アザレア

「がくぽー起きてる朝でーす、ごはんっ!」

こすこすと、形式ばかりのノックと同時に扉を開いて声をかけたカイトは、わずかに眉をひそめた。部屋が暗い。

障子は閉まったまま、がくぽも布団の中に篭もったままだ。

朝食の時間となったにも関わらず、がくぽが起きて来なかった。カイトやリンレン、もしくはマスターならあることだが、がくぽは珍しい。

それで、カイトが起こしに来たわけだが――

「がくぽ?」

「ああ…」

再度呼びかけると、布団の中からようやく声が返った。

とすとすと布団の際にまで行って覗きこんだカイトを迎えたのは、ひどく戸惑った顔のがくぽだ。

「おっき?」

「あー。……うむ」

「うん?」

今起きたばかりという風情でもなく、『寝惚けて』いるふうでもない。そもそも新型である『がくぽ』のシリーズは『寝惚け』ないが、とにかくそういった感じでもない。

疲れきったあまりに体が動かないというのとも微妙に違うようだが、ただひたすらに、がくぽは困惑した様子で動こうとしない。

そのまま、きょとんとしたカイトと見合うこと、しばらく。

「その……『疲れた』わけでは、ない」

「うん」

「だが…………その、つまり………………布団から、出たく……ない」

ひどく訥々と、がくぽは状況を説明する。言葉に直すと、なおのこと困惑極まって混乱するのだろう。

そもそもがくぽは自制の強い性質だ。『出られない』ならともかく、気の持ちようで『出たくない』なら、圧して出るのが常態だ。

それが、今日は利かない。

どうしても、出られない。

説明するうち、さらに愁眉となって黙ったがくぽに、カイトは屈めていた腰を伸ばした。

にこぱっと、笑う。

「んっ、がくぽそれ、いいアイディアだね!」

「ん?」

いったいどれのことだと、思いきり胡乱な目を向けたがくぽだが、カイトは構わない。

「ちょっと待っててー」

「あ、おい、カイ……」

ひらりと手を振り言い置いて、がくぽの返事も待たず、カイトはとたとたと小走りで部屋を出て行った。

向かった先は、台所だろう。なにを言っているかまでははっきり聞こえないが、なにかを言っているという声だけ響いてくる。

きっと、がくぽがすぐには起きられないようだと、朝食を待つ家族に伝えてくれているのだろうが――

「……っ」

忸怩たる思いを募らせ、がくぽはぐっと奥歯を食いしばった。もそもそと、頭まで布団に潜りこむ。

潜りながらしかし、違うと思う。逆だと。

潜るのではなく、起き上がり、布団から出るべきなのだ。

いつもの疲労困憊モードで、まるで動けなくなったというわけではない。最低限の動きしかしたくないとは思うが、あのときの省エネモードとは、また感覚が違う。

だから、起き上がろうと思えば起き上がれるし、布団から出ようと思いさえすれば――

「おっまたー、がくぽっ!」

――待っていたかといえば、微妙なところだ。だからと待っていなかったのかといえば、それもまた微妙な。

とにもかくにも『ちょっと』という言葉に違うことのない時間で、カイトは当初と変わらない、明るく軽やかな様子で戻って来た。

少なくとも、がくぽが無闇な思考にさらに状態を悪化させるより、ずっと早くだ。

とっとっとと、小走りのまま布団の際に来たカイトは、ぺそんと座った。がくぽが反応するより早く布団の端を掴むや、無遠慮にべろりとめくる。

が、起きられないなら起こしてやると、強硬手段に出たわけではない。

「はいじゃあ、つめてー。つめてつめてー」

「んと、カイ……」

「あ、そだ。上着は脱ごうっ!」

「か……?」

がくぽが事態を理解できないでいるのは、明らかだ。しかしカイトは構う様子もなく、コートだけぽいと脱ぎ捨て、布団の中に入って来た。

布団はシングルであり、がくぽはほぼ真ん中に寝ていたから、カイトを受け入れるスペースなどなきに等しい。

が、これもまた構う様子もなく、カイトはぐいぐいと押しこみ、がくぽを丁寧に端へと追いやってくれた。

布団の中に納まると、戸惑って固まるがくぽに腕を回し、ぎゅっと抱きつく。

「んっへへぇ!」

