色とりどりの色紙。

きれいな短冊形に切られたそれを束で持って来たマスターは、リビングに集まった彼女のロイドたちに、にこにこ笑いながらそれを配った。

さらさら七

「短冊はひとり五枚までですよ」

「「「「五枚?!」」」」

驚いて声を上げたのは、がくぽだけではなかった。ミクとリン、レンも大きな声を上げる。

だが、その意味はがくぽのものとは違っていた。

がくぽは単純に、五個も願いごとをするなど厚かましいと思ったのだが。

「五枚なんてぜんぜん足らないよ、マスター最低でもあと十枚はなきゃ!」

「そうよマスター五枚じゃちっともお願いごと書けないわ!」

「そうだぜマスター五枚なんてケチくさいこと言うなよ!」

年少組は、胸を張って堂々と強欲を主張する。お遊び以上の執念を感じる勢いだ。

身を引くがくぽに対し、実際に迫られているマスターはけたけたと明るく笑っている。

「めーちゃん、めーちゃんはなに書く?」

「酒と博打と煙と女と…」

「ああ、マスターの健康祈願なんだ、五枚全部」

一方の年長組は、謎会話中だ。

カイトの問いに対するメイコの答えも意味不明なら、それで出てきたカイトの結論も意味不明。

マスターは酒と煙草は多少嗜む程度、博打と女に手は出していない。はずだ。

身の置き所もなく、途方に暮れて渡された色鮮やかな短冊を見下ろすがくぽの隣に、おっとりぽややんと笑うカイトが座る。

「がくぽはなにお願いするの?」

「…いや…」

実際、苦渋することに、お願いごとなどなにひとつとして思い浮かばない。

それはなにもがくぽが無欲だとか無神論者のイベント嫌いだとかいう話ではなく、ヘタな願いごとを書くともれなく、姉妹たちによってたかってオモチャにされるという手痛い学習によるものだ。

