんでやれば、間違いないでしょがっくんですら『カワイイ』って思って、うっかりときめいちゃったら、もう間違いなく、オトコってのは花売りカゴを持たせると、カワイく変身しちゃ」

「えっ、ちょっと待って、ミク!」

――ここで、(おそらく)事態に追いつけないまま傍観者と化していたカイトが、ようやく反応した。

湖面のように揺らぐ瞳をさらにゆらゆらと動揺に波立たせ、まん丸くして、『異議あり』を唱える。だけでなく、ソファから飛び降りると、兄妹がやかましくやり合っていた間にまで割りいって来た。

どう考えてもがくぽを背中に庇う位置に立つと、カイトはきょとんとした妹に再度問う。

「どういうこと?!がくぽが……っ!!」

「あー、えと……」

非常にショックを受けた様子の上の兄に、ミクは下の兄に対するときとは違って、すぐさま殊勝な顔を晒した。

怒ったり叱るというより、どうか否定してくれないかと、嘆願がありありとわかる表情のカイトを正視できず、おろおろと視線を泳がせる。

カイトとがくぽは男同士であり、兄弟でもあるが、同時に恋人同士でもある。

俗に言われるような『女役』は兄のカイトであり、弟のがくぽが『男役』だ。

しかし註記するなら『オトコとオンナ』ではなく、『男役』と『女役』――あくまでも男同士だ。互いへの評価のしどころはやはり、男女のカップルとは多少、違う。

が、だからといってまったく共通点がないわけでもない。

前述した通り、がくぽはひたすらにカイトを愛らしいと、可愛いと思っていた。一般的に男性への褒め言葉とされる『かっこいい』に関しては、かなりの条件が揃って、初めて思う。

対して、カイトだ。がくぽにとっての『女役』であり、がくぽを『男役』とするカイトだ。

「ごめんね、おにぃちゃん……おにぃちゃんはやっぱ、いつでもオトコマエで、かっこいいがっくんのほうが、いいよねカワイイがっくんとか……」

「だからそれが、どういうことって!!」

下の兄相手には決してやらない、殊勝で素直な妹ぶりを見せたミクだったが、謝罪しきることは出来なかった。

カイトがいかにも心外だとばかり、叫んだからだ。

「がくぽ、すっごくかわいいでしょ?!」

「っえ………」

「か……」

誤解しようもなく明白に聞こえた。

が。

特に難解とも思えない言葉がさっぱり理解できず、がくぽとミクは揃って固まった。一般に旧型と称され、反応が一拍も二拍も遅れると揶揄される『カイト』に対し、機敏な対応が可能なはずの新型二人が、だ。

そんな二人の反応に、カイトは焦れたように足を踏み鳴らし、律儀に籠を提げたままのがくぽの腕に組みついた。よく見ろとでも言わんばかりにぎゅいぎゅいと引っ張り出し、衝撃からツインテールを逆立てているようにも見えるミクへ、懸命の主張をくり返す。

「確かにカッコイイこともあるけど、がくぽってそもそも、すっごくかわいいよね?!そんなの、それでかわいこぶらせたりしたら、もっとかわいくなるのなんて、アタリマエでしょ?!」

「ああいや、カイ……」

まくし立てられ、しかし早口であること以上に理解できず――否。

あまり深く追及すると自分の矜持的なものが砂塵と崩壊しそうだという危惧から懸命に理解を拒否しつつ、がくぽは小さく声を上げた。

興奮しきったカイトの耳には、届かなかった。

「もー、がくぽがカワイイのなんて、百人いたら百人がわかるもん花なんか売ったりしたら、一分で完売だよ!!」

「いや、カイト!」

力説するカイトに、がくぽは総毛立った。

カイトはわかっていない。

おそらく少女のミクには通じていたがくぽの『懸念』、もとい比喩表現が、カイトには通じていない。いわば、額面通りに受け取っている。

もちろんカイトが額面通りに受け取り、額面通りの意味で発しているなら問題ないといえばないわけだが、しかし『花売り』。

カイトはとてもがくぽのことを褒めてくれていると思うのだが、他意はないとわかってもいるが――

「ぁああぁあ………っ!」

「あー……」

詳しく説明するにも、し難い。

だからとぼかしたり、遠まわしな表現では察せようもない晩生のコイビトに頭を抱えるがくぽを、ミクは改めて、頭からつま先までとっくりと、眺めた。

それから上目になって記憶を漁り、肩を竦める。

「そういやおにぃちゃんって、『初めまして』のときからわりとずっと末期的な、がっくん=かわいい派だった……むしろ『かわいいメインときどきカッコイイ』………」

「ミク?」

「うん。おにぃちゃん」

珍しくも粘り強く、しかも頑固かつ確固と主張するカイトに、ミクはこっくりと頷いた。

律儀にも、がくぽは未だに籠を腕に提げている。

なんだかんだと言いつつ、コイビトだけではなく妹にも甘いのが、この兄だ。ミクの二人いる兄のうちの、下の兄というものだ――

「ボクも、ねがっくんの『お花』は、一分で完売も可能かなと、思わないでもない……妹としてじゃなくて、冷静で客観的な判断っていうものだけど。だから、まあ、なんていうか……がんばれ、おにぃちゃん。とにかくなんていうか、うん。なんかいろいろがんばれ、おにぃちゃん!」

「ミクどのっ!!」

「うんっ、がんばるっって、なにをっ?!」

「カイトっ!!」

「ぇうっ?!」

さすがに絶叫したがくぽと、やはりさっぱり『わかっていない』カイトと――

見比べて、ミクはもう一度、こっくりと頷いた。

今日も有意義な実験であった。