ろくな反応もできないがくぽを気にすることなく、カイトはうれしそうに笑い、擦りついた。

その顔がひゃっと上がり、薄暗がりにも輝く瞳ががくぽを見る。

「がくぽ、がくぽも。ぎゅーっ」

「あ…」

当然の要求といえば、そうだ。しかし促されてようやく思い至ったがくぽが腕を回すより先に、カイトはちょこりと首を傾げた。

「じゃまぎゅう、いや?」

「否…」

カイトの表情は無邪気で、懸念を抱いているというふうではない。つまり、普段溺愛を注いでくれる恋人の反応の鈍さに、その心変わりを心配するといったような。

だからと、まるで心配していないわけでもない。

諸々、繊細な面がある『がくぽ』のシリーズだ。崩れた精神バランスを取り戻すために、ひとりきりで篭もりたがることもある。

今はひとりがいいのか、ひとりでなくともいいのか――

言ってみればその程度の、単純な疑問だ。

そしてこれで『ひとりがいい』と答えたところで、カイトが気分を害することはないと、がくぽにはよくわかっていた。『わかった、じゃあ、またあとでね』と言って、さらりと布団から出て行くだろう。

ただしそのときにはきっと、額にキスをひとつ、落としていく。

それは祝福であり、情愛の表現だ。

きみなにあれ、愛が尽くことはなしという。

「いや……」

もう一度つぶやいて、がくぽはカイトの体に腕を回した。ぎゅうっと、力をこめる。ぎゅうっと、ぎゅううっと、――

「……………別に、ここのところスキンシップが不足していたとは、思わん」

カイトをきつく抱きしめ、その頭に顔を埋め、がくぽはぼそりとこぼした。こぼしてから、軽く眉をひそめる。

「だからと、飽きるほどにお主と触れ合えた記憶もないが」

「うん」

「あと少し、あともう少しと、常に不足の記憶しかない」

「うん」

「不足しているくらいが丁度いいとは言うがな。たまには満足しきって、納得してお主と離れたい。毎回まいかい、身を引き千切られるような思いをするなぞ、それこそ飽きたと言うのだ」

「んふひゃっ」

「笑いごとではないぞ。戯れ言などでなく、俺は本気だ」

「んっ!」

もそもそぼそぼそとこぼすがくぽに、カイトはひょいと顔を上げた。にこぱっと、笑う。

「がくぽ、だいすきっ!」

告げて、またがくぽの胸元に顔を埋め、ぎゅううっと抱きしめる。

「俺のこと、いっぱいいっぱい好きなの、ありがと、がくぽ」

言いながら、ねこのように擦りつく。がくぽの片手が上がり、カイトの後頭部をやわらかに撫でた。それはねこを愛撫するに似たしぐさだ。

胸の中で、カイトはくふくふと笑う。撫でられたねこが機嫌よく咽喉を鳴らすように、くふくふと笑って、がくぽに擦りつく。

「だぁいすき、がくぽ」

「ああ……」

与えられた言葉を抱きしめ、がくぽは瞼を下ろした。カイトの言葉を聞きながら緩んだ腕に、再び力が入る。きつく、きつく、きつく――

抱きしめ、身に沁み入らせて、がくぽはふいに瞼を開いた。肩が落ち、抱く力が緩む。

どこか呆れた色を宿して閉じたままの障子を眺め、がくぽはため息のようにつぶやいた。

「ことほど左様に、お主がかわいらしいというのに……どうしたってこの部屋は、今となっても障子が開いておらんのだすでに日も高くなろう。明るい中で見るカイトの格別なことといったら、ないというに」

ぶつくさとこぼしながら、布団から体を起こす。じゃれつくようなしぐさを見せるカイトの頭をよしよしと撫でてなだめ、がくぽは立ち上がると、障子を開いて朝日を浴びた。

振り返ろうとして、ふと、無造作に畳へ投げられたコートに気がつく。取り上げて、皺を伸ばすように軽く叩いた。

「カイト」

「んっふひゃっ!」

ほら、とコートを差し出され、布団から起き上がってへちゃりと座りこんでいたカイトは、堪えきれないように吹き出した。

コートを差し出すがくぽへ、カイトは手を伸ばす。朝日の中で眩く輝く顔に、とっておきの笑みが閃いた。

「おっはよ、がくぽっ!!きょぉも一日、いっぱいだいすきっ!」

「ああ、おはよう、カイト」

応えて、がくぽは腰を屈めた。カイトのこめかみに、笑みの形のくちびるをそっと落とす。

「今日も一日、たくさん愛している」