決して弁が立たないわけではないがくぽだが、年頃の少女二人と、燦然と輝く『家長』の冠を被ったお姉さまの舌鋒にはまったく歯が立たない。

「…カイト殿はなにを願うつもりだ?」

参考までに、どこまでも姉妹たちに愛されている長男の意見を伺ってみる。

どこまでも天然に愛される素質を持った長男は、無邪気に微笑んで指折った。

「えとね、新しいご当地アイスがいっぱい出ますようにアイスクリーム車が日本に普及しますようにダッツの新作がいっぱい食べられますように…」

きらきらと顔を輝かせて数え上げるカイトの口を、がくぽはそっと手のひらで覆った。

「すまぬ、カイト殿。もうおなかいっぱいだ…」

「え、なに食べたの、がくぽ?」

むごもごと言うカイトに、がくぽは静かに首を振る。

「アイス以外で願うことはないのか、貴殿は…」

「アイス以外……………」

ひたすら長い沈黙が、なによりも雄弁にカイトの答えだった。

「カイト殿、貴殿な」

「だって五枚しかないんじゃ、緑に勝てないじゃない!!」

「っ」

説教モードに移行したがくぽがカイトを諭そうと口を開いたところに、きいいんと耳をつんざく高音が爆発した。

「五枚しかないんじゃ、緑滅べ、緑消えろ、緑腐れ、緑死ね、緑下がれ、の五つしか書けないのよそれじゃ全然、効力が足らないじゃない!!」

「…なんだ?」

物凄く不穏な言葉の並びに、がくぽは花色の瞳を見張って声の主、猛り狂って高音を飛ばすリンを見る。

リンといえば、可憐な顔を真っ赤に染めて、地団駄を踏んで「緑」ことミクを指差していた。

不穏なことを叫ばれているミクといえば、いつも仲の良い妹の暴言に傷ついた様子もなく、むしろ盛大なにたにた笑いを浮かべて胸を張っている。

「…カイト殿?」

「あー。うん」

いつも共謀してイタズラに励んでいる妹たちの突然の不仲に、がくぽはたじたじとなってカイトを見た。

物馴れた長男は騒ぎに目をやることもなく、短冊を睨んで指を折っている。その指がどうしても、五を超える。

「この間のイベントねミクがグッズの売り上げ一位だったんだよ。リンちゃんは二位だったから、悔しいんだと思う」

「そんな…」

「ちがうもん!!!」

そんなことで、と言おうとしたがくぽの言葉をきれいに吹き飛ばして、聞こえるはずもない言葉を器用に拾ったリンが、カイトに向き直って叫ぶ。

その瞳には、涙すら滲んでいた。

「リンとレンで二位だったんだもん!リンひとりとレンひとりと、リンとレンふたりの三つ合わせて、やっと二位だったんだもん!!ミク姉はひとりで一位だったのに!!!」

「それは…」

がくぽは言葉に詰まる。

初音ミクシリーズはトップアイドルとなるべくしてつくられた、ロイドの中でも別格の存在だ。彼女の成功の下に鏡音シリーズがあり、そしてがくぽの存在がある。

だからといって売り上げが下でもいいと諦念するつもりもないが、こんなお遊びで本気になるほど悔しいというのは行き過ぎているような気がする。

戸惑ってカイトを見ると、彼は真剣に指を見つめてなにごとかを数え上げている。

「ちなみに、カイトは男声部門の一位よ。レンは二位。ということはぁあんた、まだまだね」

「…これからだ」

すでに短冊を書き終わったメイコが楽しそうに笑う。

別にリンほど敵愾心を燃やすつもりはないが、そういう言われ方をするとそれなりに腹が立つ。

自分はまだ世に出て日が浅いのだとか、そんな軟弱な言い訳をしたくないから、ただ腹の中で奮起するだけだ。

「五枚じゃぜんぜんミク姉に勝てないんだもん十枚せめて十枚ちょうだい、マスター!!」

ぐすぐすと洟声で強請るリンに、レンが自分の短冊を差し出した。

「リン、俺のも合わせれば十枚だろ。俺だっていっしょにがんばるから」

どこまでも仲の良い双子だ。

が。

「おばか!!」

リンが壮絶な声で叫ぶ。

「五枚+五枚は十枚で二倍だけど、十枚+十枚なら、二十枚で四倍なのよそれくらいやんなきゃミク姉に勝てるわけないでしょ!!」

男の子と女の子で、目指すベクトルが違うことは間々あることだ。たとえ電脳を共有していても。

「マスター!」

「短冊は五枚です」

向き直ったリンに、相変わらず穏やかに微笑んだままのマスターが、しかしきっぱりと言う。

指を立てて明言したが、その指はどう数えても三本だ。

「マス」

「ただし、朱墨なら貸してあげます」

抗議の破壊音を轟かせようとしたリンに、マスターはすかさず言葉を挟む。

「…しゅぼ?」

言われた内容がわからないらしく、いくらかトーンダウンしたリンに、マスターは頷いた。

「朱墨、つまり朱い墨汁です。それなら貸してあげますよ」

「あかいのなんて貸してもらったって…」

「なにを言うんですか、リンさん。仮にもひとを呪おうとする子がそんなことではいけません」

マスターはどこまでも大真面目な口調だった。説教口調なのだが、思うに説教する方向性が怪しい。

眉をひそめるがくぽの前で、マスターは晴れやかに告げた。

「ひとを呪うなら朱い墨汁と、昔から相場は決まってます黒い墨汁で何枚も何枚も書くより、朱墨で一枚書くほうが、何倍も効き目があるってもっぱら評判です!」

選んでいる言葉が詐欺師そのものだ。

思わず眉間を押さえたがくぽだが、言われているほうのリンはそれに気がつかないらしい。

「そ、そぉなの?」

声を上擦らせて、真剣に訊き返す。マスターはもっともらしく頷いた。

「はい。だから昔から、朱いインクで名前を書かれるのを嫌がったり、誓約の証である判子は朱印で、と決まっていたりするんですよ。ひたすら枚数を重ねるよりずっと、霊験あらたかです」

「そ、そぉだったんだ……!!」

無垢な子供になんて歪んだ知識を、とマスターにツッコミを入れようとして、がくぽはわずかに考えこんだ。

無垢な子供……むくなこども。

リンをそのカテゴリに入れて庇うことに、どうも高い精神的ハードルを感じる。まったくさっぱり越えられる気がしない。

カテゴライズするなら、邪あ以下事情により略。

「朱墨でいいですね?」

確認したマスターに、リンはこっくりと大きく頷いた。

「いいはやくちょうだい、マスター!!」

「はいです、リンさん。いい子ですね!」

いい子か?!

