「おにぃちゃんっ♪」

I pray...

リビングのソファに座ってテレビを観ていたカイトの元に、パジャマに着替えたリンがはしゃいだ笑顔でやって来た。

床に敷いたクッションに座っていたがくぽは反射的に時計を見やり、背筋にぞわっと悪寒が走った。

夜の十一時だ。

「あ、もうそんな時間?」

「うん時間じかーんっ」

鈴の転がるような愛らしい声でリンは啼き、時計を見たカイトに手を伸ばす。カイトの手もリンの首に伸び、ご機嫌な顔を引き寄せた。

「おやすみ、リンちゃん」

「んんっ。おやすみなさぁ~いっ」

言葉とともに、カイトのくちびるがリンの額を撫でる。

嬉しそうにキスを受けて、リンもカイトの首に腕を回すと、その頬にちゅっと音を立ててキスを落とした。

「ほらぁ、レンもぉ」

「わぁってるよ」

不承不承な顔をつくりながらも、やはりパジャマに着替えたレンは素直にカイトの前へやって来た。

リンを首にしがみつかせたまま、カイトは空いている手をレンに伸ばす。

「おやすみ、レンくん」

「…ん。オヤスミナサイ」

引き寄せた額に、カイトのキス。

おとなしく受けて、レンはリンがしたのとは反対方向の頬に、少し小さめの音を立ててキスを返す。

「じゃぁね、マスター、みんなぁ。おやすみなさぁい、また明日ぁ。ほら、レン、行こいこ」

「引っ張るなよ、リンっじゃーなっ」

いい年頃だというのに寝る部屋がいっしょの双子は、手を繋いでリビングから出て行った。

無邪気なリンにほんわか笑顔で手を振り返したカイトの前に、パジャマというよりはシュミーズドレスという古風な人形の寝巻きを思わせる姿のミクが立つ。

「おにぃちゃん、おにぃちゃんっ。ボクも寝るっ」

「うん、そうだね」

主張する次女に手を伸ばして引き寄せ、カイトはその頬にキスした。

ちゅ、と軽い音を立てて離れると、今度はカイトの首に手を回したミクがその頬にお返しのキス。

「おやすみなさい、おにぃちゃんっ」

「おやすみ、ミク」

こつん、と額を合わせて笑い合い、ミクはカイトから離れる。カイトが座るのとは別のソファに座って、微笑ましそうにその様子を眺めていたマスターに、びしっと敬礼した。

「じゃあね、マスターおやすみなさーいっ」

「はいです、おやすみなさい、ミクさん」

マスターも笑って、軽い敬礼を返す。

これから寝るとは思えないテンションでミクはリビングから出て行った。

「カイトさん、もう寝ますか?」

「うん。明日仕事だし。…マスターも仕事でしょ夜更かしばっかりだめだよ?」

穏やかに訊ねたマスターに、珍しくもカイトがお説教口調で言う。楽しそうに笑ってそれを受け、マスターは両手を掲げた。

「それが、お土産で純米大吟醸を貰ったんですが…メイコさんが、お相伴させてくれると言うんですよ。だから、もう少し起きています」

「純米大吟醸かあ…んんん。それは仕方ないなあ」

深夜に酒盛りなどすれば、人間であるマスターのお肌は翌日には荒れ荒れで悲劇だ。

そうでなくても不規則な生活で荒れ気味で、決してきれいとは言えないのに。

だがメイコが、よりによって純米大吟醸などという、高価極まりないお酒をお相伴させてくれるというのを断るのも、マスターとして有り得ない。

「じゃ、今のうちにオヤスミナサイしておこう」

「そうしてください」

カイトはソファから立ち上がり、笑うマスターの元へ行く。

身を屈めると、そっと手を添えてマスターの頬にキスを落とした。

「おやすみなさい、マスター」

「はい、おやすみです、カイトさん」

マスターはキスを返すのではなく、頬と頬をくっつける挨拶を返した。

「あら、寝るの、カイト」

「あ、めーちゃん」

一升瓶と猪口ふたつに、あたりめの袋を携えてリビングに入ってきたメイコが、ちょうどその様子を見つけ、声を上げる。その口にはすでにあたりめが咥えられている。

やる気満々だ。

カイトは笑って、ローテーブルに荷物を下ろしたメイコに手を伸ばした。

「おやすみ、めーちゃん」

「はいはい、おやすみ」

頬にキスしたカイトに、メイコはあたりめをくるくると口の中に巻き込んで、キスを返した。

「マスター夜更かしさせちゃだめだよ?」

「わかってるわよ。一口飲ませたら、寝かすわ」

「ええ、一口だけなのぉ?」

心配そうな口調で言ったカイトにメイコが軽く言い返し、マスターが情けない声を上げる。