疑問に思ったのはがくぽだけではなかったらしい。

それまで胸を張って罵声を受け止めていたトップアイドルが、苦笑いに表情を変えて、朱墨を持って来たマスターの肩を叩く。

「なに、マスターはボクがトップアイドルしてることにご不満が?」

「そんなことは微塵も考えていませんとも」

いっそ意外そうに答えて、マスターはミクの手にも朱墨を渡した。

「呪いたいひとがいるならお使いなさいでもマスターが思うに、ミクさんはそんなことをしなくても、その弛まぬ努力と根性で、どんな呪いも跳ね返してトップアイドルの座に輝き続けるはずですよ。というか、トップアイドルを名乗るなら、それくらいのこと朝飯前じゃないと困ります。その程度が出来ないなら、トップアイドルなんてお止めなさい!」

「…ま、そのとおりだけどね」

平然と鬼のようなことを言ったマスターに、ミクはかえって余裕顔を取り戻して、ふふんと鼻を鳴らした。

「ボクくらいになれば、呪いなんて十倍返しは軽いねキミたちの屍の上に立って、ボクは燦然と輝く死の太陽となるのさ!!」

言っている内容がおかしいのはもう、マスターの躾の賜物だとしか。

頭を抱えるがくぽの前で、嬉々として朱墨を貰ったリンが、またも高音を爆発させて、そんなミクに噛みついていく。

今度はミクのほうも黙って聞いていたりなどしない。こちらも存分に高音を爆発させて、リンに言い返す。

リンの後ろには一応レンが張り付いているが、こうなった女の子の間に割り入れる男は、もはや男ではない。

「マスター!」

騒ぎに目もくれずに指折っていたカイトが、ようやく声を上げた。真剣な顔で、愉しそうに舌戦を眺めるマスターを呼ぶ。

「お願いごと、五個じゃ足らなくなっちゃった!」

「おや」

意外そうに目を見張ったマスターに、カイトは指を折る。

「家内安全に、家庭内平和に、家庭融和に、家族和合に、家族団欒に、無『傷』息災に…」

「カイト殿」

数え上げるカイトの手を、がくぽはそっと取った。

「もし貴殿さえ良ければ、俺がそれを半分、負おう。俺もちょうど、そういったことを願うつもりであったゆえ」

「…がくぽ」

カイトが瞳を煌めかせてがくぽを見返す。

がくぽはそっと頷いた。

「がくぽぉおお、ありがとぉおおお!!」

「のわっ!」

涙目のカイトが歓喜を爆発させて飛びついてくる。

ぎゅうぎゅうと首にしがみつかれ、がくぽはカイトの背をあやすように叩いた。

長男には長男の苦労がある。

「やあ、仲良きことは美しき哉ですね!マスター感心です。まさにカイトさんの願いを体現してますねそうやってふたりが仲良くしていたら、そう遠くない日に家庭内にも平和が訪れますとも」

「胡散臭い……………」

ぐすぐすと洟を啜っているカイトを抱きしめたまま、がくぽは思いきり胡乱な眼差しをマスターに向けた。

マスターは素知らぬ顔で視線をやり過ごし、あちこちの騒動を愉しげに眺めているメイコの書いた短冊を覗きこむ。

『酒』/『博打』/『煙草』/『女』/『ワイシャツ』

「メイコさんは私のことばっかりね。じゃあ、私がメイコさんのことをお願いすることにするわ」

意味不明の単語の羅列にそう応えて、マスターは舌戦をくり広げる少女たちへ向き直った。

「呪いのアイテムなら、相手の髪を使うのがおススメですよ!!」

「いい加減にせい、この駄マスターがぁあああああっっっ!!!」

どこまでも火に油を注ぐマスターに、カイトをしがみつかせたまま、がくぽは怒声を轟かせた。