「なによ、一口あげるだけでも感謝して頂戴」

ふん、と鼻を鳴らしてえらそうなメイコに、マスターは何か言いかけ。

ひょい、と首を傾けた。

「がくぽさん、逃走中~」

「わああ」

「あ、がくぽ」

カイトの意識が逸れている間に、最大限気配を殺してリビングから出ようとしていたがくぽは、その逃走が成功する直前で発見されてしまった。

気が緩みかけていただけに、思わず情けない悲鳴を上げてしまう。

マスターの指摘で気がついたカイトが、扉に張り付くがくぽに無邪気に寄っていった。

「がくぽも寝るんだよね俺も寝るから」

「ああ、ああ、ええと!」

無垢な笑顔で、手が伸べられる。

がくぽは引きつった顔でたじたじと逃走する隙を探し、見つけられる前に頬を撫でられた。

「その、カイト殿!」

「うん」

慣れきった一連の流れで、カイトは強張るがくぽの首を引き寄せる。うまく寄って来ない顔に、自分も爪先立った。

くちびるが、赤い頬に押しつけられる。

「おやすみ、がくぽ。いい夢が見られますように」

「~っ」

やわらかい声に囁かれて、がくぽはずるずると座りこんだ。

みっともないほどに、顔が火照っている。駆動系が大騒ぎで、壊れそうだ。

「慣れないわねえ」

「まあ、そうすぐには。なんといっても、がくぽさんは古式ゆかしいネオサムライですから」

酒宴の準備をしながら笑うメイコから、マスターが庇ってくれる。

しかし言っている内容はおかしい。古式ゆかしいとネオが同居する珍事。

ツッコミを入れたいが、眩暈が激しすぎてがくぽは口が開けない。

がくぽには、挨拶のキスの習慣がインプットされていない。キスはすぐさま直截的な行為に結びつく。

だが、カイトは違う。

彼にとっては、挨拶のキスもハグも親しい仲の当然の習慣で、特別視することではない。

だから当然のように、家族にキスする。

新しく家族となったがくぽが、今までのようにちっちゃかわいい弟妹の形をしていなくて、立派な成人男性だとか、気にしない。

その態度が不遜だろうとなんだろうと、大事な家族に違いはなく、大事な家族なら、隙あらば愛情を伝えるのがカイトなのだ。

「…だいじょうぶ?」

座りこんだがくぽに合わせて膝を折り、元凶であるカイトが首を傾げる。

「…大丈夫だ」

せめてもの矜持で、がくぽはそう言い返す。

「しかし、…どうしても、やらねばならぬのか…」

そうは言っても、腐さずにはおれない。

そのがくぽに、カイトは瞳を瞬かせた。

「がくぽはしなくていーよ出来ないことするの、大変だもの。俺が勝手にやるから」

「…」

話が噛み合っていない。

気遣ってくれるのはわかるのだが、それならそもそも挨拶のキス自体をやめてもらいたいのだ。

いつもいつも朗らかに開かれている瞳が、うっとりと細められて。

穏やかに笑うくちびるが、わずかにつんと尖って。

…そんなふうに近づいてくる顔が、触れるくちびるの温度が。

耳を打つキスの音に、心が。

「カイトさん、だいじょうぶですよ。数をこなせばがくぽさんも慣れます。回数ですよ、回数」

「そっかぁ、なるほどぉ!」

「…っ」

早速酒を含んだマスターが、無責任に請け負う。

振り返ってその言葉を受けたカイトが、ぐ、と拳を握った。

「回数だね、回数」

うんうん、とまじめに頷く。

がくぽは激しく嫌な予感を覚えて、後ずさりした。しかし、元々が扉に背をつけていたのだ。下がりようがない。

引きつるがくぽの顔に、カイトの手が伸びてきた。

「じゃ、早速!」

「うわぁ、やめんか、このお惚け者め!」

情けない悲鳴を上げるものの、がくぽはカイトを跳ね返し切れない。

弱々しく抵抗するがくぽに乗り上げて、カイトはキスの雨を降らせた。

嫌じゃない。

嫌じゃない――のが、いちばんの問題だ。

同じ男性体で、それも成人しているカイトに。

こんなふうにキスされるのが、触れられるのが嫌じゃない。

嫌じゃない、どころか。

「…いい加減にせい!」

身の内に湧き起こる衝動を振り切るように押し返したがくぽに、しかしカイトは無垢な笑顔で抱きついてきた。

「がくぽ、大好き大好きだから、いっぱいキスするんだからね!」

「あああ~…」

抗しきれずに流されるがくぽを肴に、マスターとメイコは生温く笑いながら晩酌を愉しんだ。